– 世界を巡る旅へと –
イタリアから帰国した年の秋、新聞の広告で、イタリア大使館主催(NHK、朝日新聞協賛)のスピーチコンテストの募集要項を見つけました。まだ帰国して間もなかったので、生きたイタリア語が残っている頃でした。「今なら人前でもイタリア語でスピーチできるかも。。。」そう思ったのはもちろんですが、何よりも、交換生だった一年間の体験を広く聞いてもらえるチャンスだ!と思いました。そこで、勇気を出して応募し、スピーチしたい内容を原稿用紙にしたためて郵送しました。すると書類選考を通って、最後の10名に残ることができたのです。優勝を決めるスピーチコンテストは、朝日浜離宮ホールという大きな会場でした。審査員のなかには、私の大好きなエッセイストの故・須賀敦子さんも座っていらっしゃいました。スポットライトを浴びながら緊張の極地で舞台に上がると、あんなに毎日練習してきたはずなのに、頭の中が真っ白になってしまいました。伝えたいスピーチが私にはある。あったはずだったのに、あまりにも眩しいスポットライトに目がくらみ、心臓が飛び出しそうになって、何度も何度もつっかえてしまいました。10名がスピーチをして、結局、上位3位に入れませんでした。私は悲しくて、スピーチの内容をきちんと聴衆に届けられなかったと思うと悔しくて、その後の祝賀会で美味しい飲み物を振舞われても上の空という感じでした。
そこに、コンテストの協賛企業だったアリタリア航空の代表者と名乗るイタリア人の方が現れ、「我社に見学にいらっしゃいませんか」と言われました。子供っぽい気分で、あらっ副賞に何かを頂けるのかしら?ヨーロッパ線の航空会社(当時は霞ヶ関)を見学させて頂けるなら、と思いました。翌週、キャンパスの帰りに、裾の破れたジーンズとくたびれたTシャツ姿で約束の時間に合わせて航空会社の日本支社へ行くと、秘書の女性の丁寧な案内で大きな支店長室に通されました。そこには、当時の支店長がニコニコ笑って立っていました。大きく両腕を広げてイタリア式にハグをして下さり、まるですでに話が決まっていたかのように早口のイタリア語で、「君だね、すばらしいスピーチをしたんだって!我が社で働いてくれるかな?」と切り出したのです。あまりにも突然のことで面食らった私は、言葉がまったく出ずに、一体どう反応をしてよいのか分かりませんでした。「できるだけ早くローマでトレーニングを受けてもらいたいので一週間以内に返事を下さい」そう伝えられても、へーッこの私がヨーロッパ線で働けるの?身長が高いから目をつけてもらったのかな。あんなにひどいスピーチで失敗したと思ったのに、それでも、いいと思ってくれた人が一人でもいたんだ!と次第に喜びが湧き上がってきました。
しかし、嘱託社員の扱いであったために、焦らずに将来のためになる何か別の仕事を時間をかけて選んでいけばいい、と案の定、親は猛反対しました。でも、私は次第にボローニャの施設に帰る足が欲しくてたまらなくなってきました。イエスと答えれば、毎月のように、フライトの合間を利用してシルビアさんと子ども達に会いに行ける。。。私は大学の先生方にも相談しました。教授会にもかけて下さり、その結果、幸運な青田刈りだから、という理由から、私の就労学生への道を先生方も快く後押しして下さいました。もう迷うことはない。そう気持ちが堅まると、諦めたのか、両親も就職を認めてくれるようになりました。
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そんなわけで、大学3年時からヨーロッパ線で働くようになり、ボローニャの身障者施設に通うことはもとより、休暇を利用して、ヨーロッパ各地、チベットやネパール、シルクロードで栄えた交易都市の敦煌や新疆ウイグル自治区などアジアをまわりました。昔から気になっていたスーフィーの踊りが観たくてトルコへも行きましたし、ポールボウルズの小説を読んで以来憧れていたモロッコのフェズへも足を伸ばしました。エジプト、ユカタン半島にマチュピチュ、チチカカ湖、果てはガラパゴス諸島やイースター島など、死ぬまでに行ってみたいと思っていた世界遺産を好きなだけ訪れることができました。
特に、昔から強い繋がりを感じていたマルタ島の巨石文明跡を歩いた時は、とても不思議な気持ちになりました。気持ちが楽になったというか、自分の根っこに戻ってきたような安心感を覚えたのです。その日、観光シーズンではなかったからか、午後遅かったからか、他には誰も見学者がいませんでした。風だけが海沿いのマルタの遺跡を通り過ぎて、木の葉をキラキラと揺らしています。発掘された神殿を覗き込むようにして長いあいだ座っていると、得も言われぬ恍惚感のようなものが胸に湧き上がってきました。それは、完璧な調和。すべてが見事に調和して、これ以上望むものは何もない、という心地でした。目を閉じて、さらに時間を遡り、女性が崇められ、強力なパワーを持っていたと言われる時代まで戻ると、目の前の崩れそうな壁の向こうから音もなく白い衣をまとった髪の長いとても豊かな体格の女性が現れて、ゆったりと敷物の上に横たわり、優雅にうたた寝を始めるイメージまで鮮明に湧いてきました。ふと、自分まで、午睡でまどろむ古代の妊婦にでもなったような気持ちです。今はもっと整備されているのかもしれませんが、私が訪れた20年前のマルタ島は荒涼としていました。その、人っ子一人いない遺跡で私は、その場限りのタイムトラベル、場とのつながり、また、深い臨場感を感じることができました。
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