2度目のエジプト旅行と池川明先生のインタビュー

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お産に立ち会いドゥーラをさせて頂いたママが 赤ちゃんを連れて初のお目見えです。嬉しかった~!

新年おめでとうございます!もう2016年なんですねっ!

昨年は、振り返ると、ロンドンでのドゥーラ活動が加速度的に波に乗り、忙しくしていたな~という一言に尽きます。それでも、出産予定の妊婦さんの予定と重ならないように旅程を考えて、カナリア諸島、エジプト、そしてイタリアへ行ってきました。中でも思い出のエジプトを約20年ぶりに夫婦で訪れることができたことは、私たちにとって大きなイベントでした。

カイロからレンタカーで5-6時間の原始キリスト教(コプト教)最古の修道院に見学に行きました。ドゥーラの仕事についてたずねられた時、啓示を受けて薬剤師から修道僧の道に転向したというエジプト人修道士から『Heart feeling invitation from Godを感じてあなたが活動しているなら、それはいいですね』と言われ、自分の中で素直に受け取れたというか、深いところで符号したというか、彼の言葉に共感する自分を確認できたことは大きな喜びでした。

いつもはそれほど意識していないけれど、ドゥーラは自分にとって天職なのだと思います。

さて、以下はロンドンでとっても素敵なウェブサイトを運営している江国まゆさんの『あぶそる~とLondon』に、産婦人科医の池川明先生のインタビュー記事をアップして頂いたので、宜しければ是非覗いてみてください。私はうんうんと頷くだけの、インタビューとは言えないインタビュー記事ですが、なるほど。。。と思わされる内容です。2部に分かれています♪

前半 http://www.absolute-london.co.uk/blog/12315

後半 http://www.absolute-london.co.uk/blog/12323

2016年もどうぞ宜しくお願いいたします!

映像作家Stewart Sugg氏へのインタビュー

今回のブログは、いつもとまったく趣向を変えて、イギリス人映像作家のStewart Sugg氏(以下、スチュワート氏)の突撃インタビューです。彼はシュタイナースクール出身のクリエイターですが、最近日本では、やはりシュタイナースクール出身の俳優、斎藤工さんが人気のようです。私のまわりにも斎藤工さんを評価するママ友達が数名いるのですが、そのうちのお一人が「斎藤工の話が面白い」と絶賛していました。

スチュアート氏に話を戻します。彼は映画監督として、またTVコマーシャルのディレクターとして世界中で活躍してきました。近年では、アラビア半島で撮影されたウミガメと少年の物語を綴った映画『The Turtle』の他、時計会社ローレックス(Rolex)のために長年撮り続けてきた幻想的なコマーシャルはどれもうっとりする美しさです。この数年だけでも、World Media Festival Gold 2014, New York Film Festival Gold World Medal 2013, World Media Festival Gold 2013, Cannes Gold Dolphin Best Environmental Film 2012と数々の賞を受賞しているスチュワート氏に、その多忙なスケジュールの合間をぬって、シュタイナー教育に関する4つの質問に答えて頂きました。ゲーテの言葉を引用するなどして熱い想いを語って下さった彼に心より感謝しています。

Stewart Suggスチュアート氏:アブダビでの映画撮影中
Stewart Suggスチュアート氏:アブダビでの映画撮影中

<1>シュタイナー教育は、あなたの人生にとってどんな意味があったと思われますか?
私がイギリス南東部のMichael Hall Steiner School に通い始めたのはクラス1(通常5歳―6歳)に進学する前の幼稚園時代のことです。そのまま18歳まで持ち上がり式でずっとシュタイナー教育システムの中で学生時代を送りました。シュタイナー教育が私の人生に与えたもっとも大きなインパクトは何かと聞かれたら、それは、自分が何者であるかを探求させてくれた、ということです。さらには、自分が心の底から本当にしたいことは何かを見つけ出す力を与えてくれたことです。

映画を撮ることとはまったく縁のない家庭環境に生まれ育ったので、この世界に飛び込むには多少のためらいはありました。でも、学校で学んできたことが自分自身を結果的に後押しして、クリエーターとしての人生へ踏み出す手助けをしてくれたんです。作品を撮り始めて25年になりますが、この仕事は大きな喜びと創造性、そしてエンパワメントを私の人生に与え続けてくれています。

「自分が何者であるか」についてまだ多くを模索している成長の途上であるにも拘わらず、時間的、精神的な余裕を与えられないままに、型に押し込められて社会へと送り出される子どもたちの現実を目にすると、世の中の多くの教育システムでは、子どもたちの可能性が最大限に発揮できない何か原因があるように感じます。

私にとってシュタイナー教育は、お気に入りのゲーテの言葉を自分自身に置き換えてなぞらえていくだけの自信を与えてくれました。それは、“Whatever you do, or dream you can, begin it.”『夢を描くこと。それさえできれば叶ったも同然だ』という人生哲学です。

<2>シュタイナースクール出身者であるということで大変なことはありましたか?

メインストリームと呼ばれる、いわゆる学歴を重んじる一般社会に受け入れてもらうこと自体は、私にはそれほど難しくありませんでした。仕事や解決しなければならない人生の問題といった日々のトラブルへの対処法は千差万別です。私のように、少し変わったオルタナティブな考え方ができる人間は、資源としてどこの場所でも必要とされ、歓待されたのは嬉しいことでした。

もちろん、まわりの多くが夢中になっている文化、(例えば、競争、駆け引き、ゲーム)などには自分は到底ついていけないと感じることはありました。でも、それは慣れというか、適当に流していけるようになりました。私自身はとてもストレートでシンプルな考え方、生き方をしてきているので、(シュタイナーワールドから卒業して周囲をみると)ああ、外の世界の学生はずいぶん回り道をしていて大変そうだな、と感じることが逆によくありました。

よかった点は、受験や試験を日常的に体験してきていない分、大学に進学するまでに学業疲れしていなかったせいか、大学在学中も学習意欲を保ち続けることができたように感じます。実際、与えられたものをこなすというより、よりクリエイティブに自分自身が学びたい方面を深めていけたおかげか、A-level試験(イギリスの試験制度)では4科目とも好成績をマークし、その後に進んだ大学も優秀な成績で卒業できました。ですから私としては、シュタイナースクールに通ったからといって、アカデミックな面での遅れが生じるとか、マイナスに働くということは最終的には決してないと実感しています。

<3>シュタイナースクール出身者ということで、就職にはどのような影響がありましたか?   

大学卒業とともにカメラアシスタントの仕事に就きました。今から思うと、あの時にアシスタントの仕事によって現場での経験を積むことができたのは本当に幸運でした。ただ、カメラの仕事はよい入口ではあっても、最終的に自分の進むべき方向ではないと感じていました。でも、与えられた仕事を通して前進していくことに恐れや不安はありませんでした。そうやっていくなかで、いろいろと自分なりに考えて、何よりも大好きなドラマづくり、脚本書き、カメラなどの映像の世界をすべて繋げていけるような仕事について真剣に追及していった結果が今です。

<4>日本に向けてシュタイナースクールの学生たちへメッセージがありますか?

そうですね。もし私からシュタイナースクールの学生たちへ何か伝えられるとすれば、それは、勇気をもって下さい、ということです。多くの局面で、たくさんの人たちがあなたに対して言うでしょう。「風変りな学校だ」、「どうもおかしな教育だ」、「あまりにも普通の学校システムとは違い過ぎている」。もしくは、学業面での優位性について従来の教育システムとシュタイナースクールとを比較して非難するでしょう。でも、勇気を忘れずにいてください。

私にとって教育とは、自分の人生の道を切り開いていくこと。つまり、A path of wonder, creativity and hope探究と創造性と希望を求めて踏みしめていく一すじの路です。その意味で、シュタイナー教育は、今の時代の子どもたち、ひとりひとりに、個々の『路』を勇敢に突き進んでいくチャンスを与えてくれるものだと思っています。

そう、自分とは何者かということを真に問い続け、そしてどこへ向かっていこうとしているのか、路の先を発見していこうとする意欲を持たせる教育だと私は信じています。以下に、ゲーテの引用の全文を載せたいと思います。そして、これこそがシュタイナー教育が私に与えてくれたものをまとめたものと言ってよいでしょう。

Here is the complete Geothe quote – and it sums up what Steiner gave me:

<Commitment>

“Until one is committed, there is hesitancy, the chance to draw back. Concerning all acts of initiative (and creation), there is one elementary truth, the ignorance of which kills countless ideas and splendid plans: that the moment one definitely commits oneself, then Providence moves too. All sorts of things occur to help one that would never otherwise have occurred. A whole stream of events issues from the decision, raising in one’s favor all manner of unforeseen incidents and meetings and material assistance, which no man could have dreamed would have come his way. Whatever you can do, or dream you can do, begin it. Boldness has genius, power, and magic in it. Begin it now.”

*上記のゲーテの言葉を分かりやすく訳したものはないかサーチしていたら、「和道」のひろこ氏(http://awalatina.blog.so-net.ne.jp/archive/c2301271468-1)が登山家のウィリアム・H、マレイによるゲーテを引用した文章の訳を以下のブログでシェアされていたので、ひろこさんに承諾を頂いてここに日本語訳として紹介します。

コミットメント:契約】

ある人が覚悟を決める前には、躊躇がある、

途中で手を引く可能性があり、それゆえ無効だ。

取り掛かるすべての行動(もしくは創造)に関して、ひとつの本質的な事実がある。

無知。それは無数のアイデアや輝かしい計画の息の根を止める。

人がある誓い(Commitment) をする瞬間、自然の摂理、つまり神の力も動く。

あらゆるものは、それが支えなければ存在しないはずのものを支えるために生じる。*

すべてのことは「決意する」ことから始まり、今はまだ見ぬ事柄、出会い、物質的な支援が起こるのだ

・・・誰もがまだ思い描いたことのない方法で。

私は、ゲーテによるこのカプレット(二行連)に、深い敬意を抱く。

「できることや夢見ることが何であれ、まずは取り掛かるの

大胆さには、天賦の才、力、そして魔力が備わっている。

“The Scottish Himalayan Expedition, 1951” より引用

ウィリアム・H. マレイ (1913-1996)

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William Coperthwaite(ウィリアム・カッパスワイト)さんに寄せて

写真1
写真2

写真:http://www.imrevolting.net/tag/william-coperthwaite/

「人の手に削られてきた道具ほど美しい芸術作品はない」
そう語るのは産婦人科医の吉村正先生です。

ご縁があって2度ほど招いて頂いた吉村医院には、手作りの茅葺き屋根の離れがあって、その庭では妊婦さんたちが毎日、斧を高く振り上げて重心を落とし、ストンと小気味良く薪を割っています。

古民具の収集をされている前院長の吉村正先生がこだわった空間のそこここに、農作業に使われてきた何百年も前の農具や、欠けを接いで大切に扱われてきた骨董の湯呑茶碗などが飾られています。

使い込まれた鋤(スキ)や鎌、斧。そこには、人の手と、時間が産み出した独特の存在感があります。

陽を仰ぎ、風を感じ、星を読みながら、大地の恵みを得るために人々が太古の昔から営んできた農業。そこで使われてきたモノ言わぬ道具たち。。。用途に応じて、暮らしのなかに溶け込んできたその洗練されたシェイプ。

ひとつひとつのものを見つめていると、不思議と感謝の気持ちが湧いてきます。農業に従事したことのない私にまで、感謝の気持ちを沸き起こさせる圧倒的な佇まい。見事だなぁ。。。と感動せずにいられません。

ひとつ、斧にまつわることで、「行きたい処には、無理をしてでも足を運ぼう!会いたい人には、たとえ迷惑に思われても会っておこう!」そう強く感じさせられたことが近年ありました。

それははじめにふれたウィリアム・カッパスワイトさんのことです。釘を使わない建築家として、また、木工アーティストでありナチュラリストとして世界的に知られたWilliam Coperthwaiteさん(http://en.wikipedia.org/wiki/William_Coperthwaite)は、 日本で作られた斧を長年愛用していました。

そのウィリアムさんが、2013年11月に交通事故で亡くなったのです。

彼の「hand made life~in search of simplicity~」という本を、シーカヤック仲間の御夫妻に初めて見せて頂いた時、「なんて美しいヤート!絶対いつか行ってみたい」と強く思ったことがまるで昨日のようです。

ウィリアムさんが日本の斧で作りあげた手作りの自宅(yurt)は、メイン州の北、カナダとの国境に近いMachiaspotという町の近郊にあります。ウィリアムさんの存在を私に教えてくれた日本人夫妻は、これ以上車両の入ることができないという地点から、標識も目印もない森の小路を一時間歩いてウィリアムさんの家(ヤート)をはるばる2度も訪れたといいます。

その運命の訪問を通して、ウィリアムさんのこれまでの足跡やライフスタイルを日本の人々に広く知ってもらいたい、と奔走してきた彼らも、がっくり肩を落としています。それは、ウィリアムさん愛用の斧を作ってきた高知県(檮原市)に28代続く鍛冶屋の影浦さんとて同じこと。

日本の斧をこよなく愛し、自分の作品づくりの相棒として使い続けてきたウィリアムさん。ハーバード大学の教育学博士でもあった彼は、肩書に書き切れないほど多彩な活躍をした方なのに、肩書きを外した一人の人間として森に住むことを選び、自分なりの生き方を実践していました。

そんな彼に生きているうちに一目でもお会いしたかった。。。

生きているウィリアムさんのエネルギーを直接感じることはもうできない。。。

そう思うと切ない気持ちでいっぱいになります。ただ、彼の遺した作品たちは、今でも、生きた木のぬくもりを通して、ウィリアムさんのこころとからだが知っていたことを私たちに伝え続けてくれている。そう思うようにするだけで、人が土に還り、大地の滋養となり、やがて若木となるような円環的なイメージにやさしく包まれます。

彼の残した本の世界と、自然に溶け込む宇宙船の様な家の佇まいは、未来を切り開いていく若者たちにとって、これからの時代にこそ、大自然との調和に在る“美”を知る道しるべであり続けることでしょう。

そして、その美に触れることによって、人が人としていかにシンプルに生きていくか、突き詰めていった時、現代の出産シーンの在り方を再考するきっかけにすらなるのではないかと私は感じているのです。

冒頭の吉村医院に戻りますが、古民家を移築し、古いものに新しい命を吹き込んで出来上がった吉村医院の産屋(うぶや)を前にすると、柱について、梁について熟知しているからこそ、産み出せるカタチがあるのだ、と思います。

何にでも言えることですが、それぞれのものにはそれぞれの力があります。

木の本来持つ生命力。

人の本来持つ命を産む力。

そこには、普遍的な美や調和といったものすら宿っていて、根っこはきっと同じところに在る。

そんなことを感じながら、ひと足先に旅立ったウィリアムさんを、会ったこともない方なのに、

とても身近に感じています。