「妊産婦さん」から「患者さん」へ

公開講座「患者学」にてバースドゥーラの活動の紹介および遠隔サポートのケア事例紹介

妊娠中から始まる遠隔ケアについて

オンライン公開講座「患者学」
(慶應義塾大学医学部 加藤眞三医師) で、リモートでお産に付き添った経験について話題提供させて頂きました。


当日の動画は一番下にリンクを載せました。

考えてみたら、妊婦さんはそもそも患者さんとは呼ばれないですよね?

だって生理ですから、健康な妊娠出産は。

ただ、

そういった呼び名だけで内容を
決めつけて、「ふーん。でも私は患者じゃないから関係ない」と思わずに、ぜひ皆様にはもっと気軽に私たち女性と医療との関係について考えてもらいたいのです。

なぜなら、

お産がこじれたら、「妊産婦さん」
は即「患者さん」になるのです。ならば日頃から、どう医療とむきあうか、考えておきましょう。

救命救急の砦となってくれている
現代の医療が、


今、


患者の声を一体どのように聞き取ろうとしてくれているのか?

その最先端の取り組みとして
この「患者学」スタイルを
参考にして頂けたらと思います。

私の講演中に、今年お産に遠隔で
寄り添わせて頂いた吉村亜希子さん
が登場して下さっています。

吉村さんは周産期医療に20年ほど
寄り添ってきたベテラン助産師さんで、今回のご自身のお産をきっかけに助産を伝える者としても学びがあったということです。

吉村さんは、自分をサポートしてくれる信頼できるサポートがあの時、
もしなかったら、

とても不安に感じたと思う、と述べていらっしゃいます。

女性は、お産のときに
心のケアが必要です。
吉村さんの貴重なお言葉を
以下にそのまま紹介させて下さい。    

<吉村亜希子さんによる気づきのシェア>

「納得感はかなり重要だと思います。医療者であっても大事にしている点ですね。


遠隔サポートがなかったら、、、
不安でしたね。


助産師であっても、ひとりの
いち産婦でありたかったのです。

だからあきこさんをはじめとする
信頼する皆さんにサポートを依頼
しました。

不安からサポートを依頼する
行動に至りました。

出産はパートなーの彼も主役
にしたかった、そんな気持ち
だったと思います。

いろいろ私達あったし、
強くなりたかった。

不安は一つでも減らしたかった。

今の子育ては 彼自身もそして
私も日々過ごす毎に、親にして
もらえている感じがします。

私はあきこさんはじめ、
サポートをしてくれた方がいて、
彼がいてくれ、自分の意思決定
を支えてもらったと思っています。

サポートを受けていたからこそ
彼も、私の「もっと待ちたい」と
いう気持ちや、「子供の力や身体
の力を引き出したい」っていう想い
に共感して医師に伝えてくれました。

これはみなさんのサポートがあった
から、彼も強くなれたんだと思います。

この体験は、今の育児に良い影響と
してつながっています。

もし、出産でサポートがなく
自分の中にやり残した感覚が
強く残っていた場合、
彼のせいにしたかもしれないし、
ずーっと消化できない不快な
気持ちが残り続けてしまい、
育児でもそのことを責めて
しまっていたかもしれない、と思う。」

以上、大切な吉村さんの言葉でした。

私もいつも思うのですが、
女性が、母子が健康な場合、

自分自身に必要なケアについて、
意識していることほど大事なことはないと思うのです。

それを意識せずに、なぜ私たちはすべてを医療に丸投げにしてしまうのでしょうか。

医療従事者の方々もすべてを丸投げにされてしまうと困ると仰っている声をよく聞きます。

主体性をもって産んでいくって、
ご本人の納得感が高まり、実は
とっても気持ちの良いこと。

どんな状況であっても、ささやかな
ことであっても、きちんと表現したり、自分の判断で選べると、主体的に関わった!という達成感が増しますからね。

やった〜!というしみじみと内側から湧き上がる達成感を持って赤ちゃんを抱く女性がますます増えていきますように。。。
ケアギバーの方々や一般の方でも、ドゥーラに興味を持ってくださる方向けにメルマガを通して
私が学んできたことについてポツポツこれからもお伝えしますね。


<加藤眞三先生の2冊の参考図書>

✨「患者の力:患者学で見つけた新しい医療の姿」
(春秋社)2014年

✨「患者の生き方:より良い医療と人生の「患者学」のすすめ」
(春秋社)2004年


どちらも参考になる本です。

画面共有に失敗して見にくいので申し訳ないです。。。
2020年11月「患者学」

ドゥーラ体験をした医師が感じたこと

オックスフォード大学自然史博物館にて
オックスフォード大学自然史博物館にて

今回は日本で呼吸器系の内科医として患者を診てこられたA先生の興味深いエピソードを紹介させてください。A先生はこの夏までご主人の研究に付き添い、イギリスのオックスフォード大学で研究生活を送られてきました。現在はご夫婦ともに日本に帰国され、A先生は東京郊外で在宅診療をされています。

*以下のお話は、日本へご帰国される数か月前にお伺いしたものです。

イギリスへ転居するまでは日本の大きな病院で激務をこなしていたというA先生ですが、オックスフォードでの研究生活も落ち着いてきたころ、思いもかけず息子さんと同じ学校に通う男の子のお母さんのお産に付き添うことになったといいます。

アフリカのザンビアからやってきた彼女に、「一緒にいて欲しい、と頼まれて、気づいたらドゥーラをしていました」というA先生。医療者としてではなく、友人としてお産に寄り添ったその時の体験は、医師として働き続けていくうえでちょっとした気づきをA先生に与えてくれたそうです。異国でのドゥーラ体験を今後に役立てていけるとすれば、それは、「いつも患者の立場に立って想像力を発揮しながら、気持ちを添わせる努力を医師として怠らないこと」だと言います。

「仲のよい友人というほどではなかったのですが、子ども同士が同じ現地校に通っていたので、息子のクラスメートのお母さんのために、この私に何か出来るのなら。。。という気持ちで引き受けました」。そう振り返るA先生は、お産で、具体的にどんなことをしたのでしょうか?

「付き添っていてくれるだけでいい、という希望だったので引き受けられました。彼女の自宅から病院までのドライバーとなったり、怖がる彼女を励ましたり、陣痛中は背中をさすったり、頼まれたものを取ってあげたり、本当にそばにいてあげるだけしかできなかったと思いますが、実際にお産に立ち会ってみて実感したのは、せわしない中で、産婦さんはなかなか安心できないもんなんだなぁ、ということですね。そんな時に、もしあらかじめ、大まかな流れを丁寧に説明してもらえたら、こちらも安心して任せていられるのですが、スタッフも大忙しで説明が少なかったり、産婦さんに継続して寄り添ってくれる人員が足りなかったり。。。とは言っても、それってイギリスに限らず日本でもどこの病院でも当たり前にあることなので仕方がないんですよね。。。」

「友人のお産となると、感じ方がやっぱり違いますよね。医師としての自分ではなく、友人として赤ちゃんに真っ先に会えたことを光栄に感じていました」

ご自身の中のドゥーラ的な資質を発揮し、友人に寄り添ったA先生は、産後、友人と彼女の家族に深く感謝されたといいます。その後に、ドゥーラという職業があることを偶然知ったA先生は、なるほどなと思ったのだそうです。

「ドゥーラは大切な役割だと思います。初めての場所で、知っている人もいない環境で、自分のことを妊娠中から見知っている誰かがずっとそばにいて励ましてくれる。それだけで本当に大きな助けになると思うからです」

私(木村)は以前より、ドゥーラとは、そもそも職業ではなくて‘心の在りよう’とか、‘人としての資質’ということを書いたり話したりしてきたのですが、まさにA先生の体験されたことと重なります。放ってはおけない!と思って、気づいたらドゥーラをしていた、そんな人は年齢も国籍も職種も越えて、すでにドゥーラですし、そういう方は世界中にたくさんいるんですよね。

日本に帰国される直前のA先生が最後に残してくれた言葉が私には印象的です。

「目の前のお相手には様々な事情があって、しかも外国人だったりもする。そんな自分には想像もできない背景をもっている患者さんのことを、短い診察時間のなかで、どれだけ丁寧に扱うことができるか。。。元々、日本でも、患者さんひとりひとりとなるべく丁寧に付き合うことに喜びを感じていましたが、医師として今までは本当に激務だったので、これからどうやって働いていくか考えさせられますね。医師も学び続けないと、ですね。」

私と同じような年頃の子どもたちを抱えたA先生。日々のお仕事と家庭との両立は本当に大変なこととお察ししますが、彼女のようなこころある医療者には今後もバーンアウトせずに診療し続けて頂きたいと願ってやみません。

同時に、私自身、ケアの受け手として、一方でドゥーラとして、医療への信頼を大前提としながらも、これまでのような医療に依存しきった姿勢はそろそろ見直してもいい時期に来ていると感じています。
あらためて確認するまでもないことかもしれませんが、健康な妊娠は、病理ではなく生理として捉えられているために、本来、妊産婦さんを患者さんとは呼びません。でも、それは呼び方の違いであって、現代医療のなかでは、両者ともに同じような立場に位置づけられがちです。ですから、患者の在り方と妊産婦の在り方との共通点を見つけだし、そこから何かを学ぶことができます。

もちろん、事件、事故など一刻を争う救命の現場では、患者に対するほとんどの決定は医療者に委ねられるでしょう。でも、その高度な医療技術の恩恵を謙虚に享受しつつも、一方で、私たち現代人を悩ます多くのケースが日々の生活スタイルや食生活によってある程度予防できるものだとしたら、私たちは、日ごろの生活の中で予防できていなかったことを見つめて、以後はできるだけ身体からの声を感じ取り、それを医療者に対しても相手が分かるように表現していかなくてはなりません。特に、長い時間をかけて産むための準備を整えていくプロセスにある妊娠さんや、長い時間をかけて向き合っていく慢性疾患の患者さんには、さまざまなケアの選択肢があるわけです。医療者と協働で、よりよい治療法を選択していく自律性は、産前産後のお母さんにも、患者と同様に必要とされていると感じます。最終的な方向は、他人が決めることではなく、本人が自己決定していく。すなわち、医療に丸投げではなく、責任を持つことを置き忘れたくないものだと思います。

ただ、その選択のプロセスにおいて、まさに陣痛の真っ只中にある産婦さんや、産後直後のお母さん、痛みに苦しむ患者さんにとっては、とても個人では乗り越えられないと思う時があります。選択など今は到底できない!と感じるような瞬間に、「どんな時にも自分らしくあれるように」などナンセンスに響くかもしれません。

そのような場合に、あらかじめ事前ミーティングを重ねてきたドゥーラのような他者の存在が意味をもつのでしょう。ドゥーラは、他のすべての非医療者のケアギバーと同様に、病室に横たわるその人物が、一体、どのような価値観(言葉を替えると、スピリチュアルニーズ)を抱き、いかなる半生を送ってきて、今はどんな人生観をもっているのか。数字やデータには表されない個人のライフジャーニーを前もって聴き取る可能性が高いです。話からだけではなく、事前の自宅訪問などで知り得るのは、過去の生い立ち、家庭内の様子や、同居の家族や、一緒に住んでいない家族とのこと、家族の人間関係、本人の中の希望や不安、将来への見通しなど、本当にさまざまな事柄についてです。そして、必要と判断すれば、本人に了承を得たうえで医療者にも伝え、サポートの在り方や実際の処置に役立てていってもらうこともあるかもしれません。

そのような意味で、医療者と医療の受け手との間にあって、黒子のように存在し、橋渡し役を担おうとしているのが、ドゥーラのような非医療者のケアギバーなのです。