第9回 授乳とフランス

パリでも見つけましたー!

思わずご本人の了解をとってパシャリ。

スリングでのおんぶ姿が決まっているのは、こちらのママのファッションがステキだから?

白いレースと肌の色がとっても可愛い!

子連れママのファッションにしても、フランス人って、なぜかきちんとそれなりにセクシー。

胸元が超大胆にカットされたスタイルなんかは誰でもがごく普通にしているし、うちの娘と同じくらいの幼児がいても、ミニスカートで颯爽と列車に乗り込むママンたち。

面倒だから万年カジュアルで決まり! な私とは基本的に違う。

そこには、授乳服の入ってくる余地は、どうみてもなさそうに思える。

授乳服やベビースリングなんかを手軽に上手く使いこなすと、‘授乳ライフ’って、誰にとってもかなりのところまで快適になると思うんだけどなぁ。

でも、授乳服なんてフランスでは誰も着ないのよね。

黒人女性こそベビースリングの達人だなぁと感心したものの、パリ滞在中キョロキョロしながらパリに点在するいくつかの公園に通ったにもかかわらず、カフェでも、ショッピングモールでも、授乳服を使っている人をみかけたことはついにただの一度もなかった。

堂々と授乳するスコットランドの女性

かたや、私の住んでいるエジンバラでは授乳は、よりおおらかに行われていると思う。

大通りに面したとあるバス停—– 時刻表を睨む母親の胸元では、赤ちゃんが美味しそうにチュパチュパしていたりする。

飲み終わった赤ちゃんが口を離しても、慌てて乳首をしまう仕草もない。

その場に私しかいなかったからだろうが、『えっ?アタシ見ちゃっていいの?』とこちらが目のやり場に困るほど堂々としている。

がっしりとした体を丸めてカフェテリアで授乳するスコットランドの女性からは、『もし今、誰が邪魔しようと、何が起ころうと、おっぱい出すのをやめませんから』というオーラが立ち上っている。

授乳服ではないので、お腹が覗いているが、それもまったくお構いなしである。

それだけではない。『あきこ、恥かしがっててどうすんの? お乳を飲むのは、赤ちゃんの側の権利でしょう』と言われたこともある。

いかにもゆったり、マイペースで授乳し続ける彼女たちの姿に圧倒されたのは1回や2回の話ではない。

確かに、イノチェンティー宣言(※)(1990年)によると、

 「世界規模で母親と子どもが理想的な健康と栄養を得るために、すべての女性が赤ちゃんを生後6ヶ月まで完全に母乳だけで育てることができるように促進し、またすべての赤ちゃんが6ヶ月までは完全に母乳だけを飲むことができるようにする。その後は、子どもたちに適切で十分な食べ物を補いながら、2歳かそれ以上まで母乳育児を続けるべきである」

とある。

そうなのだ。2歳の娘に授乳するのに、いちいち恥かしがっている場合じゃないんだ。

またまたパリのメトロで発見!

このお母さんもお洒落!

カラフルな手縫いの刺繍が赤ちゃんにぴったり!

イギリスとフランス。飛行機でたった1時間半のキョリなのに、『授乳』ひとつとっても、ずいぶんと違ってくることを今回は身にしみて実感。

産後もオシャレなパリのママたち。

誰はばかることなく授乳するエジンバラのママたち。

どちらにも、それぞれに見習うところがある。

私からみれば、日本という国は実は、その両方のよさをさりげなく保てる国だと思う。

だって日本には、赤ちゃんが生まれたら出来る限り授乳したいと思っている人がたくさんいて、お産の痛みを薬で消さなくても大丈夫かもと思える女性がいっぱい存在して、しかも素敵なお助けグッズが充実している。

授乳を前向きに捉えられて、しかもそれをささやかながら楽しめるというのかな。離れてみてあらためて、いいところだなーなんて、日本は私に発見をさせてくれる。

イノチェンティ宣言・・・1990年に32カ国の政府と10の国連機関(WHO,ユニセフ)の会議で採択され、世界保健総会で1991年に承認された。

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お読み下さりありがとうございました。

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第6回 光と影☯️なぜ炎に惹かれるの 

あらためて、日本を離れてから今日までの数カ月間を振り返る。

子どもを介して人々と交わす一期一会のやり取りから、ちょっとしたこと、

でも、同時に、

今の自分にとってはとても大切なことに気づかされることの連続だ。

エジンバラでの日常生活では、電車やバスに乗り込んだり、川沿いや土手を散策していると、話しかけられることがある。

例えば、電車の中でこちらがハラハラするほど娘が騒いでいるのに

『Oh!ゴージャスな娘さん、今いくつになるの?』

と大学生の娘さんに尋ねられ、日本での学生時代の思い出話をすることになったこともある。

芝生の上を娘が子犬のように走り回っていれば、鳩の餌づけをしていたおじいさんに
『今日は寒いけど君たちは暖かそうだから大丈夫だね』と目を細められた。

そのまま一緒に、しばらくの間、言葉の要らない静かな時間をおじいさんと共有したこともある。

存在を認知される安心感

子どもという存在を介して生まれる、世代も性別も言葉すらも超えたやりとりは、子育てする者をふんわり支える力だなあと思う。

私が、引越しやその後の片づけで髪を振り乱しているとはいえ、日本語の通じない外地にあって、育児ストレスをそれほど感ぜずに済んでいるのも、ここスコットランドでの日常生活に散りばめられたさりげない他者との交流のおかげかもしれない。

意味があるのか、ないのか分からないような言葉でも、ほんの一言かけられるだけで、ただそれだけで、‘あなたたち親子がそこにいるのを私は知っていますよ’と、存在を認知された安心感で満たされる。

迷惑なのでは。。。と周囲の大人たちの顔色を伺っていた日本での子育てとはずいぶん違う。

‘子どもは天使—’少しおおげさかもしれないけれど日本を離れて以来、そんなことを折に触れて、何とはなしに肌で感じている今日このごろ、スコットランドの空はどこまでも高い。

そして、昨晩は、この国で迎える初めての夏至だった。

ドルイトの時代からメンヒルを囲んで祈り、未来を占っていたsummer solstice。

ケルトの影響もあって、エジンバラでは裸祭のような物凄いお祭りがカールトンヒルという丘の上で一晩中開催される。

私も娘をスリングに入れて冷やかしに行ったが、夜中の12時からスタートで、

全員が裸かトップレス。体には塗料や泥を塗り込んで非常にエロティックだった。

松明の明かりだけで、炙り出された皮膚に艶かしく髪の毛がかかり、白い腕や丸いお尻がぶるぶると揺れ、雄叫びや、ドラムの音色に激しく高揚しながら男女が聖なる空間をつくり、浄化していく。

観ているだけで、こちらまでカラダがくねり出したくなるような、性欲を掻き立てるとんでもないお祭りであった。

娘がぐっすり眠っているのに、母の私ときたらDNAが騒ぎ出し、結局数時間身動ぎもせず立ち見をした。

日本でも男根祭りは各地にあるが、性をあからさまにして尊ぶ儀式は真理をはらみ、共通点も多い。

結局、この宇宙は陰と陽。

男と女

光と影

今はアセンションの時代なのだなあ。。。

私はなぜかカラダに抜けていったエネルギーを感じながら、このお祭りに自分が呼ばれた訳が分かった気がする。

娘がいなかったら、自分も裸になって仲間入りしたいくらいだった!

深夜の12時過ぎにようやく空が暗くなって、午前2時ごろには早々と白み始めるスコットランドでの生活に、今の私ほど救われている人間はいないと思う。

夜9時でもこんな明るさ(写真)だから、1日が長く、思いっきり満喫できるのだ。

つい先日も、長い時間と労力をかけてあたためてきた仕事が見事ポシャってしまったというのに、この空のおかげで、気持ちはこんなにも穏やかなままなのが自分でも不思議なくらいだ。

失敗があるということは、成功を見極められる。

何度でも転んで、何度でも、そこから学べる。

この人生は、素敵なゲーム。

泣く自分も、激しく怒る自分も、笑顔の自分も、エロい自分も、わがままな自分も、観音のような自分も、みんなみんな自分であって、良い。

女神イナンナだって、その影の姿を持っていた。

イザナミだって、アルテミスだって。。。

女はそういう得体の知れないもの。

未知の顔を持つ生き物。

白夜のおかげで、私は白蛇のようにぬらぬらと目覚め続け、娘を寝かしつけた後も、たっぷりと時間がある(ように感じられる)ことから、ずっと読みたかった本を読んだり、長いこと聞いていなかったCDを最初から最後まで聴きなおせたり、いろんなことを徒然にまとめたり、考えられる余裕がある。

日本で活動していた時のこと。。。

待っていてくれる家族や大切なともだちのこと。。。

これからのこと。。。

明るい太陽のしたでは思い耽ることのないような人生の事ごとが、窓越しに差し込む薄明かりのもとでは、綿菓子のようにふんわかと、心に浮かんでは溶けていく。

そうやって、居心地のよい時がしばし流れてから、そっと娘の寝顔を見下ろすと、たまたま生かされていることの不思議をしみじみと想う。

『どんな存在にも、生まれてきた目的がある』

雲は、真夜中でも太陽の光がないだけで、刻一刻と動きを止めず流れていると肌で分かったり。

暗闇があるからこそ星が瞬いていたことにあらためて気づいてハッとしたり。

そんな当たり前過ぎることに驚いてしまう自分に、また驚いたりする(馬鹿か)。

自宅前の公園に夜10時くらいに出没したリス(写真)を目で追いながら、白々とした白夜の光は、現実を万華鏡さながら、くるくると円を描くように変容させながら映し出してくれるものなのだ。

こうして、静かに過ぎていく『今』にも、

また、

結果的には報われなくても、

自分なりに向きあった『過去』にも、

どれにも大切な意味があると、こころから思える今宵。

いつまでも私を包んでくれるやわらかい光以外に、

私はいったい何に感謝すればいいのだろう。

『どんな人にも、生まれてきた目的がある。人生で起きるすべてのことは偶然にみえるけど、すべては必要があって起きている。そして誰もが、自分自身の人生のストーリーをあらかじめ書き終えてからこの世に生まれてきている』

今の時期に地球のこの位置に自分が在るのも、目的あってのことなのだ。

このブログを読んでいる貴方にも、とんでもない目的があって、今のここに生かされている。パラレルに体験している人生では全員が主軸。

主役である。

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お読み下さりありがとうございました。エジンバラに住んでいた10年以上昔のブログを復刻させたものですが、ひょっとして子育て中の方の参考になるかもしれない?と思いました♪

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