幼少期から大学入学まで 

 – 私を形づくったもの –

小さい頃から私はきれいなphoto01石や鉱石にとても惹かれていました。小学生の私に、石に刻まれたナスカの地上絵をプレゼントしてくれた母の影響が大きかったなぁと今になって思います。子ども心に「いつかペルーに行ってナスカの地上絵を見たい。そうだ、世界中のオーパーツと呼ばれる不思議なものをこの目で見てみたい!」と思ったものです。放送委員としてランチタイムのディスクジョッキーをする一方で、お小遣いで、密かに雑誌「ムー」を買ってみたり。オシャレなんかそっちのけで、科学では説明のできない不思議なものにばかり興味を抱く小学生でした。読めない漢字ばかりの本や雑誌でも、写真を食い入るように眺めていましたし、勉強机の前には、それが何かわからないながらもイースター島のモアイの写真や、父の本棚にあったシュリーマンの本やトロイ遺跡の写真や絵を飾っていました。雑誌で見つけた古代マヤのメダリオンや、チチカカ湖の浮島、UFOの写真もその横に所狭しと貼ったものです。photo02「でも。。。学校の成績だってこんなに悪い私が、将来本当に世界中を旅するような人生を送れるようになれるかなぁ。。。」。転校も多かったので、世界旅行への壮大な夢と現実とのはざまで、地に足がついていないような気分をいつも味わっていました。

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中学校では学級委員や生徒会の活動に関わったりしていたせいか、なんとなーく、いつも真面目でいなければならないように感じていました。灰色の海を果てしなく泳いでいるように、明るい未来が描けない中学校生活でした。

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一転して、気の合う仲間がいっぱいできた都立大泉高校では、パーンと一気に弾けました。花より団子、食べることの大好きな女の子4人のフォークソングバンド「オーグライズ(大食らいズ)」を結成し、学園祭はもとより、池袋の公園や広場で声を張り上げて歌ったものです。同時に、「大学ではどんなことを勉強しようか、、、」と悩んだ高校時代。私のなかにいつもあった言葉は、《温故知新》でした。古の人々が大切にしていた文化や文明を学ぶのが好きな自分には、一体何が向いているんだろう。。。そう思いながらも周囲を見渡すと皆、必死に受験勉強をしています。正直、とても焦りました。なかなか成績が上がらず悩んでいたころ、当時導入されたばかりで話題になっていた一芸入試という新しい受験システムを知りました。「あきこは文章を書くのが昔から好きだったじゃないか」そんな父の言葉がきっかけで、高校3年生になると、論文での一芸入試枠を設けている大学を調べ始めました。すると立教大学文学部キリスト教学科では、興味のあった宗教人類学、宗教民俗学ばかりか、宗教心理学や宗教社会学、宗教美術、宗教音楽も学べることを知りました。明るくて活発な反面、思春期から心に波風が立つたびに教会で祈ることもあった私は、どうしてもこの学科に進みたいと思いました。それからは合格を目指して、入試科目の英語と現代国語、そして論文書きの勉強だけに集中することができました。周囲の予想を大きく裏切って数十倍の難関を幸運にもくぐり抜けて一芸入試で合格を知った日の喜びは今も忘れられません。

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kaoru_zakuro_2大学入学と同時に家庭教師と池袋のデパートの宝飾サロンでのアルバイトを始めました。やりたいと思ったことは何でもトライしてみたい!でも、やってみたいことには殆どの場合、それなりのお金がかかるからです。少しでもセーブして将来にまわしていこうと、大学にも毎日お弁当を持参していました。バブルの終盤にあっても、自分で言うのもなんですが、質実剛健を貫きたいと願う女子大生でした。勉強も新しいことばかりで面白かったのですが、私は入部した放送クラブでの活動にもはまり、「羅生門」などの語り部番組をつくったりしていました。同時に、全身を使った身体表現であるお芝居にも興味が湧いてきて、‘舞台劇の基本を本格的に学んでみたい’と思い始めたのは、キャンパスライフにもアルバイトにも馴染んできた大学2年目のことです。調べてみると、大学の近くに舞台芸術学院という専門学校があるではありませんか。私の好きなもたいまさこばかりか、役所広司、矢崎滋、山田洋次、李麗仙、渡辺えりなど、そうそうたる方々を輩出した歴史のある学校が、大学のすぐ裏にある。これも何かの引き合わせと、私はその学院の演劇科(86期生)の夜間講習に半年間通いました。しっかりお腹の底から発声をすると、思わぬ力が漲ります。姿勢や、体のちょっとした角度、呼吸法でこんなにも出る声が変わるものか、と本当に驚きました。どのような感情を味わっているかによって、同じセリフがこうも異なって聞こえるものか!と目からウロコのトレーニングでした。また、フリーダンスのような踊りや、パントマイム、リズムに乗って身体を動かすことの面白さを学んだのです。

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◆幼少期から大学入学まで - 私を形づくったもの-

◆大学時代 - 旅のはじまり –

◆ヨーロッパ線で世界の空へ - 世界を巡る旅へと –

◆結婚から出産 - ドゥーラとの出会い –

◆ドゥーラとして - しあわせな妊娠・出産のために –