毎日新聞のウェブサイトに連載を書かせて頂いていた12年前(Oct2003-Nov2004)、私は自分の中の『男性助産師に対する抵抗感』をハッキリと、また、かなり辛辣に述べてしまった記憶があります。私の書く文章は、当時は産み手としての感覚が前面に出ていたために、男性助産師に介助されることへの個人的な拒否感や、リラックスしていれば放出されるはずのホルモンが出にくくなるリスクなどを書き連ねたのです。
男女平等を謳う現代の先進国では、理屈に合っていても、感覚的には消化しきれないいろいろなことがあります。例えば、男性助産師の存在も、私にとってそのようなものでした。パートナー以外の異性の存在自体が分娩の自然な進行の大きな妨げになるのではないか。見ず知らずの男性の前で、産婦の命の道は無理なく開いていくのだろうか。ただでさえ医師は男性が多いのだから、助産師まで男性となると、男性主導的な空気に満ち満ちてしまうのではなかろうか。個人的な主観として、男性が助産師として介在することはあきらかに不自然な人的セッティングではないだろうか。。。などと感じてきたのです。
いみじくも時を同じくして、2003年のイギリスのガーディアン紙ウェブ版(http://www.theguardian.com/lifeandstyle/2003/may/14/familyandrelationships.nhs) には、その頃まだ100名程しか存在していなかった男性助産師をめぐる記事が掲載されていました。その中のある産後女性の言葉が印象的です。‘私はいつしか彼が男性であることを忘れていました。そのくらい、私にとって真に寄り添ってくれる誰かがいるということは、その人間が男性か女性かであることよりも出産にあっては遙かに重要だったのです’という趣旨のインタビューです。
UKで男性助産師が正式な現場デビューを果たしたのは、今から30年以上も前の1983年。イギリスは世界に先駆けて実験的な試みをしてきた『進歩的』な国なのです。
一方の日本では、助産師国家試験の受験資格者は女性となっているので、2015年の今でも、あらかじめ女性にしか門戸を開いていません。日本では産み手側が声をあげ、日本各地のお母さんたちが署名運動を展開して、男性助産師の誕生を阻止しようと奔走してきた歴史があります。
こんなことを書くと誤解を招いてしまうかもしれませんが、一般的に日本には、欧米と比較して、『論理性よりも五官で感じるものを大切にしてきた』歴史や国民性があるように私には思えます。私自身が日本人なので、偏りのある意見かもしれませんが、20年近い海外生活を通してよく感じることです。日本は、欧米のように、論理的な思考が求められる場に遭遇する回数が少なくて、楽だなあ、と。1から10まで理路整然と逐一説明のできることもあるけれど、グレーゾーンは必要があってグレーなのだから、白黒ハッキリとしなくても、その色のままでいいのかも、と思っている私のような何事に対しても曖昧な部分だらけの人間にとって、言葉を論理的に積み重ねていく欧米のものの考え方はしんどく感じることもあります。けれども同時に、新しい価値を切り開いていく力があるとも感じるのです。
だからこそ、日本と同じように(女性の)助産師と産み手側による反対運動があったにもかかわらず、この国は最終的に男性助産師を導入しました。The Sex Discrimination Act (男女性差別禁止法)のような法制が、1975年の時点ですでに整っていたUK内では、あらゆる職業において、性差を超えて平等を追及する機運があったのでしょう。確かに、分娩を診る産婦人科医は男性が多いのだから、助産師の中にも男性がいて当然だ、という考えは理解できますが、当時の私には懸念がありました。
職業上の性差別という先入観を抜きにして考えてみると、男性助産師とは、産む女性とその赤ちゃんの健康のために女性の助産師に遜色なく貢献できるだろうか。。。具体的にケアの受け手にはどんな恩恵があるのだろう。。。ましてやAIMS(産科医療消費者センター)のあるような国で、男性助産師をケアギバーに選択しない女性がまだまだ圧倒的に多いなか、男性助産師導入以降、この30年余り現場はどのように機能しているのだろう?産み手の選択の自由はどのくらい守られているのか?できれば現場で男性助産師の生の声を聞いてみたい、彼らはどんな想いで働いているのだろう?そんな好奇心のような気持ちが私の中に消えるともなく、燃え上がるともなく、ずっとありました。
そんな私の長年のこだわりを少し溶かしてくれるような出来事が、つい先月偶然起こりました。慶応大学の先生方と看護学生12名を、ロンドンの大学病院の産科病棟&バースセンター視察にお連れした時のことです。案内役を引き受けて下さった知り合いの助産師さんと産婦人科医の先生が、「男性助産師が今日いるよ」と教えて下さったのです。急きょ、その方を呼んで頂くことになりました。
顔では笑顔を繕おうとしていても、内心ドキドキしながら彼と握手をした私。今までの抵抗感が強かった分、正直、ちょっと後ろめたい気分です。続いて、慶応の先生方、学生たちが次々に挨拶をして、いたって和やかなムードのなか、みんなで記念撮影などをしながらも、私は男性助産師のヘスース氏に、今までたずねてみたかったいくつかの質問をさせて頂きました。
「男性助産師として限界を感じることってありませんか?」「どんな時にやりがいを感じるんですか?」「今までに断られたり、拒絶されたりしたことは?」などと、突撃レポーターのような辛口な質問は私の口から勝手に飛び出してしまいます。申し訳ないと思いつつも質問をさせて頂き、そのひとつひとつにヘスース氏はとても丁寧に、またパッションを込めて答えて下さいました。
ヘスース氏の返答を要約すると「確かに、母乳育児指導では限界を感じることがある。そんな時は周囲とチームで診ているので別の人(女性)に頼めるから、乗り越えているのだとは思うが、確かに、男性であるというだけで最初から受け入れてもらえない部分は、ある。でも、今まで長年スペインとイギリスで仕事をしてきて、頭から拒絶されたことはほとんどない。もちろん、あらかじめ男性助産師が嫌だという妊婦さんは受け持たないので、自分がケアする相手は基本的に男性助産師であってもよい、という人たちなので、そこのところは引き算して考えないといけないけれど、大抵みんな好意的ですよ。特に、パートナーが父性を開花させやすくする媒介者として、自分が関わることがとてもプラスになっていると実感できることがある。そんな時は、これこそが僕の使命、生かされている!と感じます」というような内容でした。
が、私はそんな彼の言葉よりも、50代とおぼしき彼の放つキラキラとしたまなざしのほうに圧倒されていました。というか、完全に引き込まれてしまいました。ああ、こんな気持ちで現場に立っている男性助産師がいらしたんだなーと驚き、自分の中の認識を新たにしたのです。
人は見かけでは判断できない、そう頭で分かっていても、なかなか実際には難しく、無意識のうちに、相手をジャッジしている私たちがいます。でも、考えてみると、LGBTの世界的ムーヴメントをみてみても、男性として生まれ、女性として生きる決断をした男性や、その逆という人々が今や20人に一人の割合で存在している世の中ですから、そういった観点からも、自分の中の無意識の差別や間違った認識に気づくことは大事なことだと自戒しました。
ところで、2014年の11月に書かれたテレグラフ紙の記事(http://www.telegraph.co.uk/men/thinking-man/11202075/No-job-for-a-man-Meet-the-male-midwives.html)を読むと、現場で働いている男性助産師は103名(女性の助産師は31,189)となっています。意外なことに、この12年ほどの間、ほとんど男性助産師の数が増えていないのです。なるほどニーズがやはり少ないのだな、、、と思わざるを得ません。ましてや移民の多いイギリスではイスラム教徒は宗教的な理由から男性助産師は選ばない。そう思うと、『進歩的』な国の今後の『選択の結果』から目が放せません。
おしまいに、『助産師』の英語の呼称「midwife」について。語源は、13-14世紀にはじまる「midwif」にあり、この「mid」とは、「with ~とともに」や「付き添う」といったニュアンス。そして「wif」とは「女性」を示すそうです。つまり、『女性とともにある女性』が、本来のミッドワイフが包含する意味なのです。古来から求められてそこにあった存在。それが、どの時代にも、どのような場所であっても、人が在る限り、助産師であったと思います。今では時代とともにドゥーラの仕事が独立して行われるようになりましたが、基本的に助産師とは、すでにドゥーラでした。そういう広い視点からは、最も古い職能のひとつとしてドゥーラ、助産師があったというのは確かなことでしょう。