温活についてとキネシオロジーの不思議

日本から届くニュース画面を見て言葉を失っています。甚大な土砂災害で尊い命を失われた方々のご冥福を心よりお祈りしています。。。

9月に入り、急にロンドンも雨が多く、寒くなってきました。ストールを一枚バッグに入れて外出しないと、一日のどこかで忘れたことを後悔するような季節です。イギリスも日本も、四季のあるおかげで、その移ろいを楽しみ、また惜しむなかで、美しい絵や詩、旋律といったアートがうまれ、私たちの生活に豊かさをもたらしてくれます。

一方で、身体的には、寒さは少しずつ体から熱を奪い、確実に免疫系の働きを下げてしまいます。筋肉の緊張をうみ、毛細血管を狭め、その結果、血の巡りの悪くなることが、女性の場合には子宮の本来持っている育む力、産む力を弱めることも分かってきています。ホルモンの分泌や、卵子の成長、着床と妊娠期の全プロセスに深く関係してくるからです。

身体の冷えは、時に「心の冷え」も招いてしまいます。これは相互関係で、「なんとなくあったかい気持ち」、「心がほっこりしている」と思う時には、身体もホコホコとなり、血流量も実際に増すことが知られています。つまり、気持ちが安定していると、より妊娠しやすいカラダになっていくのです。

このことは、東洋医学においては基本的な認識かもしれません。日本人であれば、親、祖父母の代から「腹巻だけは忘れるな」、「肩を冷やしちゃダメだよ」、「首まわりはあっためて」など、なにかしらは絶えず言われて育ってきているので、私たちの価値観のなかには冷えに対する「抵抗感」が刷り込まれています。しかし、欧米では、その私たちにとってごく当たり前の価値観=プロテクションが「薄いなぁ!」と実感することがあります。ですから、不妊治療などの性と生殖に関わる分野で、鍼灸をはじめとした血流量を高める施術や、楽しく続けられる毎日のエクササイズ、そして食物の陰陽をとり入れた身体を温める食療法が欧米でも注目されてきたことを嬉しく思っています。

さて、そんな中、この一年ほど私がとても関心をもっているものに、キネシオロジーというものがあります。キネシオロジーは、骨格の歪みを調整することで知られるカイロプラクティックに、栄養学、心理学、経絡といった東洋思想を取り込んだ代替医療です。セッションの流れとしては、カウンセリングをしつつ、潜在意識のエネルギーの状態を「筋肉反射テスト」を用いて調べ、そこに滞りがあれば紐解き、本人にとって最適な状態へと導いていくというものです。

ロンドンでセラピストとして活動されている長澤紀子さんとは、一年ほど前に出会いました。彼女の主催するキネシオロジーのセッションは、キネシオロジーについてまったく知らなくても楽しめる不思議な魅力にあふれています。各方面で活躍している方々とのコラボセッションが多く、‘音とキネシオロジー’、‘色とキネシオロジー’、‘味とキネシオロジー’、‘香りとキネシオロジー’といったように、毎回、五感をフルに使った内容が織り込まれていて発見がいっぱいです。

この発見というのは、自己再発見のこと。「へー!私ってこの色がこんなに好きだったんだ!」とか、「あれ?もっとこの音を聴いていたい自分がいるぞ」というように、自分の感じる事々をあらためて意識するだけで、驚くほどに心身のコリがほどけ、楽になっているのが感じられると皆さん言います。

「最終的には、自分に勝る癒し手はいない」このことは繰り返し「キネシって根in ロンドン」(http://ameblo.jp/lkroot/entry-12072716387.html )というタイトルのブログなどにも紀子さんがご自身の言葉で書かれていますが、「究極的には、自分が自分を癒せる存在であるんだよなぁ」と私もあたらためて思います。紀子さんがコラボワークショップと同時に開かれている‘カフェキネシ’という毎月の定例会は、キネシオロジーの実践的なセッションを中心に、参加した方が心からの笑顔になれるようにと想いをこめて開かれているそうです。週末は小学校の先生もされている多忙な紀子さんですが、長年の自分探しの旅を通して、また、セラピストとして、教師として、本当にたくさんの自分発見をされてきたことで、芯からキラキラと光り輝いている方です。

その長澤紀子さんを10月の‘らくだの会’にお呼びして、これから赤ちゃんを授かろうというステージの方、頑張っていらっしゃる方に向けてワークショップを開くことになりました。実は紀子さん自身、キネシオロジーに出会う前は頑張り屋さん過ぎて、筋肉が緊張していたために「隠れ冷え」を抱えていたといいます。キネシオロジーは、身体からの信号を読み取ったうえで、自分の本当に望む状況に現在いるのかどうか、自分自身の現状を知るテクニークでもありますので、「授かること」に対して義務感を感じてしまっている方、心身ともにお疲れ気味の方に参加して頂き、自分の内側に備わる可能性を知ることで元気をもらい、より妊娠しやすいカラダづくりに向けて考えるきっかけにして頂ければ幸いです。

10月 らくだの会

今月のらくだの会では、現在、赤ちゃんを授かりたい方を対象に開催します。今回のコラボセッションでは、キネシオロジストの長澤紀子さんを講師としてお招きします。

授かりたくて努力している自分自身について、より深く知って、具体的な対策を考えていきます。キネシオロジーのミニ個人セッションのほか、呼吸法による内観、フリーダンスで身体の動きに加わる変化を感じて頂きます。また、ペインティングやスタンバイエンジェルチャームづくりを通して、自分だけのアファーメーションを見つけます。

身ごもっているかもしれない未来の自分像や、自分なりの妊娠へのヴィジョンをふくらませ、現状での自分のウィークポイント・不安な部分を的確に知り、認めていくうえで、何が今日から実践できるのか、妊娠に向けた具体的な方策を増やしていきましょう。

動きやすいストレッチ素材のボトムズでいらしてください。また、ヨガニードラの瞑想中に足先が冷えないように、厚手のソックスやルームシューズなどもお持ちください。

手前に立っている白い服が長澤紀子さん。受講された方にキネシオロジーを試したところ、あまりの効果にご本人が(お腹の赤ちゃんと一緒に)驚かれた素敵な瞬間です。
手前に立っている白い服が長澤紀子さん。受講された方にキネシオロジーを試したところ、あまりの効果にご本人が(お腹の赤ちゃんと一緒に)驚かれた素敵な瞬間です。

<長澤紀子さんからのメッセージ>

カラダのエネルギーを体感し、カラダの声を聞いてみましょう。自分の軸を感じながら、自分に合った物を選び、感情や思考のバランスをとる経験をしてみましょう。妊娠だけに限らず、これからの人生を 「より豊かに自身で選び取る事が出来る」 という自信がふつふつと芽生えていくかもしれません。

10/21(wed) 10:30-14:00
場所:TW2(リッチモンド周辺)※詳細は追って参加者にお伝えします
参加費:30ポンド(ヘルシーランチ付き)
制作したスタンバイエンジェルチャームはお持ち帰り頂けます

お問い合わせ&お申し込みはメールにてお願いします。

akikobirthdoula@gmail.com

ドゥーラ体験をした医師が感じたこと

オックスフォード大学自然史博物館にて
オックスフォード大学自然史博物館にて

今回は日本で呼吸器系の内科医として患者を診てこられたA先生の興味深いエピソードを紹介させてください。A先生はこの夏までご主人の研究に付き添い、イギリスのオックスフォード大学で研究生活を送られてきました。現在はご夫婦ともに日本に帰国され、A先生は東京郊外で在宅診療をされています。

*以下のお話は、日本へご帰国される数か月前にお伺いしたものです。

イギリスへ転居するまでは日本の大きな病院で激務をこなしていたというA先生ですが、オックスフォードでの研究生活も落ち着いてきたころ、思いもかけず息子さんと同じ学校に通う男の子のお母さんのお産に付き添うことになったといいます。

アフリカのザンビアからやってきた彼女に、「一緒にいて欲しい、と頼まれて、気づいたらドゥーラをしていました」というA先生。医療者としてではなく、友人としてお産に寄り添ったその時の体験は、医師として働き続けていくうえでちょっとした気づきをA先生に与えてくれたそうです。異国でのドゥーラ体験を今後に役立てていけるとすれば、それは、「いつも患者の立場に立って想像力を発揮しながら、気持ちを添わせる努力を医師として怠らないこと」だと言います。

「仲のよい友人というほどではなかったのですが、子ども同士が同じ現地校に通っていたので、息子のクラスメートのお母さんのために、この私に何か出来るのなら。。。という気持ちで引き受けました」。そう振り返るA先生は、お産で、具体的にどんなことをしたのでしょうか?

「付き添っていてくれるだけでいい、という希望だったので引き受けられました。彼女の自宅から病院までのドライバーとなったり、怖がる彼女を励ましたり、陣痛中は背中をさすったり、頼まれたものを取ってあげたり、本当にそばにいてあげるだけしかできなかったと思いますが、実際にお産に立ち会ってみて実感したのは、せわしない中で、産婦さんはなかなか安心できないもんなんだなぁ、ということですね。そんな時に、もしあらかじめ、大まかな流れを丁寧に説明してもらえたら、こちらも安心して任せていられるのですが、スタッフも大忙しで説明が少なかったり、産婦さんに継続して寄り添ってくれる人員が足りなかったり。。。とは言っても、それってイギリスに限らず日本でもどこの病院でも当たり前にあることなので仕方がないんですよね。。。」

「友人のお産となると、感じ方がやっぱり違いますよね。医師としての自分ではなく、友人として赤ちゃんに真っ先に会えたことを光栄に感じていました」

ご自身の中のドゥーラ的な資質を発揮し、友人に寄り添ったA先生は、産後、友人と彼女の家族に深く感謝されたといいます。その後に、ドゥーラという職業があることを偶然知ったA先生は、なるほどなと思ったのだそうです。

「ドゥーラは大切な役割だと思います。初めての場所で、知っている人もいない環境で、自分のことを妊娠中から見知っている誰かがずっとそばにいて励ましてくれる。それだけで本当に大きな助けになると思うからです」

私(木村)は以前より、ドゥーラとは、そもそも職業ではなくて‘心の在りよう’とか、‘人としての資質’ということを書いたり話したりしてきたのですが、まさにA先生の体験されたことと重なります。放ってはおけない!と思って、気づいたらドゥーラをしていた、そんな人は年齢も国籍も職種も越えて、すでにドゥーラですし、そういう方は世界中にたくさんいるんですよね。

日本に帰国される直前のA先生が最後に残してくれた言葉が私には印象的です。

「目の前のお相手には様々な事情があって、しかも外国人だったりもする。そんな自分には想像もできない背景をもっている患者さんのことを、短い診察時間のなかで、どれだけ丁寧に扱うことができるか。。。元々、日本でも、患者さんひとりひとりとなるべく丁寧に付き合うことに喜びを感じていましたが、医師として今までは本当に激務だったので、これからどうやって働いていくか考えさせられますね。医師も学び続けないと、ですね。」

私と同じような年頃の子どもたちを抱えたA先生。日々のお仕事と家庭との両立は本当に大変なこととお察ししますが、彼女のようなこころある医療者には今後もバーンアウトせずに診療し続けて頂きたいと願ってやみません。

同時に、私自身、ケアの受け手として、一方でドゥーラとして、医療への信頼を大前提としながらも、これまでのような医療に依存しきった姿勢はそろそろ見直してもいい時期に来ていると感じています。
あらためて確認するまでもないことかもしれませんが、健康な妊娠は、病理ではなく生理として捉えられているために、本来、妊産婦さんを患者さんとは呼びません。でも、それは呼び方の違いであって、現代医療のなかでは、両者ともに同じような立場に位置づけられがちです。ですから、患者の在り方と妊産婦の在り方との共通点を見つけだし、そこから何かを学ぶことができます。

もちろん、事件、事故など一刻を争う救命の現場では、患者に対するほとんどの決定は医療者に委ねられるでしょう。でも、その高度な医療技術の恩恵を謙虚に享受しつつも、一方で、私たち現代人を悩ます多くのケースが日々の生活スタイルや食生活によってある程度予防できるものだとしたら、私たちは、日ごろの生活の中で予防できていなかったことを見つめて、以後はできるだけ身体からの声を感じ取り、それを医療者に対しても相手が分かるように表現していかなくてはなりません。特に、長い時間をかけて産むための準備を整えていくプロセスにある妊娠さんや、長い時間をかけて向き合っていく慢性疾患の患者さんには、さまざまなケアの選択肢があるわけです。医療者と協働で、よりよい治療法を選択していく自律性は、産前産後のお母さんにも、患者と同様に必要とされていると感じます。最終的な方向は、他人が決めることではなく、本人が自己決定していく。すなわち、医療に丸投げではなく、責任を持つことを置き忘れたくないものだと思います。

ただ、その選択のプロセスにおいて、まさに陣痛の真っ只中にある産婦さんや、産後直後のお母さん、痛みに苦しむ患者さんにとっては、とても個人では乗り越えられないと思う時があります。選択など今は到底できない!と感じるような瞬間に、「どんな時にも自分らしくあれるように」などナンセンスに響くかもしれません。

そのような場合に、あらかじめ事前ミーティングを重ねてきたドゥーラのような他者の存在が意味をもつのでしょう。ドゥーラは、他のすべての非医療者のケアギバーと同様に、病室に横たわるその人物が、一体、どのような価値観(言葉を替えると、スピリチュアルニーズ)を抱き、いかなる半生を送ってきて、今はどんな人生観をもっているのか。数字やデータには表されない個人のライフジャーニーを前もって聴き取る可能性が高いです。話からだけではなく、事前の自宅訪問などで知り得るのは、過去の生い立ち、家庭内の様子や、同居の家族や、一緒に住んでいない家族とのこと、家族の人間関係、本人の中の希望や不安、将来への見通しなど、本当にさまざまな事柄についてです。そして、必要と判断すれば、本人に了承を得たうえで医療者にも伝え、サポートの在り方や実際の処置に役立てていってもらうこともあるかもしれません。

そのような意味で、医療者と医療の受け手との間にあって、黒子のように存在し、橋渡し役を担おうとしているのが、ドゥーラのような非医療者のケアギバーなのです。

映像作家Stewart Sugg氏へのインタビュー

今回のブログは、いつもとまったく趣向を変えて、イギリス人映像作家のStewart Sugg氏(以下、スチュワート氏)の突撃インタビューです。彼はシュタイナースクール出身のクリエイターですが、最近日本では、やはりシュタイナースクール出身の俳優、斎藤工さんが人気のようです。私のまわりにも斎藤工さんを評価するママ友達が数名いるのですが、そのうちのお一人が「斎藤工の話が面白い」と絶賛していました。

スチュアート氏に話を戻します。彼は映画監督として、またTVコマーシャルのディレクターとして世界中で活躍してきました。近年では、アラビア半島で撮影されたウミガメと少年の物語を綴った映画『The Turtle』の他、時計会社ローレックス(Rolex)のために長年撮り続けてきた幻想的なコマーシャルはどれもうっとりする美しさです。この数年だけでも、World Media Festival Gold 2014, New York Film Festival Gold World Medal 2013, World Media Festival Gold 2013, Cannes Gold Dolphin Best Environmental Film 2012と数々の賞を受賞しているスチュワート氏に、その多忙なスケジュールの合間をぬって、シュタイナー教育に関する4つの質問に答えて頂きました。ゲーテの言葉を引用するなどして熱い想いを語って下さった彼に心より感謝しています。

Stewart Suggスチュアート氏:アブダビでの映画撮影中
Stewart Suggスチュアート氏:アブダビでの映画撮影中

<1>シュタイナー教育は、あなたの人生にとってどんな意味があったと思われますか?
私がイギリス南東部のMichael Hall Steiner School に通い始めたのはクラス1(通常5歳―6歳)に進学する前の幼稚園時代のことです。そのまま18歳まで持ち上がり式でずっとシュタイナー教育システムの中で学生時代を送りました。シュタイナー教育が私の人生に与えたもっとも大きなインパクトは何かと聞かれたら、それは、自分が何者であるかを探求させてくれた、ということです。さらには、自分が心の底から本当にしたいことは何かを見つけ出す力を与えてくれたことです。

映画を撮ることとはまったく縁のない家庭環境に生まれ育ったので、この世界に飛び込むには多少のためらいはありました。でも、学校で学んできたことが自分自身を結果的に後押しして、クリエーターとしての人生へ踏み出す手助けをしてくれたんです。作品を撮り始めて25年になりますが、この仕事は大きな喜びと創造性、そしてエンパワメントを私の人生に与え続けてくれています。

「自分が何者であるか」についてまだ多くを模索している成長の途上であるにも拘わらず、時間的、精神的な余裕を与えられないままに、型に押し込められて社会へと送り出される子どもたちの現実を目にすると、世の中の多くの教育システムでは、子どもたちの可能性が最大限に発揮できない何か原因があるように感じます。

私にとってシュタイナー教育は、お気に入りのゲーテの言葉を自分自身に置き換えてなぞらえていくだけの自信を与えてくれました。それは、“Whatever you do, or dream you can, begin it.”『夢を描くこと。それさえできれば叶ったも同然だ』という人生哲学です。

<2>シュタイナースクール出身者であるということで大変なことはありましたか?

メインストリームと呼ばれる、いわゆる学歴を重んじる一般社会に受け入れてもらうこと自体は、私にはそれほど難しくありませんでした。仕事や解決しなければならない人生の問題といった日々のトラブルへの対処法は千差万別です。私のように、少し変わったオルタナティブな考え方ができる人間は、資源としてどこの場所でも必要とされ、歓待されたのは嬉しいことでした。

もちろん、まわりの多くが夢中になっている文化、(例えば、競争、駆け引き、ゲーム)などには自分は到底ついていけないと感じることはありました。でも、それは慣れというか、適当に流していけるようになりました。私自身はとてもストレートでシンプルな考え方、生き方をしてきているので、(シュタイナーワールドから卒業して周囲をみると)ああ、外の世界の学生はずいぶん回り道をしていて大変そうだな、と感じることが逆によくありました。

よかった点は、受験や試験を日常的に体験してきていない分、大学に進学するまでに学業疲れしていなかったせいか、大学在学中も学習意欲を保ち続けることができたように感じます。実際、与えられたものをこなすというより、よりクリエイティブに自分自身が学びたい方面を深めていけたおかげか、A-level試験(イギリスの試験制度)では4科目とも好成績をマークし、その後に進んだ大学も優秀な成績で卒業できました。ですから私としては、シュタイナースクールに通ったからといって、アカデミックな面での遅れが生じるとか、マイナスに働くということは最終的には決してないと実感しています。

<3>シュタイナースクール出身者ということで、就職にはどのような影響がありましたか?   

大学卒業とともにカメラアシスタントの仕事に就きました。今から思うと、あの時にアシスタントの仕事によって現場での経験を積むことができたのは本当に幸運でした。ただ、カメラの仕事はよい入口ではあっても、最終的に自分の進むべき方向ではないと感じていました。でも、与えられた仕事を通して前進していくことに恐れや不安はありませんでした。そうやっていくなかで、いろいろと自分なりに考えて、何よりも大好きなドラマづくり、脚本書き、カメラなどの映像の世界をすべて繋げていけるような仕事について真剣に追及していった結果が今です。

<4>日本に向けてシュタイナースクールの学生たちへメッセージがありますか?

そうですね。もし私からシュタイナースクールの学生たちへ何か伝えられるとすれば、それは、勇気をもって下さい、ということです。多くの局面で、たくさんの人たちがあなたに対して言うでしょう。「風変りな学校だ」、「どうもおかしな教育だ」、「あまりにも普通の学校システムとは違い過ぎている」。もしくは、学業面での優位性について従来の教育システムとシュタイナースクールとを比較して非難するでしょう。でも、勇気を忘れずにいてください。

私にとって教育とは、自分の人生の道を切り開いていくこと。つまり、A path of wonder, creativity and hope探究と創造性と希望を求めて踏みしめていく一すじの路です。その意味で、シュタイナー教育は、今の時代の子どもたち、ひとりひとりに、個々の『路』を勇敢に突き進んでいくチャンスを与えてくれるものだと思っています。

そう、自分とは何者かということを真に問い続け、そしてどこへ向かっていこうとしているのか、路の先を発見していこうとする意欲を持たせる教育だと私は信じています。以下に、ゲーテの引用の全文を載せたいと思います。そして、これこそがシュタイナー教育が私に与えてくれたものをまとめたものと言ってよいでしょう。

Here is the complete Geothe quote – and it sums up what Steiner gave me:

<Commitment>

“Until one is committed, there is hesitancy, the chance to draw back. Concerning all acts of initiative (and creation), there is one elementary truth, the ignorance of which kills countless ideas and splendid plans: that the moment one definitely commits oneself, then Providence moves too. All sorts of things occur to help one that would never otherwise have occurred. A whole stream of events issues from the decision, raising in one’s favor all manner of unforeseen incidents and meetings and material assistance, which no man could have dreamed would have come his way. Whatever you can do, or dream you can do, begin it. Boldness has genius, power, and magic in it. Begin it now.”

*上記のゲーテの言葉を分かりやすく訳したものはないかサーチしていたら、「和道」のひろこ氏(http://awalatina.blog.so-net.ne.jp/archive/c2301271468-1)が登山家のウィリアム・H、マレイによるゲーテを引用した文章の訳を以下のブログでシェアされていたので、ひろこさんに承諾を頂いてここに日本語訳として紹介します。

コミットメント:契約】

ある人が覚悟を決める前には、躊躇がある、

途中で手を引く可能性があり、それゆえ無効だ。

取り掛かるすべての行動(もしくは創造)に関して、ひとつの本質的な事実がある。

無知。それは無数のアイデアや輝かしい計画の息の根を止める。

人がある誓い(Commitment) をする瞬間、自然の摂理、つまり神の力も動く。

あらゆるものは、それが支えなければ存在しないはずのものを支えるために生じる。*

すべてのことは「決意する」ことから始まり、今はまだ見ぬ事柄、出会い、物質的な支援が起こるのだ

・・・誰もがまだ思い描いたことのない方法で。

私は、ゲーテによるこのカプレット(二行連)に、深い敬意を抱く。

「できることや夢見ることが何であれ、まずは取り掛かるの

大胆さには、天賦の才、力、そして魔力が備わっている。

“The Scottish Himalayan Expedition, 1951” より引用

ウィリアム・H. マレイ (1913-1996)

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