施設分娩について 

病院で赤ちゃんを産んだ女性(医療者)
で、助産院でのお産やホームバースを
長年応援している私の活動に対し
「?」をお持ちの方へ向けてお返事
を書いたので一部をシェアしますね♪

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あたたかいメッセージをありがとう
ございます。とても心温まるお産を
体験されたことが本当に嬉しくて、
その病院でのお産を思うにつけ、
だからこそ今の◯◯さんが優しく、
人に尽くされるお方であることを
つくづく想いました。

実際のお産で、◯◯さんはご自身を
素直に明け渡すことができて、
たくさんの方々に見守られて、
しあわせに満ちたライフイベントに
していけて本当に素晴らしいですね。

わたしも、すべての女性が◯◯さんと
同じような体験をされますように。。。
と思います。


立場上、産後うつの女性のお話を
聞く機会が多いので、残念ながら、
施設によってずいぶんと出産体験の
質が違うなぁと感じている次第です。

自殺未遂を繰り返される方、お子さん
をあやめようとしてしまったお母さん、
産んだけれど自分には育てられないと
育児放棄の状態となっている方、、、。

様々なお話を聞くにつけ「継続ケア」
はとても大切だと思うのです。



なぜなら、妊娠中からずっと同じ方々
が見守っていたら、そこまでの事態に
陥るリスクはおさえられる筈だからです。

だからこそ、◯◯さんの体験された
ような、毎回顔なじみのスタッフさん
に出会えて、楽しく妊娠経過でした!
というお話は私も今後もっともっと
聞きたいです♪

しつこいようですが、これまで日本や
各国で聞いてきた話は、葛藤に満ちた
しんどいものが圧倒的に多かったので。。。

ありがたいことに日本では、助産師さん
も産科医師も、看護師さんも、みなさん
とても親身に産婦さんに寄り添って下さる
医療者ばかりで、各国と比較したら日本で
産む方は大変恵まれています。

そんな中、日本のお産に欠けている
ものがもしあるとしたら、それは、
私たち、産み手の意識だと思います。

◯◯さんのように、ご自身を、その場
その場で素直に自己表現できていれば、
手厚い寄り添いケアが受けられる国
なのですから。。。

でも、みんなが◯◯さんのような人では
ありませんよね。。。そうでなければ、
こんなにもたくさんの

「病院で一人ぼっちにされた」

といった声を筆頭とするたくさんのお声が
私の耳に入ってきたり、ブログなどの文章や
クラブハウス、Youtubeなどで頻繁に
見聞きすることはありません。

さらに言うと、医療者の方々も心の葛藤
を抱えていらして、その本音をたくさん
たくさん私は日常的にお聞きしています。

「もっと親身に寄り添いたいのに
他の仕事で忙しくて継続ケアできない」

「お一人のケアに集中できない環境」

周産期の医療者の方々は、特に規模の
大きな施設にお勤めの方々は、そんな
ジレンマを日々感じていらっしゃるの
ですね。

なぜだと思われますか?それは、今の
産科医療がかなり変化しているのです。

よく、欧米で20年前に起きたことが、
20年後に日本に起きると言われますので、
これは、「他山の石」ではなく、ご自分の国の
こととして読んで頂けたら嬉しいのですが、

この半世紀、欧米で発展したのが
出産の医療人類学、なんですよね。
特に中でも医療者の方々が、この
医療人類学という学問を通して、
近代医療の在り方に疑問をもって、
よりよい医療の方向を見定めようと
取り組まれています。

私がエジンバラ大学の大学院で
医療人類学を学んだ時も、教授は
MD(GP)の方々でしたので、
彼らの現場での葛藤は授業の中で
日常的に見聞していました。

私は、医療を恩恵としてありがたく
享受している身として、正直、医療の
在り方について、モノを言える立場
ではありません。

ただ、事実として、これからの医療の
在り方について、世界的な見直しが
課題となっていることを広く知って
おいて頂きたいだけなのです。

ロンドン在住の勤務助産師さんのシェア
してくださった故Sheila Kitzinger博士の
胸にしみる言葉を今一度読んでみましょう。
この本は私も卒論を書きながら参考に
した本なので懐かしいのですが、いつ
読んでも色褪せることはありません。

In any society, the way a woman gives birth and the kind of care given to her and the baby points as sharply as an arrowhead to the key values of the culture.

by Sheila Kitzinger (1978). “Women as mothers”

野生の本能の立ち上がるお産の場
にあって、もっとワガママ、「我れがまま」
に私たちが振る舞えたら。。。きっと
怖かった、辛かったという体験を語る
女性はもっと減っていく、というのが
私の学んできた先生方の考え方です。

ちなみにイギリスでは、病院のような
施設においては、one-to-oneの継続ケア
の提供し難いことが、このリンク
(継続ケアを切に求めるUKの女性
たちのリアルな声)から学べます。

今、日本の産科医療も、
「担い手不足」と「相次ぐ産科の閉鎖」、
そして「お産集約化」によって医療崩壊
が起きていることはすでにご存知かと
思います。

◯◯さんや私の産んだ時代とは少しずつ
変化し、よりお産の欧米化が進んでいます。

そこでひとつ参考になるのが、イギリス
NICEと呼ばれるガイドライン(2017)の
1−1−2という項です。

64000人の健康な女性を対象にした
birthplace 2011 (Blix et al. 2012) の研究を
ベースにつくられた2017年に最新アップ
デートされているNICEガイドライン
(Intrapartum care for healthy women
and babies Clinical guideline 【CG190】)
の1.1のplace of birth の2項です。


その項では、要約すると、すべての医療者は、
たとえ初参の女性であっても、二人目以降の方
であっても、母子共に経過が良好な女性にとって、
自宅か、助産院か、院内助産院で産むことのほうが、
母子にとって利点がありますと必ず伝えるように、
と明記されています。

「医学モデル(obstetric model)」で産むことが、
「介入の滝」を引き起こし、緊急帝王切開や
吸引鉗子分娩に陥る確率を何倍にも高める
事実がEMBでとれているからです。出産時の
大量出血で輸血が必要になる率も病院で
始まったお産では、3倍となります。

このことは、WHOの提言だけでなく、先にも
挙げた、私が信頼するお仲間で、一緒にSOIS
の活動を続けているロンドン在住の勤務助産師
さん方(「チームみんなでお産をみなおさん?」
の小澤さん)もあらためてデータで共有して
くださいました。よく勉強会を開催して下さ
っている素敵な助産師さんのユニットです。

すずきともこさんのブログには、
ステイホームな自宅出産を学ぶ
「チームみんなでお産をみなおさん?」
勉強会の様子も記されています。
↓↓↓

https://ameblo.jp/bonyu-kosodate/entry-12657409365.html


継続ケアはもっとも大事なことのひとつ
としたうえで、助産師を伴った自宅分娩
や助産院分娩の利点を広く伝えている
医療者が世界中にたくさんいます。

病院では「one to one の継続ケア」の実践は
現実問題、難しいんだよね、と認める医療者
の方々が本当にたくさんいらして、私たち
バースドゥーラのような存在が、そこを
補完的に担っていく時代がもしきてしまった
のであれば、私は正直、胸が痛みます。

でも、
もし。。。
今バースドゥーラが求められている
のであれば、それは。。。     

個人的な体験を超えて、広く未来を
見据えながら(予見しながら)、
深い見識と共に、欧米化しつつある
日本のお産に警鐘を鳴らせるような
人的リソースが求められていること
だと思います。

私がそう思う理由は、日本では、
お産は病院でなされるものという
のがまだまだ常識で、ほとんどの
命が病院で産まれているという偏重
が起きているからなんです。

もしも、この比率が例えばオランダの
ように、数割が自宅分娩で、残りが
病院や助産院であったならば、私は
今こういった活動はしていないと
思います。

現状、ほとんどの女性が
「obstetric model」と呼ばれる
「医学的モデル」で産んでいます。

決して「医学的モデル」のお産を否定
していません。むしろ、繰り返しますが
恩恵だと思っています。

そのうえで、「一人ぼっちにされて辛かった」
という女性たちの体験をしっかり聞き取りたい。

そんなに難しいことではないはずです。
救命救急の医療の素晴らしさと、助産師さんと
産む生理の範疇としてのお産の素晴らしさを
同時に語ることは。

もっと精進して、これからもその両方をバランス
よく伝えていきたいと思っています。ですから、
大きな施設でしあわせに産んでいったご自身の
体験をもっともっと聞かせて頂きたいです。

私には◯◯さんのお力が必要です。
ひょっとしたら、◯◯さんにとっても、
バースドゥーラの視点を身につけることは、
よりよい医療者として必要なポイントと
なるのかもしれないと思い、差し出がましい
お返事になってしまったことをお許し下さい。

私は言葉足らずなので、どうしても
伝えきれない部分はあるのですが、
それでも等身大の自分で書かせて
頂きました。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

というお返事を書いたのですが、
まるごとのコピペではなく、リンクを
貼り付けたり、一部プライバシーを
伏せたりして、こちらにもアップしました。

いくら伝えようと思っても言葉では
なかなか伝えきれない部分ですね。

すべての女性がお産で寂しい思いをしない
ように、シンプルにそこだけを見つめて
今日もつぶやいていこうと思います♪

*写真はすべてロンドンのわたしの
お気に入りの公園です♡

#LOVEドゥーラAkiko

リコンサイル

人は変われます。
子産み子育て中は、

「じかんぐすり」が、
思いのほか効きますよ。

ぜったいに許せない!と
思っていたことでも

少しずつ記憶の角が取れて、
まあるくなっていくんだから。

考えてもみてください。

悲しみやぎこちない感情を
溜めたままだと、

慢性的に心がかたまり、
カラダもほぐれていかない。

ケアギバーとしても、
母親としても辛いから、

じかんぐすりが効き始める
まで、目の前のことに
集中してみればいいですね。

お産そのものの進行だって、
妊婦さんに気持ちのわだかまり
があるよりも、ほわ〜んと
ほぐれてスッキリしていたら
よりスムーズにいきます^_^

産む女性。
見守る家族。
それを産前〜産中〜産後と
見守るチームのみなさん。

そのお一人お一人の役割は
どこまでも広く、大きい。

最近では、どんなことが
起こっても、まず起きたこと
に対する心からの感謝、
「ありがとう」が昔より
ずっと素直に出てくるように
なりました。

私がじかんぐすりの効果を
宇宙一感じている人間かも
しれません。

声のブログ(ameblo)にも
こんな話を残しています
↓↓

15年来の仲間同士が仲直り!

https://ameblo.jp/todoa777/entry-12643699347.html

七草のもたらす身体感覚

パリはまだ1月7日です。
昨日は七草粥を召し上がりましたか?

「せり、なずな、
ごぎょう、はこべ、ほとけのざ、
すずな、すずしろ。。。」

春の七草を声にして発音すると、

私の中で

一瞬にして春がやってきます。

雪解けの小川がさらさらと

自分の中を通り抜けていくような、

すがすがしい気持ちになるんです。

言霊というのでしょうか。

ななつの草の名前を呼ぶ時、
私たちは、植物たちの根っこに
呼びかけているのだと思います。

その音の運んでくる
何とも言えない身体感覚が

私の中で
あまりにも心地よくて、

我が家では春の七草を秋の七草と
をセットにして、歌のようにして
我が子たちが3歳の頃から空で
暗記させています。

そう、まるで楽しい歌のように、
ころころと笑いながら私が
唱えていると、自然と子ども
たちは覚えてしまいました。

その調子で、いろいろなもの、
例えば天体の配列とか、
ことわざ、百人一首とかを
するする〜っと感覚で覚えた
娘は、

いまでも不意に、

「おかーさんありがとー」

って言います。

心地よさのお裾分けをありがとう、

っていうことだと
密かに解釈しています、私は。

快・不快の感覚をとても
大切にしてきた人間として、

一番嬉しい!ことです。

バースドゥーラとしても、
ずっとそこは課題です。

自分が言われたり、
やられたりして嫌なことは
したくない!って思いますから。

もちろんそれでも人間なので
気づくといつの間にか
しでかしてしまう時もある。

だから、
日々そんな自分の弱さにも
ちゃんと向き合いながら、

同時に、

最終的には自分が
「あ〜気持ちいい」という
感覚に意識的に立ち戻って、
自分軸を立て直している毎日です。

そのポイントのひとつなんですが、
新年なので、少しお裾分けさせて下さい。

それは。。。

無駄に思考を使わないこと!

これに尽きます。工夫して、
気持ちを【快】にしていきます。

今度スタートする
バースドゥーラ養成講座で
詳しくお伝えしていきますが、

とにかく

あれやこれやと詮索したり、
心配してしまう気持ちを

かる〜く手放して、

本当に、

本当〜に
ゆるんでいると、

物事はすべて良い方向へ進んで
いると信じられます。

で、実際に人生変わってきます!

他人にどう思われるか
なんてことは、

もう手放さないとなりません。

思考したくなるのは分かるけれど、

人のためにどこまで尽くせるかな〜とか、

まともな人間として、
どこまでかっちりきっちりこなせるかな〜とかを

いちいち自分に科したり、
自分に求めていると、

大袈裟ではなく、

人は、

死にますね。

私は少なくとも、死ぬ!!!

もう、その部分は
この人生でとことん
味わってきましたよ。

じゅうぶんに深掘りもしてきたので、

周囲からプレッシャーを
与えられたり、

無理なことを課されたり
しない人間になりました。

だってね、冗談でなく、
周囲に応えようと頑張ると

たちまちエネルギーが弱り、
本来の力を、

自分の中でも、

まわりの世界との間でも

心地よく循環できなくなる
ことを過去に学んできているのです。

繰り返しますが、
人生は何事も、

心地よいか、
心地よくないか。

そこだけを大事にして
生きる姿勢は、

決して他者に崩される
ものではないと思っています。

人権問題ですね。

いかに、私たちがもろく
簡単に影響されたり、
傷つけられたり、
崩されたりするかということを
私は完全に理解していますし、

それに対応するツールについても
自分なりに研究し、
実践しているんです。

そこが、

自分を生きる

という醍醐味だと思います。

ちなみに娘ですが、

幼すぎて意味もわからないうちから、
イタリア語のフレーズやら、
奇妙なことわざやらを
暗記させられていた子です。

実は娘なりに
「どこで役立つんかな〜??」

と中学生になるまでは
思っていたらしいんです。

それが、

中学生のある日、
ロンドンにある日本の塾で
(当時はイギリスに住んでいたんです)、

「現地の学校に通っているから、
どうせ知らないと思うけど」

という口調で先輩たちが
「暗記するの大変だよね〜」

と話していたので、娘が
「なになに〜?」と会話に
加わり、

「あ、春の七草ですか?
せり、なずな、ごぎょう、
はこべら、ほとけのざ、
すずな、すずしろ、ですよね?」

とさら〜っと言った瞬間、
先輩たちが

「えっ?」

とビックリしたんだんだそうです。

もちろん娘は、自分が好きで
歌のように誦じていた
ささやかなことで一目置かれる
ようになるとは思いもよらず、

本当に驚いたんです。

で、その時に、めちゃくちゃ
嬉しくて、海外にずっと住んでいても
日本と繋がっている!と
気持ちが良くなったんだそうです。

だから、

ごくごくたま〜に、
不意に、

おかーさーん、ありがと。
日本語楽しく教えてくれて。

って言ってくれたりします。

たぶん、
学びって、
本来は
心地よさの共鳴、
なんじゃないでしょうか。

そんなことを感じながら
今年も地に足をつけて
生きていきたいと思います。

昨年は身内に不幸があり、
新年のご挨拶を控えさせて
頂いておりましたが、
どうぞ本年もよろしく
おねがいいたします✨

木村章鼓 LOVEドゥーラAkiko