映像作家Stewart Sugg氏へのインタビュー

今回のブログは、いつもとまったく趣向を変えて、イギリス人映像作家のStewart Sugg氏(以下、スチュワート氏)の突撃インタビューです。彼はシュタイナースクール出身のクリエイターですが、最近日本では、やはりシュタイナースクール出身の俳優、斎藤工さんが人気のようです。私のまわりにも斎藤工さんを評価するママ友達が数名いるのですが、そのうちのお一人が「斎藤工の話が面白い」と絶賛していました。

スチュアート氏に話を戻します。彼は映画監督として、またTVコマーシャルのディレクターとして世界中で活躍してきました。近年では、アラビア半島で撮影されたウミガメと少年の物語を綴った映画『The Turtle』の他、時計会社ローレックス(Rolex)のために長年撮り続けてきた幻想的なコマーシャルはどれもうっとりする美しさです。この数年だけでも、World Media Festival Gold 2014, New York Film Festival Gold World Medal 2013, World Media Festival Gold 2013, Cannes Gold Dolphin Best Environmental Film 2012と数々の賞を受賞しているスチュワート氏に、その多忙なスケジュールの合間をぬって、シュタイナー教育に関する4つの質問に答えて頂きました。ゲーテの言葉を引用するなどして熱い想いを語って下さった彼に心より感謝しています。

Stewart Suggスチュアート氏:アブダビでの映画撮影中
Stewart Suggスチュアート氏:アブダビでの映画撮影中

<1>シュタイナー教育は、あなたの人生にとってどんな意味があったと思われますか?
私がイギリス南東部のMichael Hall Steiner School に通い始めたのはクラス1(通常5歳―6歳)に進学する前の幼稚園時代のことです。そのまま18歳まで持ち上がり式でずっとシュタイナー教育システムの中で学生時代を送りました。シュタイナー教育が私の人生に与えたもっとも大きなインパクトは何かと聞かれたら、それは、自分が何者であるかを探求させてくれた、ということです。さらには、自分が心の底から本当にしたいことは何かを見つけ出す力を与えてくれたことです。

映画を撮ることとはまったく縁のない家庭環境に生まれ育ったので、この世界に飛び込むには多少のためらいはありました。でも、学校で学んできたことが自分自身を結果的に後押しして、クリエーターとしての人生へ踏み出す手助けをしてくれたんです。作品を撮り始めて25年になりますが、この仕事は大きな喜びと創造性、そしてエンパワメントを私の人生に与え続けてくれています。

「自分が何者であるか」についてまだ多くを模索している成長の途上であるにも拘わらず、時間的、精神的な余裕を与えられないままに、型に押し込められて社会へと送り出される子どもたちの現実を目にすると、世の中の多くの教育システムでは、子どもたちの可能性が最大限に発揮できない何か原因があるように感じます。

私にとってシュタイナー教育は、お気に入りのゲーテの言葉を自分自身に置き換えてなぞらえていくだけの自信を与えてくれました。それは、“Whatever you do, or dream you can, begin it.”『夢を描くこと。それさえできれば叶ったも同然だ』という人生哲学です。

<2>シュタイナースクール出身者であるということで大変なことはありましたか?

メインストリームと呼ばれる、いわゆる学歴を重んじる一般社会に受け入れてもらうこと自体は、私にはそれほど難しくありませんでした。仕事や解決しなければならない人生の問題といった日々のトラブルへの対処法は千差万別です。私のように、少し変わったオルタナティブな考え方ができる人間は、資源としてどこの場所でも必要とされ、歓待されたのは嬉しいことでした。

もちろん、まわりの多くが夢中になっている文化、(例えば、競争、駆け引き、ゲーム)などには自分は到底ついていけないと感じることはありました。でも、それは慣れというか、適当に流していけるようになりました。私自身はとてもストレートでシンプルな考え方、生き方をしてきているので、(シュタイナーワールドから卒業して周囲をみると)ああ、外の世界の学生はずいぶん回り道をしていて大変そうだな、と感じることが逆によくありました。

よかった点は、受験や試験を日常的に体験してきていない分、大学に進学するまでに学業疲れしていなかったせいか、大学在学中も学習意欲を保ち続けることができたように感じます。実際、与えられたものをこなすというより、よりクリエイティブに自分自身が学びたい方面を深めていけたおかげか、A-level試験(イギリスの試験制度)では4科目とも好成績をマークし、その後に進んだ大学も優秀な成績で卒業できました。ですから私としては、シュタイナースクールに通ったからといって、アカデミックな面での遅れが生じるとか、マイナスに働くということは最終的には決してないと実感しています。

<3>シュタイナースクール出身者ということで、就職にはどのような影響がありましたか?   

大学卒業とともにカメラアシスタントの仕事に就きました。今から思うと、あの時にアシスタントの仕事によって現場での経験を積むことができたのは本当に幸運でした。ただ、カメラの仕事はよい入口ではあっても、最終的に自分の進むべき方向ではないと感じていました。でも、与えられた仕事を通して前進していくことに恐れや不安はありませんでした。そうやっていくなかで、いろいろと自分なりに考えて、何よりも大好きなドラマづくり、脚本書き、カメラなどの映像の世界をすべて繋げていけるような仕事について真剣に追及していった結果が今です。

<4>日本に向けてシュタイナースクールの学生たちへメッセージがありますか?

そうですね。もし私からシュタイナースクールの学生たちへ何か伝えられるとすれば、それは、勇気をもって下さい、ということです。多くの局面で、たくさんの人たちがあなたに対して言うでしょう。「風変りな学校だ」、「どうもおかしな教育だ」、「あまりにも普通の学校システムとは違い過ぎている」。もしくは、学業面での優位性について従来の教育システムとシュタイナースクールとを比較して非難するでしょう。でも、勇気を忘れずにいてください。

私にとって教育とは、自分の人生の道を切り開いていくこと。つまり、A path of wonder, creativity and hope探究と創造性と希望を求めて踏みしめていく一すじの路です。その意味で、シュタイナー教育は、今の時代の子どもたち、ひとりひとりに、個々の『路』を勇敢に突き進んでいくチャンスを与えてくれるものだと思っています。

そう、自分とは何者かということを真に問い続け、そしてどこへ向かっていこうとしているのか、路の先を発見していこうとする意欲を持たせる教育だと私は信じています。以下に、ゲーテの引用の全文を載せたいと思います。そして、これこそがシュタイナー教育が私に与えてくれたものをまとめたものと言ってよいでしょう。

Here is the complete Geothe quote – and it sums up what Steiner gave me:

<Commitment>

“Until one is committed, there is hesitancy, the chance to draw back. Concerning all acts of initiative (and creation), there is one elementary truth, the ignorance of which kills countless ideas and splendid plans: that the moment one definitely commits oneself, then Providence moves too. All sorts of things occur to help one that would never otherwise have occurred. A whole stream of events issues from the decision, raising in one’s favor all manner of unforeseen incidents and meetings and material assistance, which no man could have dreamed would have come his way. Whatever you can do, or dream you can do, begin it. Boldness has genius, power, and magic in it. Begin it now.”

*上記のゲーテの言葉を分かりやすく訳したものはないかサーチしていたら、「和道」のひろこ氏(http://awalatina.blog.so-net.ne.jp/archive/c2301271468-1)が登山家のウィリアム・H、マレイによるゲーテを引用した文章の訳を以下のブログでシェアされていたので、ひろこさんに承諾を頂いてここに日本語訳として紹介します。

コミットメント:契約】

ある人が覚悟を決める前には、躊躇がある、

途中で手を引く可能性があり、それゆえ無効だ。

取り掛かるすべての行動(もしくは創造)に関して、ひとつの本質的な事実がある。

無知。それは無数のアイデアや輝かしい計画の息の根を止める。

人がある誓い(Commitment) をする瞬間、自然の摂理、つまり神の力も動く。

あらゆるものは、それが支えなければ存在しないはずのものを支えるために生じる。*

すべてのことは「決意する」ことから始まり、今はまだ見ぬ事柄、出会い、物質的な支援が起こるのだ

・・・誰もがまだ思い描いたことのない方法で。

私は、ゲーテによるこのカプレット(二行連)に、深い敬意を抱く。

「できることや夢見ることが何であれ、まずは取り掛かるの

大胆さには、天賦の才、力、そして魔力が備わっている。

“The Scottish Himalayan Expedition, 1951” より引用

ウィリアム・H. マレイ (1913-1996)

2

家探しと産み場探し

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引越しから2週間がたちます。まだ10箱ほど開梱しなければならない段ボールが山積みになっていますが、新しい街、新しい空間にゆっくり馴染んできています。

9月に入り一層肌寒くなってきました。
ヒューストンからロンドンへ移り住み、新しい家、新しい生活、新しい人間関係にようやく馴染んできました。
この短い間にも、私の住む街Twickenhamで、子どもたちの学校や古い友人関係を通じて、病院勤務の助産師さん、開業助産師さん、看護学生、小児科医、そしてドゥーラとの出会いに恵まれてきました。
集めたい情報やつながりたいネットワークがハッキリしているせいか、出会うべき人にピンポイントで廻りあわせて頂いているという感覚です。

一方で、引っ越しの作業中に左手を負傷してしまい、
しばらくの間パソコンひとつ打てなかったり、
UKでの久しぶりの運転にまごついたりと不便さも味わっています。
今までは子どもたちの登校にスクールバスを利用していたのですが、
今のシュタイナースクールでは私たちのエリアにはそのサービスがありません。
送り迎えの運転が毎日大変で、あぁ今まで自分はずいぶん楽な生活を送らせてもらっていたんだなぁと、失ってみてはじめて、その恩恵に気づいてハッとすることもあります。

でも、そんな中でも幼い子どもの順応力は高く、我が子らも新しい学校にすっかり慣れて、
「家に帰りたくない!」ほど楽しそうにしているのを見ると、
とりあえずは万事OKかなぁと思えます。

私たちの家は駅の近くのオンボロ家。
ヒースローが近いので飛行機はぶんぶん飛んでいるし、列車の音もかなりします。
学校やロンドン中心地へのアクセス、夫の会社との距離を考えるとベストではあるけれど、ちょっと不安な気持ちで最初に見学に来て、「住めるかなぁ」とイメージしたとき、パーッと生活している様子が浮かんできました。
他の家では感じられなかった感覚でした。
その時、「あ、ここに住むことになるのかも」と思いました。

でも一番の決め手となったのは、
宿に滞在しながら10件ほど候補地を見学した後のことでした。
「どうしようかなー」と思いながらデータを見返していたのですが、この家のデータを開けた途端、パソコンのキーボードの上に小さな小さな白い羽が一枚だけ舞い降りたのです。
「一体どこから?」と思わず上を見上げ、
「この部屋の寝具は羽毛布団だったかなー?」と思ったりしつつも、
同時にどこか直観のようなものが働き「ここなんだ」と思ったのです。

そのあとはトントン拍子でした。
国を越えての引っ越し、ドゥーラ活動、出産子育て、頭だけでは片付かないことばかりで、今までも直観に頼ることの多かった私ですが、そこには不思議と深い納得感もあるんです。
自分の直観を大切にするということは、そこで起きることや結果を引き受けて生きていけるということのような気がします。

私が女性に「直観(直感)を大切に」というメッセージをくりかえし伝えているのは、ストレッチ体操なしでいきなり筋肉を伸ばしても思ったようにからだを使いこなせないように、いきなり今日から直観をキャッチしてそこからの情報を活かせるわけではないと思うからです。
毎日少しずつでも確実に、自分の内側の声や感覚をひろう努力をしていくことはとても大事なことです。
特に妊婦さんやこれから産むかもしれないという方々には、ありとあらゆる方面から自分を大切にして、あたためて、自分が本当は知っていること、実は欲していること、言葉にはならない想いに気づいてあげられるようになってほしいなぁと思います。

今回の触媒となった1㎝にも満たない小さな白い鳥の羽、
きれいに洗って飾り箱の中に大切にしまいました。
「与えられた選択肢や、限られた条件のなかで、自分にとって妥協できるもの、できるだけ心地のよいものを求める家探しは、ある意味、産み場探しとよく似ている」、
そんなことを言っていたカナダ人の友人の言葉が今あらためて胸に響きます。

ミクロとマクロの視点

~見えないものが見えるものになるまで~

今年の初め、ハワイでキラウェア火山を拝んできました。
この火山の化身は、ペレという名の美しい女神だと言われています。

夜、溶出するマグマをじーっと眺めていたら、
真っ赤な長髪を優雅に揺さぶるペレの姿が立ち上がってきました。
そして、自分もじーっと彼女に見返されている、
そんなお互いに見つめ合っているイメージが湧いてきました。

と言っても、マグマを見る前に訪れた展望台に併設されている資料館で、
ペレのそんな姿がモティーフとなった絵が展示されていたので、
私の想像力もきっと高まっていたのでしょう。

もうひとつ、生まれて初めて、流出しつつあるマグマを目撃して、
その視覚的な刺激によって私の中に喚起されたのは、
実際に地表にマグマとして表出するまでの途方もないプロセスへの畏怖の念でした。

なるほど。。。こうやって目に見えるものになるまでには、
マントルから、地殻にあがってくるだけのエネルギーの波動があったんだなぁ。

私たちの目には見えない、感じることもできない膨大なエネルギーが、
長い長い年月を経て、変化し、発熱し、振動して、互いに影響を与え合ってきた結果、
今この瞬間、私たちにマグマという形の天体レベルの現象として知覚されている。

そんな、言葉にしてしまうと当たり前のことが、
うごめくマグマを生まれて初めて見た瞬間、自分を貫きました。

地球の流血さながらの火山。ペレをペレとして躍動させている背後には、
地球奥深くに宿る彼女の先祖たち、つまりエネルギーの蓄積と、
その累々とした営みがあったという事実にただ圧倒されました。

大げさかもしれませんが、地殻を目指し、
突き破るまでのプロセスを想うと、気が遠くなります。
目の前に見えていることの根っこには、
見えないことが層のように積み重なっているということへの畏敬の念が同時に湧いてきました。

映画でも、インターネットでも、本でも、
欲しい情報を余すことなく手に入れられる時代ですが、
やはり、命が震えるような何かを直接体感するということは、とても大事なことです。
そこで手に入れるものは自分らしさや価値観を創る養分となります。

お産でも、同じことが言えるかもしれません。
個人レベルでは、赤ちゃんという命を新たに地表に出現させる行為によって、
母となった女性は自分が何者であるか、気づくのでしょう。

また、今の自分の眼には見えないだけで、
綿々と自分の内側に流れてきた命の系譜の余波に
‘タダ乗り’をさせて頂いている自分に気づくかもしれません。

ありのままに産ませてもらうことは、純粋に恩寵なのだといった、
感謝でいっぱいの境地にもなるかもしれません。

夜、眠たい眼をこする子どもたちをおんぶに抱っこして行ったハワイの展望台で、
私は女神ペレから、たくさんの想いを打ち明けてもらったような気がしています。