第1回スコットランドに到着:デイドリームでタイムトラベル

大きなスーツケースを抱えてエジンバラのホテルに到着した午後は、

雪が降っていた。

ひょ〜寒い。。。

2006年4月、ローカルニュースによると、今年の寒さは特別だそう。

地元の人々は「妙な天気だ」と口を揃えている。

4月になるというのに、ここスコットランドでは

今日も雪がちらついている。

それは“雪”というより、

あれっ?

と手をかざした次の瞬間に、

雹に変わり、ほんの数分のうちに

たちまち雨となり、

気がつくと再び雪に戻っているという、

私にとっては体験したことのない不思議な現象である。

エジンバラの第一印象は、とにかく寒く、コロコロと移り気な空を抱えた街となった。

5分も外で遊んでいると、たちまち氷のように冷たくなっていく娘の耳。

その豆粒のような耳たぶをつまみながら、「この耳をすっぽり包んでくれる毛糸の帽子は一体どこで見つかるだろう。。。」と思っていると、弱気モードに入ってしまい

『ああ。。。お花見をすんでのところで逃したのはそれにしても惜しかった』

と不意に日本が恋しくなる。

まだ東京を離れてひと月もたっていないというのに、困ったものである。

ねぇ、おかあさん

2歳になる娘が、突然、

「ねぇおかあさん。こーたくんとぜんくんはどこ?」と運転中の私に向かってたずねてきた。

日本と同じ左側通行とはいえ、ハンドルさばきもおぼつかず、それでもなんとか

「どこにいるかねえ」などと私がとぼけた受け答えをしていると、

「どこにもいないよぉーだっ」と返してきた。

2歳とはいえ、娘もよく解っているのだ。

すでに日本から遠く離れた土地に私たちがやってきているということを。

片言の日本語を話しはじめたばかりの娘は、今、英語が解らずにフラストレーションを抱えているようだが、私よりもずっと英語が堪能になるのだろうなあ。。。

ちなみに↑こんな素敵なフラットが見つかった。

このアパートは壁の漆喰飾りがとんでもなく由緒正しくて、およそ220年前にこの漆喰飾りを手掛けた二人のイタリア人職人たちの名前が記録に残っている。



愚図る娘を一日中ベビースリングに入れて不動産めぐりをした甲斐があった。

ドゥーラ活動でも子育てサロンとして自宅を毎月解放できそうなとても広いリビングのフラットが見つかったのだから本当に嬉しい。

白い天井にはぐるりと漆喰の飾りがしつらわれ世界遺産に制定された別名「ミリオネアストリート」と呼ばれる道。

ミリオネアって。。。一体。。。

我が家はふつ〜のサラリーマン家庭。

たまたま住む場所についているニックネームがミリオネアストリートだからといって誤解しないで!

と声を高くして言いたいっ。

もちろん、かつては本当に大金持ちや貴族たちが住んでいたらしい。

当時は一つの番地をひと家族が所有していたようだ。

今はそれがフロアごとに区切られ4等分されている。

ミリオネアと言われる理由は、目の前には広大なプライベートガーデンがあり、この周辺の住人だけ鍵を渡され、いつでも自由に使えるようになっているのだ。

子連れには、本当にありがたい。

だが、

このプライベートガーデンの鍵は、

特権階級が力を持っていた時代(今も実際そうだけど)の名残だと揶揄して、人々の反感を買うこともあるらしい。

いまだにエジンバラのど真ん中の一等地を鍵で囲って!と。

もっとエジンバラ市民全体のために開放してほしい!

そんな声が上がっていると不動産屋が話していた。

住んでみて分かったことは、公園の高い管理料は全て家賃の一部でまかなわれているということ。

私たちが住んでいる4年近くもの間、毎日のように庭師が手入れをしていたし、

何より、大樹が見事で、生き生きとしていて、静かに過ごしたい住人たちは喜んでこの庭を大切に利用していたということだ。

もし、このプライベートガーデンが一般公開されていたら…

犬のフンやゴミが転がり、もっとせわしない空間であったろう。

私個人は忙しい子連れママで、詩作活動などする余裕もなく、小説家でもなく、静かに何かを公園ですることもないから市民に開放したって全然いいと思う。

でも、同じ道には「宝島」のロバート・ルイス・スティーブンソンや、マクスウェル方程式のマクスウェル(アインシュタインの相対性理論を生み出す時にアインシュタインが一番参考にしたと言われている)も住んでいた。

なので、このHeriot rowという道が通ってきた過去を振り返るとき、コミュニティーでのアート制作、詩作活動、情報交換において、やはりそこにはプライベートガーデンの存在意義はあったのだろうと想像する。

そして、今も、創作活動にふける人々がこのプライベートガーデンを使っているかもしれないのだ。

脱線したが、我が家はミリオネアではない!

今でこそ、ワンフロアに1世帯で合計4世態が住んでいるが、この道のフラットは昔は、先ほども書いた通り、地下から4階までをひと家族が所有していて屋根裏にはメイドさんが住んでいた。

この家の場合、空間の真ん中に階段があり、最上階(4階)に美しい天窓が備えてあった。

どれだけたくさんの人々が220年間もの間、この手すりに手を添えながら上り下りしたことだろう。。。

過去を想像すると、頭がクラクラしてきて一人デイドリームに浸ってしまう。

古〜い家に、

モダ〜ンに住めるって、

本当に一番の贅沢に思える。

私のようにバリバリのスピ系だと、瞑想したり、インナービジョンで直感が冴えまくりの生活が待っていそう。

息をしているだけで毎日がタイムスリップの連続になりそうでワクワクしている。

ただ一点だけ、

オールドスタイルの手すりの高さが低いことは、子連れにとっては少しだけ気がかりだ。

まぁ私たちは2階だし、よくよく言い聞かせて住めば問題ないだろう。

それにしても、この2週間ほどであまりにたくさんの物件を見たので、首から肩にかけてがまるで鉛のようにカチカチだ。

毎晩、借り住まいのホテルであたたかいお風呂にしっかりと浸かり、寝る前にはテルミー灸(温灸)を使って娘の全身と自分の首まわりだけはほぐすようにしている。

とるものもとりあえずやってきたスコットランドでの仮住まい。

ようやく見つけたこのHeriot rowの物件はモダン仕様にリフォームをしていたのだが、バスルームやカーペットなど最終的な工事が終わるのを待って、ようやく仮住まいのホテルから抜け出す時がきた。

思えば、小さな子供を抱えてひと月近くもホテル住まいだったことになる。

毎朝のブレックファーストタイムにお世話になっていたスタッフも多く、ホテルの方々との別れは本当に名残惜しかった。。。

私は毎朝のようにオーツポリッジ(麦の粥)の上にハドック(真鱈)の燻製と半熟卵が乗ったものをオーダーしていた。

そこには必ず醤油を垂らしていた。

だって、醤油との相性が良すぎる!

日本を離れる前にいろいろあったが、

まかれた種は、まかれた場所で花を咲かせよう!

と肚をくくって、

様々なものを後に残してやってきたスコットランドだったが、この麦粥があれば何とかここでも生きていける!と思った。

しつこいくらい毎朝同じものをオーダーしていたので2週間もすると何も言わなくても笑顔のスタッフはオーツポリッジを運んできてくれた。

かわいいかわいいと娘を可愛がってくださる。

街でもみんなが娘を『ゴージャス!』と愛でてくれる。

スコティッシュの皆さん超優しいなあ。。。

想像以上にみんながオープンで、私はしみじみ…

曇り空で寒くても、ハートはホッコホコになっているよ〜と

天に感謝した。


ふ〜ふ〜とスプーンの先で冷ましながら娘と二人で口に運んだ鱈の燻製と半熟卵のオーツポリッジの味を、必ずいつか心から懐かしく思い出すんだろうね。

優しいスタッフに見送られるようにチェックアウトした朝、振り返った。

みんながよく知っているチェーン店のホテルだが、正面玄関ではお世話になったホテルマンと娘がよく懐いてた女性スタッフが娘にいつまでも手を振ってくれていた。

みんなありがとう、本当にありがとう、ありがとう!

まだ仮住まいなのに、すでにこの国に来て良かった〜と感動。。。

大好きスコットランド!!!!!

さあ、次は引越しだ〜

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2006年の復刻ブログです。お読み下さりありがとうございました。

ノマドなドゥーラが運営するノマドゥーラ ウェルネスで

ケアを提供しているLOVEドゥーラAkikoの公式サイト

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https://nomadoula.com/pcbo/

メタモルフォーゼしていた

昨日オーガズミックランドスケープのリラックストークtime(オンライン)にご参加下さった皆さま有難うございました。海を隔て感じることが叶い毎回のことながら本当に嬉しかったです。

それにしても、女性のストーリーたちはあまりにも尊く、サナギの中のメタモルフォーゼ中のどろどろ感に満ち美しく、なんて素敵なのでしょう。シェアに感謝しています。

皆様からご感想を頂いた中で、参加者のお一人ドゥーラの小川溶子さんから以下のメッセージを頂きました。ご本人に了承を得てこちらに載せさせて頂きます。

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以下、小川さんの文章


「あきこさんこんにちは!昨日はZOOMでお会いでき、うれしかったです。 昨日のお話は、最近、(同じくドゥーラの)水田かえちゃんと話していたことと重なるところがおおきく、共感しながら拝聴しておりました。 私は自分の出産体験がとてもよくて、こうしたらよかったああしたらよかったと後悔することがほとんどありません。 産婦人科での出産でしたが、院内助産に近く、先生は最後に赤ちゃんがでてくるときだけ登場という感じ、会陰切開なし、二人目三人目は剃毛も浣腸もなし、もちろん陣痛促進剤も使わず、陣痛がついてからも廊下を歩いたり、階段をのぼりおりしての出産でした。 最近は、妊娠出産で自分の体がどういう状況なのか、とか、出産のときにどう使うとか、出産後は赤ちゃんがどんな顔(表情)をしているかということをからだ全体で受け止めるということがとても希薄になっていることを感じています。 妊娠出産は、人にまかせるものでなく、育児も、数値や月齢はあくまで目安であるということをもっと体感してほしいというのが最近思うところです。 うまく言えませんが、あきこさんの、どろどろしたもの、ということは、そういうことかなと思いました。 自分の出産経験がよかったからといって、それを話すことは憚れるような気持ちになることもあるのですが、よかったと思う出産経験について、もっともっと話していってもいいのかなと思いました。 うまくまとまったことが書けませんが、どうしてもお伝えしたいことでしたのでお送りさせていただきました。 また次回を楽しみにしております!」
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小川さんメッセージを有難うございました!

小川さんは、同じようなことをたまたまお仲間のドゥーラ同士で語り合っていたということですから、やっぱり女性を敬うケアをしている女性同士、時空を超えてつながっていますね(こんなデータもありますよ〜)。

『妊娠出産は、人にまかせるものでなく、育児も、数値や月齢はあくまで目安であるということをもっと体感してほしいというのが最近思うところです。 うまく言えませんが、あきこさんの、どろどろしたもの、ということは、そういうことかなと思いました』


さて、上記の、私が昨日のお話の中で「どろどろ」と言ったのは、個体と液体の中間のようなどろどろとした状態を意味していました。説明をあまりしないで使った擬態語でしたね、失礼^_^

日頃私たちは外側を小綺麗にして、何食わ〜ぬ顔して生きています。

でも、うん◯が出るのも、フケが出るのも、口内に唾液が出るのも、みんな大事な働きであり、特に分泌や排泄はとても重要な再生と解毒のサイクルです。

でもそれらを尊ぶどころか、私たちは汚いものとして扱ってしまう向きがある。

しかもテクノロジーがさらに追随をかけるように(例えば自分の尿の色や便を見たくても、自動でフラッシュされるトイレでは確認する前にあっという間に流れていってしまいます)、自分から出ていくものをよく観察する間もないようなライフスタイル。

With Covid19のライフスタイルでは、人体への得体の知れなさ、薄気味悪さ、汚さが増してしまったという方も多いかと思います。

他者との距離感が私たちの中で今までになく強固に線引きされ、さらには心身ともにせわしなくて、煩わしくて、感覚的には気味が悪くて、汚くて、そんなこんなで自分のカラダに対する関心を失っていらっしゃる方も多いようです。

特に女性器!なかなか膣と向き合わないから、おりものや匂いだけでなく、感覚にも無頓着な女性も増えています。

私のところにいらっしゃる方の中には、自分の膣の中の感覚がわからないと心配になって来られる方もけっこういるのです。

「早く赤ちゃんを授かりたい!妊活中なのに、相手の男◯を受け入れても、実際に入っているのか分からない。。。」

そんな、内側の感覚の無いという方々は必死です。膣まわりの無感覚なことが原因で妊娠できないのでは?と責めてしまわれるからです。

焦って感じようとすればするほど頭が優先になってしまいご自身をますます追い込んでしまいます。

悪循環なのですよね…感じないことは全然悪くないのですから、まずは責めたりすることだけは辞めて欲しいなって思うんです。

相談に乗らせて頂く際に、『思考しているうちは頑張り甲斐が目減りしちゃうよ〜』と伝えています。

思考は止められないもの、でも、芋虫が蝶になるときに、当たり前ですが考えていませんよね。

人間は芋虫じゃない。

ただこれまでに何回か、瞑想の中で、芋虫からさなぎ、そして蝶になるイメージをしていったことがあります。

単に瞑想の中とはいえ、とてもリアリティーがありました。

その時、次のステージに移れないときに限って、カラダのどこかに力が入っていました。

ところが、あることをしてふっと緩むと、ちろちろとオーロラの揺らぐような、軽いめまいに似た感覚がかすかにあって、その瞬間からどんどん次のステージへと変態していく感覚がありました。

あること、とはいつかまた順に書いていきますね。

とにかく、生きているだけで、自然に力が入ってしまっているのですよ現代人って。


だから意識して緩むって大事だなと本当に思っています。

弛緩できていると、あるがままに自分のカラダがどろどろに溶けていくんだと思うんです。

それから、そのメタモルフォーゼのプロセスが始まる時には、芋虫は芋虫なりにカラダの「うずき」があるのではないかな〜と。

疼(うず)きについては、芋虫の感覚を追体験しているような妙にリアルな感覚になったこともあります。

こればっかりは芋虫になってみないと分かりませんが、女性の変容も似ていると感じるんです。

「疼(うず)き」って本当に微細な感覚だから、それに気づけるか、気づけないかで、始まりからして入口が変わってくるから、出口までまったく変わってきてしまう。

その繊細な気配である疼きをもし私たちが、しっかりと感じられたら。。。

そして、ただただ呼吸しているだけのカラダを感じられたら。。。すごいことになりそうな気がしませんか。

シンプルに呼吸しているだけの状態(例えば瞑想)を1日のうちに意識的に味わっていくことで、自分の中の微細な感覚に気づける資質は確実に磨いていけます。

それって、つまり、直感磨きですよね。

「瞑想」って、言葉にすると大袈裟です。

けれど、簡単なもの。そして、瞑想とは直感磨きである以前に、自分がアメーバーのようにいったん解けて、どろどろになれてしまう「快」の境地です。

その感覚は、いつも膣まわりや丹田まわりからおとずれます。当然のことです。そのあたりこそが生命エネルギーを司っているからです。

「オーガズミックな地平」とよく言っておりますが、膣の奥には信じられないような個を超えた奇跡の「間」があります。

大袈裟ではなく、私たちが私たちであれるための経典の埋蔵されている空間だと私はこれまでに知ってきました。

妊活で満ちたりて、健やかにお産をしていく鍵も、しあわせな子育ても、心地よい閉経前後5年間と言われるトータル10年の移行期間もその後も、すべてそのあたりに関わってきます。

どれだけEBM(医学的根拠)ばかりが求められる時代にあっても、私たちは、この内側の感覚(直感)だけは忘れてはならないと思います。

もし、いくらリラックスをしても感じられないという方は、しっかり向き合って、思い出していく努力をすることが大切なのですね。

自分の内側にすべてがあらかじめ書き込まれている。

女性の器のこと、ココロとカラダの癖も。

それらが日々の少しの誘導で確実に変えていけるということも。

これは個人セラピーのクリスタルチャクラバランシング (オンライン)を受けられる方にはいつもお伝えしていることですが、呼吸に気づき、自分の内側と深くつながったと本人の感じられる状態で緩んでいくことが、一体どれほどのパワーをもたらしてくれるか私たちは知らなさすぎると思ったので、小川さんに注目して頂いた「どろどろ」というキーワードから今日は書いてみました。

じゃじゃ馬コロナ姫が鎮まりかけたかに見えるこの時期、今一度お一人お一人がご自身に向き合って、ただ呼吸する生命体になって、そのどろどろ感を味わってみて頂けたらと思います。

そこに至るためのツールの数を一つでも増やしたいと思い、私も知識を駆使しながらクライアントさんから日々私も学ばせて頂いています。

あらためて、女性にとって一番の「快」へのメタモルフォーゼは、妊娠・出産・子育てですよね(こちらのデータも参照に!)。まさにその渦中にあるという方はぜひ呼吸を見つめ直すところから意識してみてください。

お読みくださり有難うございました!

<YouTube>
チャンネル登録まだの方は良かったら最新動画からご視聴くださり登録して下さい。腸内細菌と免疫学、遺伝学について触れてみました。

「すべてを解く鍵 細菌+免疫+遺伝」

<ヒマラヤ無料音声配信>
https://www.himalaya.com/ja/player-embed/1745389
「毎日新聞インタラクティブ」に連載した私の妊娠ダイアリーです。登場する赤ちゃんは今や大学受験を控える女子高校生で私の長年の活動に心から賛同してくれています〜。しかも動画編集やサムネイル作りなど、学業の合間にささっとこなしてくれています😭。
コロナの影響で思わぬ状況で出産する方がいらっしゃるかもしれませんので、音声で復刻版を公開することにしました。ひょっとしたら響く方には、今でも様々な発見があるのではと思います。

<Twitter>
https://twitter.com/akikolovedoula

LOVEドゥーラAkiko

フランスよりメメント・モリ

お元気ですか、フランス在住のLOVEドゥーラAkikoです。じゃじゃ馬コロナ姫はまるで溶岩のようにじりじりと世界経済を融解し、一見フリーズさせてしまいました。

経済に超疎い私のような人間でも世界のママ友と交流しているとCovid19による経済的打撃をそこはかとなく感じざるを得ません(我が家はイギリスではシュタイナー校だけでしたが、アメリカ、ロシア、フランスと子供たちはインターナショナル校なので国籍がざっと40か国くらい異なるママ友がいます)。

世界のママたちから伝わってくるのは、不安、怒り、戸惑い、焦り。。。

大変な思いを抱えているのは日本のお母さんたちだけではないんですね。

というか、日本人のお母さんがすごいなって思うのは、怒りをあらわにしないところです。

西欧の方々はけっこうストレートなので、不安感というよりもっと強い感じ、そう「恐怖感」とか、政府や市への対応に対する反感など剥き出しだなあと感じます。

でも感情をありのままに放出する方が溜め込まないでいいのかもしれませんけどね。

海外に20年も住んできた私としては、有事における日本人の順応力には驚かされるばかりです。賞賛する一方で、女性、特に子育て中のお母さんにしわ寄せがいってないか心配になっちゃうことも。もし頑張りすぎていたら、お子さんにもお母さんの抱える不安の波動が伝わりますから。日本の新聞やネットのニュースで日本における産後うつや幼児虐待のニュースを目にし、気が気ではないのは私だけではないはずです。

いきなり飛躍しますが、人生の成功ってなんでしょう?

この自粛期間、飛躍的に内面の革命が起きた方もあれば、今まで外側がうまくいっていた方ほどカッチーンと凍りついてしまったのではないかなと思います。

私もこの週末、あらためて時間をとって瞑想をしながら自分自身に問いかけてみました。日課となっているオーガズミック ケア(自分のフェミニニティーを活性化するお手入れ)をして、そこから瞑想タイムへとつなげて自分自身を見つめてみました。

横たわって、カラダの7つのチャクラを通すようにして、第1&第2チャクラの間にエネルギーがゆっくり溜まってくると、あまりの安心感と心地よさにいつも寝落ちしてしまいます。

この時も、雲の上にそっと横たえられたような感覚になり、そのまま一瞬す〜っと眠りそうになったけれど、頭のどこかではちゃんと目覚めていました。

この日の瞑想で再確認したことは、一言で表現してしまうなら、分かってはいたけれど、自分にとって成功とは、いつも「モノ」ではなかったということ。

具体的に言うと、

「私にとって成功とは?」

と自問し、瞬時に浮かんだイメージが、なんと「死」でした。

「あ、抜けた」と思ったところから始まりました。

怖かったり、切なかったり、肉体を手放す直前までは断末魔の苦しみがあるとは思いますが、イメージが始まったのは、すでにそこを超えて、死んだ瞬間からでした。

ひゅ〜っと肉体から抜けて、「やけに軽いな〜何着てたんだろワタシ?」と思っている自分がもう、ひゅるひゅる〜っと。

そうなんだ、自分ってここまで自由自在でシンプルな存在なんだよね、なんて感じている。感じるというか、安堵感というかありがたさにただ満ちている。



その境地でちょっと驚いたのは、その時、まったく執着心がなかったということ!大切な家族のことも、愛する人たちのことも、大事にしているクリスタルたちのことも、離別について抵抗感がなかったんです。

でもそれは、離れるというか、逆に、自分がそれらの一部にもなっていくような感覚もあったので、寂しさなんか微塵も感じないからなんですね。

でも焦りました。

待って待って!まだ生きているこの世界での「成功」についてフォーカスしていたのに、いきなりなんで死後なの〜?と。。。

この次元に上手く生きていけてない私みたいな根っからの変わり者は、やっぱり仕方がないか、とも納得。昔からなんでも額面通りに受け取ってしまう真面目な一方で、どこか破壊的で、単純で、変な子だったよなと走馬燈のように振り返るわけです。

破壊と再生の神シヴァではないけれど、怒ると野生の狼のように大変な熱量で表現し、おさまっていくと今後は、その全熱量を傾けて再生のステージへ猪突猛進。そのループで瑞々しくも実に荒々しく今日まで生きてきてしまいました。

もし、女性に寄り添うという今のペルソナがなかったら、私は多分、男性性が強すぎて、女性のカラダを持て余し、人生つまずいていたと思うなあと感じたり。

そして冷静に自己分析すると、私は自分には能力がないにもかかわらず、周りに支えてもらう幸せな社長タイプらしく、様々な方々との貴重なご縁、目に見える物質的なもの(経済)や、見えないもの(守護)にずっと護られてきました。

幼い頃から物質的に欲しいものが手に入らなかったことがないという恵まれた人生を送ってきました。

でもそれらは、いつも周りから与えられてきたものばかりでした。


そんな苦労知らずのせいか、無邪気で、残酷で、存在しているだけで知らず知らずのうちにお相手を傷つけてしまっていることもあったかと思うんです。

言い換えると、他の人たちが掲げているような成功はバランス良くすべて周りから施してもらっているせいで、自力で立ち上がろうとしている方々の苦しみや葛藤に深く寄り添えていないことも多々あったのだと思うんです。

そんな甘ちゃんの私が「成功とは?」とあらたまって自問したわけですから、

「そんな貴女では生きている間には、決して成功は存在しえないよ!
なぜなら貴女は全てにおいて既に日々成功し続けているんだよ。
まずはそこに気づきなさい!」

って言われたような気がするんです。でも初めてじゃない、既にずっとずっと知っていたような気がするんです。求めているものは自分の中にすべて詰まっているって、6年前のブログ←にも振り返ったら書いていました。

すべてのものから離別しながら、同時に融合していけるのが死。

そう「死」をとらえ直したら、なんというか。。。そうか、「死」は究極の成功体験なのだと思えました。

つまり!逆に言えば

生きているだけで究極の成功体験なのだと今回実感できたわけです。

今ここでこうして息をしていることも、あちら側で息をしていないことも、少し投げやりな語調だけれど、どっちでも別に構わないことであり、同時に「最大の関心事」である、そんな境地です。

最後の息を吐く瞬間まで関心を持ってこの人生を生きていくけど、生きているか、死んでいるかなんて、究極的にはささやかな差異に思えてきます。

父が亡くなったのはもう18年も前のこと。にもかかわらず、父は生前よりもずっと力強く私の背中を押し続けてくれていますし、ずっと前に召された愛する祖父もいつも私を信じてくれている気がします。


これは、今日これを書いていて振り返ると、自分自身を女神として扱うオーガズミック ケアを実践してきた成果とも呼べます。「見た目だけの成功」ではなくて、根源的な揺るぎない成功に繋がっていると感じられます。

家族のためとか、学校のためとか、仕事のためとか、今も情けなくていろいろ取り繕いたい自分もいますが、それだと長い目で見て化けの皮が剥がれてしまうというか、肉体とのバランスがとれなくて、自分で自分を苦しめてしまいますからね。

どんな素晴らしいことを言っても結局は肉体という器を持っていますから。

だから思うんです。心身のバランス取りって本当に大切だなあと。

まずはとにかく自分への計らいを丁寧にできていると、
たぶん、すべてはうまくいく。。。

たぶんね(笑)。

だから今、それをこの人生を使って実験させてもらっているんだと思います。

拙い長文をお付き合いくださりありがとうございました。

LOVEドゥーラAkiko