第28回 母体は地球の一部

ルイーズのアートに感じることと‘変革につながるお産’には共通点がある。

‘Transformative experience’、つまり「変革・変容につながる体験」となりうる可能性をはらんでいる。

敬愛する三砂ちづる先生(*1)が、エジンバラの我が家に息子さんと遊びにいらして下さった折に話して下さったが、‘変革につながるお産’には、いくつかの必要条件というか、因子があるという。

その因子のリストに、‘ほの暗い光’や、‘適度な湿度’と聞くと、お産とは、産む環境によって大きく影響されるものなのだと納得せずにいられない。

近代化によって、お産の何が失われたのか

いつまでも夜の明るいこの季節

いつまでも夜の明るいこの季節、少し自転車で走らせるとこんなステキな場所と遭遇できる。

海が、潮が満ちては引くように、古今東西、女性はカラダという器を共鳴させながら命を産みつないできた。

時代は変わり、今はほとんどのお産が施設内で行われている。

いかに効率よく産むか、安全に産ませるか、ばかりが注目されてきた近代化以降のお産。

個人のお産体験は、医療化の波によって、どのような影響を受けてきたのだろうか。

欧米を中心とした世界では、一部のこころある助産師や医師といったケア・ギバーズと、人類学者や、社会学者のような学者たち、そして、産みゆく女性たちの3者が一体となって、ここ数十年間、継続的に、お産における産婦の‘autonomy’(←この意味は後で書きます)をあらためて価値付けしようとする動きがみられる。

お名前を挙げはじめるときりがないが、「お産のリボーン」をはじめ、島袋伸子さんや日隈ふみこ先生、松岡悦子先生など日本にも、それぞれの立場ですばらしい活動をされている方が数多い。

そこまでして尊重されなければならないお産のautonomyとは、

いったい何?

実はそれこそが、お産の勉強をはじめて以来、

私の一番の関心事である。

まだ日本語にきちんと訳されきれていない感のある言葉なので、つい慎重になってしまうが、辞書には、‘自律性’、‘自主性’、‘自治’で載っている。

お産は、こころとからだを再統合する癒しのプロセス

夜が怖くない

↑この写真は夜10時。夜が怖くない、暗闇にならない。白夜の季節は夜更けに自転車に乗るのが楽しくなる。

ケルトの大祭が真夜中の12時にスタートすることをおもっても、人類はこうやって太陽のめぐりに合わせて神事を執り行ってきたのだと思う。

大自然の営みと、自分の内側の営みを共鳴させ合いながら私たちは在ったのだ。

私たちは、大自然に生かされている自分に感謝をし、自分の心身にお伺いを立てながら、autonomous(autonomyの形容詞)な存在として、在った。

それがいつしか、ヒトがヒトとして未来に続いていくための、最もリプロダクティブな営みであるはずのお産において、autonomyを失いつつあるというのは、どういうことを意味するのか。

言葉足らずの自分だが、今の私にとってautonomousなお産とは、周囲によって方向づけられることなく、産婦本人の持てる力を余すところなく発揮できるようなお産をさす。

結果、予想外のことが起きて落胆することも、絶望を感じることも、思いもしなかった変容も全て含めて、自分の人生に起きたこととして体験していくのだ。

悲しみも、幸福感も、狂喜乱舞するような心の状態も含まれ、それらが自分の器の中で溶け合って、それでも人生の時間が続いていくことを受け入れていく、

それが私なりのオートノマスな在り方だ。

同時に、こころとからだを再統合してくれる癒しのプロセスでもあると思うのだ。

96歳のアーティストが描く、妊娠・出産・授乳シーンは・・・

前回27回目で書いた人生の遍歴を経た老婆ルイーズ ブルジョアの描く妊娠・出産・授乳シーンも、つねに相反している。

もろくて。。。それでいて力強い。

ぎこちなくて。。。同時に美しい。

純粋に、母体が地球の一部であり、

花一本のようにはかなく、同時に、

すでに完全であることを思い出させてくれる。

まるで人災・天災で傷ついた大地が、

それでも再び萌え、

自らの力で癒えようと、

意識なき意識を絶えず働かせているように私には思える。。。

創作活動を続けるルイーズ半球のガラスの中で納められる出産シーン
絵画、立体、彫刻と、カタチにいっさいとらわれず、創作活動を続けるルイーズ半球のガラスの中で納められる出産シーン。360度、絶えず観察される母子、という感じがした

(注1)三砂ちづる(みさご ちづる)
津田塾大学国際関係学科教授。専門はリプロダクティブヘルスを中心とする疫学。著書に、『月の小屋』(毎日新聞社)、『コミットメントの力』(NTT出版)、「疫学への招待」(医学書院)、「昔の女性はできていた」(宝島社)、「オニババ化する女たち」(光文社新書)、『 きものとからだ」(バジリコ)、ほか多数

(注2)
たとえば医療人類学の世界では、ロビー・デービス・フロイドや、エミリー・マーティンが女性のエンパワメントにつながる研究を残していて興味深い。

次号に続く→

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お読み下さりありがとうございました。

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ちなみに↓今住んでいるフランスから重力を使ったお産について、ちょっと偉そうにYouTube動画撮りました(すみません)。動画編集してくれているのは、この時の娘っ子です。今度のお誕生日で17歳!❤️宜しければチャンネル登録してご視聴くださると嬉しいです♪

第13回子連れで院生になる?

お産は私にとって、広大無辺な宇宙の営みに自分を重ねて、最終的には宇宙そのものとひとつになっていくような、深く大きな体験だった。

その妊娠が分かってからの変容ぶりを間近で追って下さっていたお方がいる。

彼女の話を抜きにしては今の自分を語れない。

まさに天の引き合わせとしか言いようがない、私にとっては。

よしみさんとおっしゃるその素敵な女性は、私が妊娠する前に、まだ数々の仕事をかけもちしていた当時、私のイタリア語教室に来て下さっていた生徒さんのお一人であった。

ダンテの「神曲」を原書で読めるようになりたいんです。

そう彼女はご自身の目標を語った。

イタリア語教室と言っても、初心者向けで、「神曲」なんて私でさえ原文を理解し得ないだろう。

どうしよう、、、凄い生徒さんが来てしまった!

と思っていたが、よしみさんはとても朗らかで、私の稚拙な教え方にも嫌な顔一つ見せずに通って下さっていた。

彼女との時間を重ねていくうちに分かったのは、よしみさん自身が教員であり、3つの大学の英文学の非常勤講師として忙しく教えている、ということであった。

どおりで知性溢れる女性なわけだ。。。と私はすごく納得した。

その後、私がエジンバラに移動することに決まると、よしみさんは、ご自宅で私のために送別会を開いて下さった。

今思い出しても、涙が出るほどありがたい。。。

とても素敵なご自宅で、その広いリビングに椅子をたくさん並べて、よしみさんのお知り合いの方々もいらしていて、なんとも本格的なカレーの香りが漂っていた。

忘れもしないその席で、私はよしみさんから、

「エジンバラへいくなら大学院へ進めるじゃない。いい大学ですよ」

と言われたのだ。

よしみさんは本気ではなかったかもしれない。

励ますために軽い気持ちで言って下さったのかもしれない。

社会人で幼児を抱えて大学院へ行くことは考えていなかったので、私は一瞬どきっとした

が、

いや、待てよ。

と感じた。

なぜなら、例の直感がピロロロ〜とまた私の内側に鳴り響いたからだ。

ひょっとしていけるかも、その道!

と手応えを感じる。

なんとなくドキドキして、

心の底からワクワクしてきた。

早速、エジンバラ大学について調べてみると、当時はまだ出来立ての学部・学科であったが、医療人類学(Medical Anthropology)と呼ばれるものが目にとまった。

その後に正式名称はHealingand Illness (癒しと病理)というサブネームが付けられた進化中の学科だったが、さらに内容を確認してみたら!

パブリックヘルスや、助産の人類学、生殖医療の倫理観、死に寄り添う人類学、などと、まさに自分が勉強したいものばかりではないか!

でも、大学時代の成績表と、教授2名からの英語の推薦状が無いと願書を出せないというので、慌てて成績表を取り寄せ、教授にもお願いをする。

行動すると決めると、早い!

でも、私はひどい成績の学生だったので、どなたにお願いしようか、と悩んだ。

幸いにも、お一人目にお声をかけた佐々木研一教授が即座に快諾してくださり、長文のレターを書いて下さった。

成績が悪くても性格が真面目なので、今思うと、先生方も見守ってあげたいと思う生徒だったのかもしれない。

もう今振り返っても、あんなに短期間に私のために英文を作成してくださり、佐々木先生には本当に感謝の言葉しかない・・・

もうお一方は、なんと!よしみさんのご主人様が書いて下さった。

ご自宅での送別会で一度しかお会いしていないというのに、いろいろと相談に乗ってくださり、そういうことであるならば特別にと私の熱意を汲んで頂き、英文での推薦状を急いで用意して下さったのである。

実は、このご主人様こそ!

死の人類学 (講談社学術文庫)などたくさんの本を書かれ紫綬褒章を叙勲されている

山下晋司先生であった。

彼こそ、東京大学大学院総合文化研究科名誉教授であり日本を代表する文化人類学者だったのだ。

なんという巡り合わせ。

人生とは、予想外の連続である。

イタリア語の生徒さんであったよしみさんのご主人様の丁寧な推薦状と、母校の先生の「自信を持ってこの生徒を勧めます」と盛り盛りのて〜んこ盛りにして書いて下さった推薦状(英文だけ読むと私でなく別人のよう笑)を受け取ると、成績表と合わせ、大急ぎで郵便局からエジンバラ大学の大学院へ送った。

娘には、受かってから言おうと思っていた。

でも、書類を提出すると気が緩んで、結果がどうであってもいいよいいよ。

渡英まえに出来るだけのことはしたんだから。

と思い、娘にも「おかあさんね、おべんきょうしたいことがあるの」

と伝えた。

すると「おかーさんがんばって〜」

と笑顔で言われただけだったが、その一言が凄くパワフルで、なんだかとっても元気がでてきた。

しかし、、、試練は待っていた。

→次号に続く

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お読み下さりありがとうございました。

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ちなみに↓文化人類学的に見ても、

一枚布、rebozoは面白いです↓YouTube動画アップしました〜

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