私の長男は自閉症です。
子供たちのたくさん集まる公園へ行くたびに、もし自閉症でなかったらこんな風に遊んでいたのだろうといつも羨ましそうに眺めていました。何かおかしい。彼が、1歳くらいの時から、なにか胸騒ぎがして、彼の症状が自閉症ではないかと疑いを持ち始めました。何か手立てがあるはず、医療がこんなに発達しているのだからと思い、夢中でインターネットで治療方法を探しました。
胎盤で母親が今まで摂取蓄積した重金属や有害物質、特に水銀や鉛は胎児の脳神経が生育する3ヶ月から脳細胞の芽を損傷し阻害する事が発達障害の原因となっています。虫歯治療で歯に詰める歯科治療用材料アマルガムが考えられます。組成は、銀35%・スズ9%・銅6%・少量の亜鉛、そしてあとは水銀です。水銀の占める割合は、全体の約50%にも及びます。イギリス厚生省は1998年、妊婦のアマルガムの水銀が体内に吸収され、胎児まで届き、また母乳まで移行する危険性があると発表しています。
また、胎児や産まれて間もない赤ちゃんは、第二の脳と言われる小腸や大腸の機能が発達していません。特に、アレルギー体質の子供達は、免疫が未熟だったり、繊細だったり、消化器官が未熟な場合が多く、この時期に、ワクチン接種を受けたり、外からの有害物質(病院などで投与する薬、硬膜外麻酔、陣痛促進剤)が体の中に入ってしまうと、高い確率で、運動失調症(手足の筋肉の異常)、知的障害、精神薄弱、精神遅滞、注意欠陥、多動性障害(ADHD)、情緒不安定、無菌性髄膜炎、てんかん、ひきつけ、半身不随のような致命症となりかねない神経性障害などの副作用を引き起こす可能性があります。
私は、長男がお腹の中にいる間、歯の治療を受けました。また、お産のときに硬膜外麻酔をし、お医者さんに処方された薬(1種類)を飲みました。さらに、息子は、産まれてから4歳ごろまで、国で推薦された予防接種を定期的に受けました。息子の消化器官が未熟だったのでしょう。消化器官が有害物質を体の中から排出できないまま、体の中に蓄積されてしまい、脳に損傷を与えたのです。
病院での検査の結果、長男の体の中は、異常にToxicがたまっていることがわかり、重金属などの毒素を取り除く治療や様々なセラピーを3-4年間続けました。食べ物や日用品などあらゆるものを念入りにチェックし、体に害のある化学物質が入っていないかどうか調べて、悪い物がこれ以上体に入らないように気をつけました。シカゴ、カリフォルニア、良いお医者さんがいると聞けば、すぐに飛行機で飛んでいきました。息子は少しずつ良くなっていきましたが、完全に治ることはありませんでした。いつの間にか、お金も底をつき、あきらめるようになっていました。
そんなある日、私は3人目を妊娠しました。妊娠が判ってから、お腹の赤ちゃんにはとても気を使いました。薬は絶対に飲まない、この子は病院では絶対に産まない、私の中でそう確信していました。妊婦中は、豊富にビタミンをとり、なるべく健康でオーガニックのものを好んだ食事に心がけました。
ある日、体全身に湿疹が出て、大きな斑点が全身を覆いました。とにかく仕事が忙しかったので、アパートのすぐ近くに住んでいる助産師さんに会いに行きました。彼女は、Oatmeal Bathにつかり、ある葉っぱから取れるクリームをぬると、効果があるということを教えてくれました。すると、3日くらいで、斑点は消えました。病院へ行かなくてよかったと、ほっと胸をなでおろしました。会社の同僚は、どうして医者に行かないのか、どうして助産師さんなのか、とても不思議でたまらないらしいのです。
会社の事務所に小さな虫が出現して、社長が殺虫剤を撒いたり、会社のカーペットの黒いしみの汚れを取るために、強い薬をまこうとしたときは、気が狂いそうになりました。自分でNon-toxicの殺虫財を買ってきて撒いたり、カーペットクリーニングを中止して、カーペットをタイルに変えるようにお願いしました。家のペンキを塗るときも、オーガニックでNon-toxicのペンキを調べて買ってきました。周りの人たちは、わたしが気が狂っているのではないかと思っていました。
そんなある日、私の助産師シャノンさんが、日本人のDoulaさん、木村章鼓さんを紹介してくれました。初めてお会いした時は、聡明で知的な印象を受けました。お産に関する資料を持ってきて頂いたり、産前にすると効果のあるマッサージなども教えてくれました。「庭に生えている、大好きな木を大きく抱きしめて深呼吸してくださいね。」「毎日のWalkingはこんな風に腰を大きく横に振って、早足で歩いてくださいね。」と言われ、お腹の中に宿った赤ちゃんをやさしく撫でてくれました。私と赤ちゃんをやさしく包んでくれるような、神秘的で不思議なものを感じました。
彼女のブログや新聞の連載を仕事の合間に少しずつ読んでいくうちに、自宅でお産する事に私は確信をますます強めました。まるで、私の確信を後押しするかのように。それから3ヶ月程、章鼓さんは、私の質問やお産に関する貴重な情報をメールで丁寧に説明してくださいました。
お腹が大きくなってきたので、夜のWalkingはなかなか重いおしりが動かず苦痛になっていましたが、赤ちゃんと一緒に、毎晩歩きました。そして、毎晩庭に生えている大好きな木を抱きしめて、赤ちゃんが無事に産まれてくるようにお願いしました。会社では、椅子にずーっと座っていると、ふくろはぎが膨らんでくるので、お昼休みに、15分くらい歩いたり、外で用事を済ませる時は、なるべく足を上げて歩きました。もう少しだからお母さんがんばるねと赤ちゃんに話しかけるようになっていました。そんな時、章鼓さんがBouncing Ballに座ると、ふくろはぎに効果的ということを教えてくれました。教えてもらった通りのやり方でBouncing Ballに座っていると、お腹の赤ちゃんは揺ら揺ら揺れて喜んでいるような気がしました。
1月21日の月曜日、午前3時半頃目が覚めました。なんとなくお腹が痛くなり、トイレに行きました。すぐに治るだろうと思って、ベットの中に戻ったけれどもやっぱりちょっと違うのです。午前4時頃になると、5分おきに強い陣痛が来ていました。シャノンさんに電話をすると、まだ大丈夫でしょう、30分後にまた電話して下さいと言うので不安になり章鼓さんに電話しました。すぐに来ますという返事で安心しました。午前4時15分くらいになると、陣痛は激しい痛みを伴いました。主人は、「もう2回も産んでるんだから、大丈夫だよ」。と暢気なことを言って、ソファに横になっていました。何回も何回も力むうちに、破水してしまいました。主人は、無頓着に水中プール用のシートを出して広げ始めました。助産師さんに持ってきてもらうことになっていたプールがまだ到着しないのに広げてどうするのだと思いながら、章鼓さん達が到着する前に産まれてしまうのだろうかと不安をよぎりました。そのうち、頭がでてきました。さすがに、主人も焦ったらしいのです。「赤ちゃんの鼻に入れるスポイトはどこだ?」と言って慌てていました。夫がスポイトを探しに言ってる間、もう一回力んだら、つるんとオルムが出てきました。夫が、スポイトを鼻に入れて、羊水を出してあげると、泣き始めました。お腹の中にいたときから、抱きしめてあげたかったかわいいオルム。とても幸せな瞬間でした。
直後、章鼓さんが到着しました。「よくがんばりましたね。女神様みたいですよ」と言いながら、すかさず赤ちゃんと私のからだをチェックしてから温かく包み、シーリングファンを消すなど室温調整をしてから頭を撫でてくれてようやくホッとできました。助産師さんが到着する前に産まれてしまったことに戸惑っていた時に、携帯でシャノンさんの指示に従いながら、私たち母子の状況を注意深く観察し続け「助産師さんももうすぐそこまで来てくれていますし、きっとこれでよかったんですよ。すべては起こるべくして起こるものですから」と穏やかに言ってくれたのが本当に嬉しかったです。夫も最初は少し戸惑っていましたが、オルムとの絆がずっと深まった気がすると言っていました。その後、助産師さんが到着しました。オルムは相変わらず目をつぶって、私の胸の中で眠っていました。助産師さんは産後の処置をてきぱきとし始め、章鼓さんは、私とオルムの側にずーっと付いていてくれました。布団の中を、湯たんぽで暖めてくれたり、マッサージをしてくれたり、暖かい飲み物もつくってくれました。おっぱいを飲ませやすいように、また、オルムがおっぱいを飲みやすいように枕を合わせた特別コーナーを作ってくれました。そして、母乳に関する本を置いて、助産師さんたちが立ち去った後もしばらくの間いてから去って行きました。とても疲れていましたが、章鼓さんのやさしい言葉と気遣いで気持ちが安らぎました。
その後、オルムが欲しがるだけおっぱいを吸わせてあげました。1年半後もオルムはたっぷりおっぱいを飲んで、私の胸の中ですやすやと眠っています。とても幸せなひと時です。上の2人の子供は母乳を途中であきらめてしまいました。母乳に関する知識も何も無いまま、子育てをしていたような気がします。母親失格です。章鼓さんは、もう済んだことだから自分を責める必要はないと言ってくれました。長男は、無痛分娩で7時間後に病院で産まれ、長女は、自然分娩で2時間半後に病院で産まれました。長女の時は、始めは母乳を試みましたが、病院の母乳専門家の方が、母乳が出ないと赤ちゃんが脱水症状になってしまうのでミルクを足したほうが良いと指導してくれました。そのうち、ミルクのほうが楽になってしまい、母乳が出なくなってしまいました。悔しい思い出がいっぱいです。本をちゃんと読めば、赤ちゃんはお弁当と水筒を持って産まれて来るから、最初の3日間は出なくても大丈夫と書いてあったのに。。。
今思うと、章鼓さんの貸してくれる本、資料、雑誌、彼女の新聞の連載記事はとても勉強になりました。この本を、もし上の2人の子が産まれる前に読んでいたら。。。とまた後悔してしまいます。会社の同僚の奥さんがこんなことを言っていました。「3人目を産むときは、アメリカで産みたいの。だってこっちのほうが楽だもの。日本のお医者さんは、麻酔をしてくれないから。」
確かに長男を産んだ時は、無痛分娩で産んだので、痛みが無くて、とても楽でした。お医者様は、何か異常がありそうだと早目早目に薬を処方されました。また、食事の面でのサポートなど何もありませんでした。ただ、医療器具と数字とをにらめっこして、毎回「あなたは順調よ」の一言でした。実際にお産がはじまり、陣痛に苦しみながら、病院のEmergency Roomへ行くと、Front Deskでは、難しい英語で書かれた長い書類にサインさせられました。私の推測では、病院で投与した薬や処置は、本人の承諾のもとで行っているので、副作用などが出た場合、病院は一切責任は負いません。という合意の書類なのだと思います。何も知らなかった私は、病院での産むのだから、何があっても大丈夫よ、そう思っていました。
一転、オルムを自宅で産んだときとは、すべてが全然違っていました。私は産まれる前からオルムと一緒にがんばってきたような気がします。「オルム、お母さんが守ってあげるから大丈夫よ。」「早く会いたいよ。出てきたら抱きしめてあげるね。」と頻繁に彼に話しかけていました。食べたいものを我慢したこと。病気になっても薬を使わない方法を取り入れたこと。夜のWalkingにがんばって行ったこと。そして、会社のOfficeでChemicalの使用について、社長にしっかり反発したこと。引っ込み思案の私が自分の意見をはっきり言えるなんて稀なことでした。そして、陣痛の痛みに耐えて、夫と2人で協力してオルムの誕生を迎えたこと。今考えてみると、不安も心配も全くありませんでした。心のどこかで、大丈夫という確信があったからです。
自宅出産をしたことで、こんなにも子供を愛しく思う気持ちが違うものなのかと感心します。長男のときは、泣くとイライラすることがしばしばありました。しかし、オルムは、泣いている姿がとても愛しいのです。ほとんど、24時間おっぱいを欲しがるので、最初の2ヶ月間は、乳首に激痛が走りました。乳首が切れてしまうのではないかと思ったほどです。でも、我慢しよう。オルムはおっぱいを吸う練習をしているんだ。きっと、上手におっぱいを吸うことができるようになる。そう思ってがんばりました。そして3ヵ月後、オルムは上手におっぱいをごくごく飲むようになりました。我慢したかいあって、オルムがおっぱいを飲んでいる姿はたまらなくかわいいです。
オルムが産まれて1年半が経とうとしています。長男の時のような不安な気持ちはまったくありません。好奇心旺盛で、お母さん、お父さん、お兄ちゃん、お姉ちゃんが大好きで。他の一歳の子供達と同じように、発達遅延もなく順調にすくすくと育っています。時々、長男の小さ頃の記憶が頭をよぎります。あの頃は、不安と悲しみで胸が張り裂けそうでした。小さいころの長男が、私の目の前で、オルムに変わってやんちゃに遊んでいるのを想像したりもします。
私は、長男の自閉症の原因として、自然なお産で出産していないことが原因の一つと考えます。自然にお産をするためには、赤ちゃんと2人三脚で努力してお産に望まなければいけません。お医者さんも、誰も頼りにしてはいけないと思うのです。お母さんが、お腹の赤ちゃんを一生懸命育んで、守ってあげなければいけないと思います。国が予防接種を推薦しているからする、周りが病院で産んでいるから産むのではなく、予防接種とは何なのか。病院で産むというのはいったいどういうことなのか。妊娠中に歯医者へ行くというのは、赤ちゃんにどんな影響があるのか。お産について、徹底して自分に問いかけて、勉強して、調査するべきだと思うのです。その上で、人生の新しい誕生という最大イベントと真剣に向き合って、赤ちゃんにとって最善の道を選択してあげることがお母さんの責任ではないのでしょうか。
自然のメカニズムというものは、とてもよくできています。自然にお産をすると、努力しなくても自然に赤ちゃんへの愛情が深まります。お産に陣痛があるのも、お産の後におっぱいがでるのも、とても深い意味があります。これらの意味のある物を避けてしまうと、様々な社会問題(児童虐待、発達障害、犯罪、などなど)が生まれてくるのではないでしょうか。お母さんが、赤ちゃんをお腹の中で育んで、自然にお産して産まれた赤ちゃんは、お母さんの愛情をたっぷりに自然な状態で受けることができます。そして、お母さんの愛情たっぷり受けたあかちゃんは、とても良い子に育ちます。そして、このような子供達が増えるということは、問題のない社会を作ることができます。強制的に、法律や規則を作らなくても、心のやさしい人間は自然に悪いことはしなくなるのです。三つ子の魂100まで。昔の方のメッセージに耳を傾けるべきです。
私は、オルムを自宅出産しました。そして夫と私と赤ちゃんと3人で協力して彼の誕生を迎えたことをとても誇りに思っています。
(オルムの母より)