内診・出産にみる女性の人権とエロス

みんなね、本当は怖い思いをしているのに、

臀部も、足先も冷たくなるのに、

心臓もドキドキするのに、

全身の筋肉がこわばるのに、

「こんなもんだよ」

「ま、仕方がないよ」

って、思おうとしている。

無理に自分自身を納得させてしまう。

そんなやっかいな、内診。

私も「たかが内診ごときで」と、

自分を適当にいなそうとした一人ではあったんだけど。。。

アメリカで二人目を産んだ時、

あれっ?と思った。

果たして内診は、私の選んだお産には、

存在しなかった。

出産まで、ほぼまったくなかった!トータルで2回くらい?

「どうして内診しないんですか?」

とアメリカ人助産師に聞くと、

「だって、嫌だって言ってたじゃない。

それに今のステージですることに意味がある?」

と。心音など他の部分で測れる数値を総動員して、

もし経過が良いならば不必要に指を入れたくない、と。

やっぱりね。

国が違うと、

産み場所が違うと、

ケアギバーが違うと、

出産体験はこんなにも違ってくるんだ。

第一子の時の病院での内診を思い出すたびに、

私は涙が出そうになる。

生まれて初めての内診台。

自分の下半身が機械の振動と共に軽々と

開脚されて、医師の指が入ってきた瞬間

のあの窒息するような気持ち悪さ。

ありありと、今でも、

18年近くも経った今でも、

昨日のように思い出せる。

「おめでとうございます」と医師に

言われても、まだ、あそこが痛かった。

痛いというか、膣壁にまるで土粒の

混じった粘土がねっとりと張り付いたような

言葉にできない違和感と振動が残っていた。

だから、あの内診日は私の記念日。

だって、あの居心地の悪さのおかげで私は

自分らしく産むjourneyを始めることができた。

結局、開業助産師さんとうっとりとするような

ホームウォーターバースを東京都で体験したが、

妊婦だった私はあの内診日を境に産む数ヶ月前まで

一体何十冊の本を読んだことだろう。

<「だから日本に助産師さんが必要です!」著者Umiのいえの齋藤麻紀子氏と>

安定期までに一般的な妊婦向けの本をあらかた読み尽くすと、

なにか、物足りなくなった。

妊婦だったから目を酷使したくなかったが、

もともと文化人類学系がすきだったので、

さらにジャンルを広げて読み進めた。

ジュディス・ゴールドスミスの「自然出産の智慧」

や、イギリスの研究者シーラ・キッツィンガーの

本を皮切りに、 雑多にいろいろな著者を漁った。

どんどん世界が広がっていって、きくちさかえさんの

「イブの出産、アダムの誕生」や、きくちさんも

ライフワークで追っていた青木愛子さん(アイヌの産婆さん)

の「ウパシクマ」まで辿り着いた時には、もう私は

ただの妊婦ではなく完全にネクストステージに入っていた。

お産って、限り無く「死」に近いでしょう。

だからこそ、そこでは「生(性)」が華開く。

百花繚乱。

宇宙にたったひとつの体験。

それぞれの花が咲き乱れるとんでもない

景観を垣間見る時空間なのだと認識した。

その後、縁あってエジンバラで大学院へ。

とても可愛がってくださった社会学博士が、

私に本当にいろいろな体験をさせてくれた。

たくさんの境遇を語る女性に出会った。

たくさんの女性史に出逢った。

お腹の命が天に先立つこともある。

元気だったあかちゃんが産後に死んでしまうこともある。

でも、素晴らしい幸福感に満ちたお産もいっぱいあった。

それまで生きてきた記憶の糸を一手に束ね、

骨盤をぐわ〜んと前後左右にロックしたり、

陣痛中、急流の水底に横たわる岩のように、

翻弄されないカラダの在り方を駆使していると。。。


女性は神々しく見えてくる。

生(性)と死。


その「扉なき扉」の裏と表に

片足ずつ仁王立ちした女神が

産みのしんどさ、切なさや喜びを

なんとしなやかに宇宙へと放つのだろう。

いや〜放つんだよね、本当に。

高く、遠くに。。。

その瞬間。

その一点、

赤ちゃんの頭が一瞬であっても見え始めるでしょう。

すると

点が溶けて、解けて、とろけて、

もう自分がどこにあるのか、

何をしているのか、

誰だったのかも忘れてしまう強烈な快感がある。

いったんその点が見えなくなったり、

また見えたりを何度も繰り返して、

(はいりん,

はつろ、って呼ばれるのね)

それから面になって、立体になって、

あとはヒトガタをした存在としてぬうっとこちらの側に立ち現れてしまう。

ひとりの女性も赤ちゃんと一緒にそこから形創られ始める。

もう一度ゼロから、ココから始めようって

女性があらためて肚を決めさせてもらう処。

国籍も人種もなく、

そういうのが「お産」なんだ!って

学ばせてもらったの。

あれから今日まで、スコットランド、ロシア、アメリカ、

イギリス、そしてフランスといろんな国に移り住んできた。

今ではますます、お産はセクシャルな営みだと、確信しているし、

私たちはありのままにそれを表現していい!と思う。

セックスして、授かって産むことも、授乳も、みんなみんな

シームレスな、ひと繋がりの快感だよ〜って

ここでしっかり表現していかないと、

未来の生(性)は輝けないと思えるようになった。

17年前に産んだ時、「家」を産み場所に

選択したけれど、そこには下手な甘えはなくって、

医学的エビデンスだけではなくて、

「自分エビデンス」をベースに産んでいく覚悟が決まっていた。

そこで選択すると、結果を受け止めていけるのだ。
どんな結果であっても、すべてを受け入れてしまえる。

だからね、その延長で、今もすご〜く心地よいし、楽。

ラクなだけでなくて、体も、キレイ。

本当に、自分で言うのってものすごく変だけど、
おっぱいは小さいけれど、私にとっては、とても
キレイなカラダに思えている。

その主観が、最も大事なんじゃないかな。

世の中のスタンダートに合わせずに積み重ねてきた
「自分エビデンス」が、これくらいの歳になってモノをいう。

だから、内診時から、妊娠中から、

感性を研ぎ澄ますって、大事なの。

みんな知っていると思うけど、お産で起きることって、
本当に、何十年も残るの。

産後のちょっとしたことだって、
しっかり向き合っておかなかったら
更年期につながっていく可能性がある。

と、そんな老婆心や、

いてもたってもいられない気持ちや、

ドゥーラスピリット丸出しで日本性学会の副理事を

されているベテラン産婦人科医の早乙女智子先生と

YouTube対談動画をアップさせて頂くことになった

(この文章の最後にリンクあり)。

智子さんのお宝、見事なチベットのマンダラ画に囲まれた
癒しサロンでお話させて頂きました。

私の内診時に感じたことや、医療者もお裾分けで

手を浸す「エロス」の源泉について触れましたが、

医療者向けの熱い想いもつい吐露してしまった!

だって。。。医療者の方々は、日頃のプラクティス

において、自分の内側のエロスに水やりなんて、

余裕がなくて出来にくいわけで、

こころの充足感だったり、

活力なんかも得られていないわけで、

大方の医療者の皆さんが、システムの中で乾き切っている。

本来なら生命力の潤うはずの現場で

エネルギーの循環はことごとく制限され、

バーンアウトしていく数のなんと多いことか。

潜在助産師が一体日本に何万人いるか

私たちは知らないだろう?

彼女たちのこころが干からびているのは、

側でその葛藤を見聞きしているだけで、

胸がズキンと痛む。

生きるエネルギー、

愛し合うエネルギー、

赤ちゃんを授かるエネルギー、

お産で産むエネルギー、

それらすべてに普遍的な

「性エネルギー」が偏在している。

もしそのお裾分けにあやかれず、

それらがうまく循環していないと、

産む側(母親本人)も、

見守るケアギバーたちも、

それは無かったものとして

通り過ぎていってしまわなければならない。

誰も気づかぬうちにも、

カラダを

「お産のエロス」がすり抜けていく。

そのなんとも言えぬ一抹の哀しさを、

動画では伝えたかったのだが、

溢れる気持ちが言葉にはならなかった。

でも、智子先生のような聞き手がいれば、

私はこれからもっと吠えられる!

そんな予感のする対談だったので是非

ご覧ください。

<お知らせ>9月5日には世界、性の健康デーのUmiのいえの
イベントで再び早乙女先生と対談させて頂きます〜。日本時間
の午後15時。おやつの3時に宜しければオンラインですので
ぜひぜひご参加ください!
申し込み→
https://shop.uminoie.org/items/32635964

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