七草のもたらす身体感覚

パリはまだ1月7日です。
昨日は七草粥を召し上がりましたか?

「せり、なずな、
ごぎょう、はこべ、ほとけのざ、
すずな、すずしろ。。。」

春の七草を声にして発音すると、

私の中で

一瞬にして春がやってきます。

雪解けの小川がさらさらと

自分の中を通り抜けていくような、

すがすがしい気持ちになるんです。

言霊というのでしょうか。

ななつの草の名前を呼ぶ時、
私たちは、植物たちの根っこに
呼びかけているのだと思います。

その音の運んでくる
何とも言えない身体感覚が

私の中で
あまりにも心地よくて、

我が家では春の七草を秋の七草と
をセットにして、歌のようにして
我が子たちが3歳の頃から空で
暗記させています。

そう、まるで楽しい歌のように、
ころころと笑いながら私が
唱えていると、自然と子ども
たちは覚えてしまいました。

その調子で、いろいろなもの、
例えば天体の配列とか、
ことわざ、百人一首とかを
するする〜っと感覚で覚えた
娘は、

いまでも不意に、

「おかーさんありがとー」

って言います。

心地よさのお裾分けをありがとう、

っていうことだと
密かに解釈しています、私は。

快・不快の感覚をとても
大切にしてきた人間として、

一番嬉しい!ことです。

バースドゥーラとしても、
ずっとそこは課題です。

自分が言われたり、
やられたりして嫌なことは
したくない!って思いますから。

もちろんそれでも人間なので
気づくといつの間にか
しでかしてしまう時もある。

だから、
日々そんな自分の弱さにも
ちゃんと向き合いながら、

同時に、

最終的には自分が
「あ〜気持ちいい」という
感覚に意識的に立ち戻って、
自分軸を立て直している毎日です。

そのポイントのひとつなんですが、
新年なので、少しお裾分けさせて下さい。

それは。。。

無駄に思考を使わないこと!

これに尽きます。工夫して、
気持ちを【快】にしていきます。

今度スタートする
バースドゥーラ養成講座で
詳しくお伝えしていきますが、

とにかく

あれやこれやと詮索したり、
心配してしまう気持ちを

かる〜く手放して、

本当に、

本当〜に
ゆるんでいると、

物事はすべて良い方向へ進んで
いると信じられます。

で、実際に人生変わってきます!

他人にどう思われるか
なんてことは、

もう手放さないとなりません。

思考したくなるのは分かるけれど、

人のためにどこまで尽くせるかな〜とか、

まともな人間として、
どこまでかっちりきっちりこなせるかな〜とかを

いちいち自分に科したり、
自分に求めていると、

大袈裟ではなく、

人は、

死にますね。

私は少なくとも、死ぬ!!!

もう、その部分は
この人生でとことん
味わってきましたよ。

じゅうぶんに深掘りもしてきたので、

周囲からプレッシャーを
与えられたり、

無理なことを課されたり
しない人間になりました。

だってね、冗談でなく、
周囲に応えようと頑張ると

たちまちエネルギーが弱り、
本来の力を、

自分の中でも、

まわりの世界との間でも

心地よく循環できなくなる
ことを過去に学んできているのです。

繰り返しますが、
人生は何事も、

心地よいか、
心地よくないか。

そこだけを大事にして
生きる姿勢は、

決して他者に崩される
ものではないと思っています。

人権問題ですね。

いかに、私たちがもろく
簡単に影響されたり、
傷つけられたり、
崩されたりするかということを
私は完全に理解していますし、

それに対応するツールについても
自分なりに研究し、
実践しているんです。

そこが、

自分を生きる

という醍醐味だと思います。

ちなみに娘ですが、

幼すぎて意味もわからないうちから、
イタリア語のフレーズやら、
奇妙なことわざやらを
暗記させられていた子です。

実は娘なりに
「どこで役立つんかな〜??」

と中学生になるまでは
思っていたらしいんです。

それが、

中学生のある日、
ロンドンにある日本の塾で
(当時はイギリスに住んでいたんです)、

「現地の学校に通っているから、
どうせ知らないと思うけど」

という口調で先輩たちが
「暗記するの大変だよね〜」

と話していたので、娘が
「なになに〜?」と会話に
加わり、

「あ、春の七草ですか?
せり、なずな、ごぎょう、
はこべら、ほとけのざ、
すずな、すずしろ、ですよね?」

とさら〜っと言った瞬間、
先輩たちが

「えっ?」

とビックリしたんだんだそうです。

もちろん娘は、自分が好きで
歌のように誦じていた
ささやかなことで一目置かれる
ようになるとは思いもよらず、

本当に驚いたんです。

で、その時に、めちゃくちゃ
嬉しくて、海外にずっと住んでいても
日本と繋がっている!と
気持ちが良くなったんだそうです。

だから、

ごくごくたま〜に、
不意に、

おかーさーん、ありがと。
日本語楽しく教えてくれて。

って言ってくれたりします。

たぶん、
学びって、
本来は
心地よさの共鳴、
なんじゃないでしょうか。

そんなことを感じながら
今年も地に足をつけて
生きていきたいと思います。

昨年は身内に不幸があり、
新年のご挨拶を控えさせて
頂いておりましたが、
どうぞ本年もよろしく
おねがいいたします✨

木村章鼓 LOVEドゥーラAkiko




潜在助産師とバースドゥーラの出会い

ピンクのシャツを着て私と手を繋いでいるのが西川直子さん、 直子さんお疲れさま―!とロンドンのお産関係の皆さんと記念撮影しました
ピンクのシャツを着て私と手を繋いでいるのが西川直子さん、直子さんお疲れさま―!とロンドンのお産関係の皆さんと記念撮影しました

潜在助産師という言葉を皆さんは聞いたことがあるでしょうか。私の中で「潜在助産師」といえば、助産師の国家資格を得て最初の数年間は施設勤務をしたけれど、結婚や出産を機に一時的に職場を離れ、その後、助産師として職場復帰しないというようなイメージが浮かびます。現在の日本には潜在助産師と呼ばれる状況の方は7万人ほどいらっしゃるそうです。私が数年間「ペリネイタルケア」(メディカ出版)に「ドゥーラからの国際便」というタイトルで連載させて頂いていた時にも、そのことがいつも頭の隅で気になっていて、コラムにも書いたことがあります。
10年ほど前、まだ日本に住んでいた頃に、「子どもを産むまではバリバリ実家の近くの総合病院で働いていたけど、あれから時間が空いてしまったし、子育てでも今の自分にはぜんぜん納得がいってないし、助産師として病院で働いていたなんて恥ずかしくてとても言えない」と、潜在助産師のお友達がこぼしていました。「周囲には絶対に言わない」と決めていらっしゃる様子が痛々しかったことを覚えています。もちろん私は「えー、言ってもいいじゃない!」と思いましたが、それがその時の彼女の在り様なのだから、彼女の‘ありのまま’を想い、信じることにしました。その後、彼女は助産師としてではなく、別の仕事に就いていますが、キラキラと輝き、働くママとして素敵な人生を生きています。

それにしても、子育て、転職、海外転勤、と人生にはいろいろあるもの。さまざまな事情はあると思いますが、せっかく助産師になったのであれば、そのスキルを眠らせておかずに、助産師パワーにあふれた生活を送ってもらいたいなと、助産師さんの一番の味方を自負する一人のドゥーラとしては願ってやみません。

そんな中、私が参加させて頂いているコミュニティーのひとつ(「お鍋の会」というお産関係のメーリングリスト)に、一年ほど前、ロンドンに到着したばかりという助産師さんからの書き込みがありました。世話焼きオバちゃんの私はすぐに、ようこそロンドンへ!と返信しました。そしてなんとその日のうちに娘の通う学校で待ち合わせることになったのです。そうやって急発展で助産師の西川直子さんとの交流が始まりました。

我が家を開放して開いている「らくだの会」には、コミュニティーミッドワイフ(ホームバースをメインに活動する助産師)の小澤淳子さんと一緒に西川直子さんには何度も足を運んで頂きました。一緒に時を重ねるうちに、お産に対する直子さんの熱い想いがひしひしと伝わってきました。今は現場にいないけれど、助産師として役に立ちたい、海外に住むことになった自分に何かできることはないのか?そんな思いを胸の奥に秘めながら、慣れない土地で幼い子どもたちを育てる直子さんのひたむきな気持ちが、すでに地元で助産師として働きながらネットワークを築いていたロンドン在住日本人助産師のみなさんを刺激したのでしょうか。ロンドンの助産師相談会の話があれよあれよという間に一気に軌道に乗ったようです。お互い見知らぬ者同士がほとんどだった最初の頃は、顔合わせの場として我が家を提供させて頂いていましたが、そのうちにメンバーが増え、距離の関係で直子さんのお宅へと移り、さらにはロンドンのイーリング市内のとある施設の一室へと移りました。

今では、毎週そこで長年開かれているベイビー&トドラーグループJ-Home byECCJ日本語教会(※)の集まりに、第一木曜日(10時)だけ、日本人助産師さん(ローテーションで担当)が母子相談にのるというボランティア活動が定着しました。場所は教会ですが、クリスチャンでなければ参加できないといったことは一切ないそうです。

直子さんは、病院勤務の現役助産師さんなどと比べ時間に余裕のある分、「忙しいみんなの代わりに何でもできることをします!」という姿勢でいつも協力して下さっていました。何かイベントを開くたびに、参加者の名簿や、各回の議題などをささっとまとめ、毎回またたく間に全員に配信してくれましたので、「らくだの会」も、直子さんのおかげでとても助かっていました。

その彼女が、再び、ご主人の転勤に伴いスペインへお引越しとなってしまったのです。いつもは旅立つ側の私が、めずらしく送り出す番です。涙をこらえ、彼女の助産師としてのパッションを称えながら、そして素敵なご縁に感謝しながら、「いってらっしゃーい!」と見送りました(つい先日、スペインへと旅立っていかれました)。
一人の潜在助産師さんが去った後、ここには眼に見えない絆、横のネットワークが置き土産として残されました。先述のイーリングの助産師相談会は、それぞれに想いをあたためていた助産師さん方は既に存在していたにせよ、直子さんのあの目覚ましい起動力がなければ今も最初の一歩を踏み出せていなかったと想像します。
つくづく、ひとりの力は大きいなぁと思います。たった一人では何もできない、ではなく、たった一人でもこんなにたくさんのことができるんだと痛感します。みんなが笑顔で子育てできるには一歩ずつ何をしていこうか、と真剣に考えている直子さんのような助産師さん。実はきっと、世界中にたくさんいらっしゃると思います。
直子さんは、「継続ケアの臨床経験は数年間しかありません」と公言されていました。でも私は、そんなことは気にしないでほしいと思います。助産師として臨床経験が多くても、中には、充足感を感じにくい職場状況で無理に働かざるを得ないままきているという方もいるでしょう。たとえ短い臨床経験であっても、多くの学びを得ながら豊かに自己研鑽し続けている助産師さんも多数おられることでしょう。
「助産師ですけど臨床経験少ないです。自分の子育ても自信ありません。でもお産が大好きです!赤ちゃんも大好きです!」と笑顔で体当たりしていく直子さん。そんな解放感あふれる彼女のもとに、たくさんの人たちが集まり、交流を深めることができました。‘くまなこさん’として、ブログも書かれていますhttp://ameblo.jp/jyosanshikuma/)。

世界中の潜在助産師さん!お産を扱っていなくても、職場復帰していなくても、まず、「私には助産師資格があります」と周囲に表明してみてくださいませ。そこから始まっていく新しい関係がきっとあると思います。

今回の私たちのように、(潜在)助産師が、住まう地域で、現役助産師、ドゥーラ、ヨーガインストラクター、臨床心理士、ヴェジタリアンの寿司職人、ヒプノバースのセラピストなどと繋がって、ローカルにお産シーンを盛り上げていくというのは、産みゆく女性とその赤ちゃんのこころの健康にとって常に大きな可能性を秘めていると思います。

他にも、自然食材の生産者、絵本作家、手作りのオモチャや手芸を作るアーティスト、美しい音色を聴かせるミュージシャンなど、その土地で活躍する他業種・異業種の横のつながりを大切にすることは、『いいお産の日』のイベントの盛況ぶりをみても分かる通り、女性が、母子が地域とつながるきっかけとなります。助産師がイベントの中核に携わっているけれど、助産師だけでは広げにくいダイナミクスと奥行きの幅をその活動にもたらすものです。だからこそ、ひとりひとりの小さな働きは、全体でみると、本当に大きいものなのですね。「一人はみんなのために、みんなは一人のために」という言葉があるけれど、一人ずつがささやかな力を持ち寄って生き生きと動く時、まるでパズルがはまったように、新しい絵が見える瞬間がやってくる、そんな気がしてきます。

※ベイビー&トドラーグループJ-Home byECCJ日本語教会
268 Northfield Avenue,
Ealing, London W5 4UB United Kingdom

Facebookページ、そして、J-HomeのFacebookページは以下を参照ください。

ECCJ日本語教会 FB Page:
www.facebook.com/ECCJ.Japanese.Church.in.London
J-Home FB Page:
www.facebook.com/ECCJ.BabyToddlerGroupForLondonJapaneseMum.JHome

男性助産師の存在について from London

慶應大学の教授と看護学生さん方を1日研修でご案内

毎日新聞のウェブサイトに連載を書かせて頂いていた12年前(Oct2003-Nov2004)、私は自分の中の『男性助産師に対する抵抗感』をハッキリと、また、かなり辛辣に述べてしまった記憶があります。私の書く文章は、当時は産み手としての感覚が前面に出ていたために、男性助産師に介助されることへの個人的な拒否感や、リラックスしていれば放出されるはずのホルモンが出にくくなるリスクなどを書き連ねたのです。

男女平等を謳う現代の先進国では、理屈に合っていても、感覚的には消化しきれないいろいろなことがあります。例えば、男性助産師の存在も、私にとってそのようなものでした。パートナー以外の異性の存在自体が分娩の自然な進行の大きな妨げになるのではないか。見ず知らずの男性の前で、産婦の命の道は無理なく開いていくのだろうか。ただでさえ医師は男性が多いのだから、助産師まで男性となると、男性主導的な空気に満ち満ちてしまうのではなかろうか。個人的な主観として、男性が助産師として介在することはあきらかに不自然な人的セッティングではないだろうか。。。などと感じてきたのです。

いみじくも時を同じくして、2003年のイギリスのガーディアン紙ウェブ版(http://www.theguardian.com/lifeandstyle/2003/may/14/familyandrelationships.nhs) には、その頃まだ100名程しか存在していなかった男性助産師をめぐる記事が掲載されていました。その中のある産後女性の言葉が印象的です。‘私はいつしか彼が男性であることを忘れていました。そのくらい、私にとって真に寄り添ってくれる誰かがいるということは、その人間が男性か女性かであることよりも出産にあっては遙かに重要だったのです’という趣旨のインタビューです。

UKで男性助産師が正式な現場デビューを果たしたのは、今から30年以上も前の1983年。イギリスは世界に先駆けて実験的な試みをしてきた『進歩的』な国なのです。

一方の日本では、助産師国家試験の受験資格者は女性となっているので、2015年の今でも、あらかじめ女性にしか門戸を開いていません。日本では産み手側が声をあげ、日本各地のお母さんたちが署名運動を展開して、男性助産師の誕生を阻止しようと奔走してきた歴史があります。

こんなことを書くと誤解を招いてしまうかもしれませんが、一般的に日本には、欧米と比較して、『論理性よりも五官で感じるものを大切にしてきた』歴史や国民性があるように私には思えます。私自身が日本人なので、偏りのある意見かもしれませんが、20年近い海外生活を通してよく感じることです。日本は、欧米のように、論理的な思考が求められる場に遭遇する回数が少なくて、楽だなあ、と。1から10まで理路整然と逐一説明のできることもあるけれど、グレーゾーンは必要があってグレーなのだから、白黒ハッキリとしなくても、その色のままでいいのかも、と思っている私のような何事に対しても曖昧な部分だらけの人間にとって、言葉を論理的に積み重ねていく欧米のものの考え方はしんどく感じることもあります。けれども同時に、新しい価値を切り開いていく力があるとも感じるのです。

だからこそ、日本と同じように(女性の)助産師と産み手側による反対運動があったにもかかわらず、この国は最終的に男性助産師を導入しました。The Sex Discrimination Act (男女性差別禁止法)のような法制が、1975年の時点ですでに整っていたUK内では、あらゆる職業において、性差を超えて平等を追及する機運があったのでしょう。確かに、分娩を診る産婦人科医は男性が多いのだから、助産師の中にも男性がいて当然だ、という考えは理解できますが、当時の私には懸念がありました。

職業上の性差別という先入観を抜きにして考えてみると、男性助産師とは、産む女性とその赤ちゃんの健康のために女性の助産師に遜色なく貢献できるだろうか。。。具体的にケアの受け手にはどんな恩恵があるのだろう。。。ましてやAIMS(産科医療消費者センター)のあるような国で、男性助産師をケアギバーに選択しない女性がまだまだ圧倒的に多いなか、男性助産師導入以降、この30年余り現場はどのように機能しているのだろう?産み手の選択の自由はどのくらい守られているのか?できれば現場で男性助産師の生の声を聞いてみたい、彼らはどんな想いで働いているのだろう?そんな好奇心のような気持ちが私の中に消えるともなく、燃え上がるともなく、ずっとありました。

そんな私の長年のこだわりを少し溶かしてくれるような出来事が、つい先月偶然起こりました。慶応大学の先生方と看護学生12名を、ロンドンの大学病院の産科病棟&バースセンター視察にお連れした時のことです。案内役を引き受けて下さった知り合いの助産師さんと産婦人科医の先生が、「男性助産師が今日いるよ」と教えて下さったのです。急きょ、その方を呼んで頂くことになりました。

顔では笑顔を繕おうとしていても、内心ドキドキしながら彼と握手をした私。今までの抵抗感が強かった分、正直、ちょっと後ろめたい気分です。続いて、慶応の先生方、学生たちが次々に挨拶をして、いたって和やかなムードのなか、みんなで記念撮影などをしながらも、私は男性助産師のヘスース氏に、今までたずねてみたかったいくつかの質問をさせて頂きました。

「男性助産師として限界を感じることってありませんか?」「どんな時にやりがいを感じるんですか?」「今までに断られたり、拒絶されたりしたことは?」などと、突撃レポーターのような辛口な質問は私の口から勝手に飛び出してしまいます。申し訳ないと思いつつも質問をさせて頂き、そのひとつひとつにヘスース氏はとても丁寧に、またパッションを込めて答えて下さいました。

ヘスース氏の返答を要約すると「確かに、母乳育児指導では限界を感じることがある。そんな時は周囲とチームで診ているので別の人(女性)に頼めるから、乗り越えているのだとは思うが、確かに、男性であるというだけで最初から受け入れてもらえない部分は、ある。でも、今まで長年スペインとイギリスで仕事をしてきて、頭から拒絶されたことはほとんどない。もちろん、あらかじめ男性助産師が嫌だという妊婦さんは受け持たないので、自分がケアする相手は基本的に男性助産師であってもよい、という人たちなので、そこのところは引き算して考えないといけないけれど、大抵みんな好意的ですよ。特に、パートナーが父性を開花させやすくする媒介者として、自分が関わることがとてもプラスになっていると実感できることがある。そんな時は、これこそが僕の使命、生かされている!と感じます」というような内容でした。

が、私はそんな彼の言葉よりも、50代とおぼしき彼の放つキラキラとしたまなざしのほうに圧倒されていました。というか、完全に引き込まれてしまいました。ああ、こんな気持ちで現場に立っている男性助産師がいらしたんだなーと驚き、自分の中の認識を新たにしたのです。

人は見かけでは判断できない、そう頭で分かっていても、なかなか実際には難しく、無意識のうちに、相手をジャッジしている私たちがいます。でも、考えてみると、LGBTの世界的ムーヴメントをみてみても、男性として生まれ、女性として生きる決断をした男性や、その逆という人々が今や20人に一人の割合で存在している世の中ですから、そういった観点からも、自分の中の無意識の差別や間違った認識に気づくことは大事なことだと自戒しました。

ところで、2014年の11月に書かれたテレグラフ紙の記事(http://www.telegraph.co.uk/men/thinking-man/11202075/No-job-for-a-man-Meet-the-male-midwives.html)を読むと、現場で働いている男性助産師は103名(女性の助産師は31,189)となっています。意外なことに、この12年ほどの間、ほとんど男性助産師の数が増えていないのです。なるほどニーズがやはり少ないのだな、、、と思わざるを得ません。ましてや移民の多いイギリスではイスラム教徒は宗教的な理由から男性助産師は選ばない。そう思うと、『進歩的』な国の今後の『選択の結果』から目が放せません。

おしまいに、『助産師』の英語の呼称「midwife」について。語源は、13-14世紀にはじまる「midwif」にあり、この「mid」とは、「with ~とともに」や「付き添う」といったニュアンス。そして「wif」とは「女性」を示すそうです。つまり、『女性とともにある女性』が、本来のミッドワイフが包含する意味なのです。古来から求められてそこにあった存在。それが、どの時代にも、どのような場所であっても、人が在る限り、助産師であったと思います。今では時代とともにドゥーラの仕事が独立して行われるようになりましたが、基本的に助産師とは、すでにドゥーラでした。そういう広い視点からは、最も古い職能のひとつとしてドゥーラ、助産師があったというのは確かなことでしょう。