第10回 土足文化と私のケミストリー


ドロだらけの靴のままソファーでジャンプ!?

たまにカーペットそうじの業者さんが入るけれど、いつもかなり汚れているカーペット。

上の階のラブラドールのポリーがいつも泥だらけで駆け上がってくるので、基本的にこの内階段は外と同じ感覚で生活している。

よそのお宅に招待されて、靴のまま足を踏み入れることに、まだまだ強い違和感を感じる。

ここスコットランドも、ほかのヨーロッパの国々と同じように、靴の文化。

『郷に入らば郷に従え』だと思って諦めようとしても、そう簡単にはいかない。

なんとか自分の家だけは土足厳禁にしているけれど、保育園や娘の友達の家で、ドロだらけの靴のままソファーを跳ねる子どもたちを横目に、“不衛生だな~”と思ってしまう毎日だ。

そんな抵抗感をまわりに気づかれないように、わざとおおらかな人間のように振舞ってしまう自分もいるから、やっかいだ。

赤ちゃんを路上に寝かせて・・・

先月もこんなことがあった。

一緒にブランチをした仲間のスコットランド人ママは、生後4ヶ月のかわいい赤ちゃんを抱えていたのだが、レストランを出たところで、彼女は自分のスポーツシューズの靴紐がほどけていることに気がついた。

その瞬間である!!!!

結びなおす間、私が抱っこしてるからとこちらが手を差し伸べるまでもなく、彼女はごく自然に赤ちゃんを路上に横たえたのだった。

旅行カバンでも置くように、さらりと我が子を道に下ろす母!

赤ちゃんの髪の毛が道路に着く。

私は思わず絶句した。

そして、この感覚の差だけはどうしたって、たとえ何年ここに住もうと、自分にはぜったいに越えられないであろうことを再確認したのだった。

何も言えない自分

そんな時でも、『あ~あ~なんてひどい!!!汚れちゃうじゃない可愛い赤ちゃん』と胸のうちではつぶやけても、相手に伝えるのはものすごく難しい。

あまりに一瞬の出来事で、反応のしようがないというか。。。

すでにショックで動揺しているし、加えて、自分はこの国での価値観や習慣についてとやかく言える立場ではないという思いが、喉まで出かかった言葉を呑む。

赤ちゃんが歩道に横たえられていたのは、ほんの一瞬だったはずだが、私にはとても長く感じられた。

無言のまま、一体私はどんな顔をしてその場に立ち尽くしていたんだろう。。。

彼女が靴紐を結び終わり、我が子を抱き起こして立ち上がると、そこには何もなかったように先ほどまでの会話の続きが展開されていく。結局なにも言えなかった自分に、なんとも言えない居心地の悪さが残る。

越えられそうもない壁

道端にゴロリと寝そべる若者を見かけることもあるけれど、そんな時も、日本のジベタリアン(もう古い言い方?)なんてカワイイもんだとつくづく思う。

ジベタリアンは、道に座り込むのは好ましくない行動だと知りつつ座っているからだ。

ご覧ください。また見つけたスコティッシュ版のジベタリアン!

こちらの若者ときたら、あどけない笑い声をカラカラとたてながら牧歌的な雰囲気を漂わせて寝そべっている。

まるで大草原にでも転がっているようだ。

あまりにも自然す、ぎ、る。。。

そこに、決して越えられない壁を感じる。


言い換えれば、私って日本人だなーとあらためて自分の居場所を確認するときでもある。

その壁(違和感)こそ、文化の違いなんだと思うと、ある時は壁になり、ある時には魅力そのものとなる異文化を体験できるのは、苦労も多いけど貴重なことだと思う。

この『違和感』や『拒否反応』をいつまで保ち続けられるのだろうか。

外国人にとっての「麺をすする音」

日本人より日本語の上手な英国生まれのピーターバラカン氏が、以前どこかのラジオ番組で、数十年日本に住んでいても麺をすする音だけには体が反応してしまうというようなことをこぼしていたが、わかる気がする。

スコットランドに来て以来、4ヶ月が過ぎて、そんなことを少しずつ考えはじめたということは、逆にかなりの部分で、私たちの生活がスコティッシュ化されつつあるということの裏返しなのだ。

知らず知らずのうちに、何かが自分のなかで変化していっている。

土足うんぬん以外のことは、さらにどんどんスコティッシュ化が進んで、いつのまにか日本人としての感覚が分らなくなってしまうんじゃないかと感じる今日この頃である。

そのひとつに、『食べ物』についてがある。

次回は、ここでの食事をみてみたい。

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お読み下さりありがとうございました。

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第1回スコットランドに到着:デイドリームでタイムトラベル

大きなスーツケースを抱えてエジンバラのホテルに到着した午後は、

雪が降っていた。

ひょ〜寒い。。。

2006年4月、ローカルニュースによると、今年の寒さは特別だそう。

地元の人々は「妙な天気だ」と口を揃えている。

4月になるというのに、ここスコットランドでは

今日も雪がちらついている。

それは“雪”というより、

あれっ?

と手をかざした次の瞬間に、

雹に変わり、ほんの数分のうちに

たちまち雨となり、

気がつくと再び雪に戻っているという、

私にとっては体験したことのない不思議な現象である。

エジンバラの第一印象は、とにかく寒く、コロコロと移り気な空を抱えた街となった。

5分も外で遊んでいると、たちまち氷のように冷たくなっていく娘の耳。

その豆粒のような耳たぶをつまみながら、「この耳をすっぽり包んでくれる毛糸の帽子は一体どこで見つかるだろう。。。」と思っていると、弱気モードに入ってしまい

『ああ。。。お花見をすんでのところで逃したのはそれにしても惜しかった』

と不意に日本が恋しくなる。

まだ東京を離れてひと月もたっていないというのに、困ったものである。

ねぇ、おかあさん

2歳になる娘が、突然、

「ねぇおかあさん。こーたくんとぜんくんはどこ?」と運転中の私に向かってたずねてきた。

日本と同じ左側通行とはいえ、ハンドルさばきもおぼつかず、それでもなんとか

「どこにいるかねえ」などと私がとぼけた受け答えをしていると、

「どこにもいないよぉーだっ」と返してきた。

2歳とはいえ、娘もよく解っているのだ。

すでに日本から遠く離れた土地に私たちがやってきているということを。

片言の日本語を話しはじめたばかりの娘は、今、英語が解らずにフラストレーションを抱えているようだが、私よりもずっと英語が堪能になるのだろうなあ。。。

ちなみに↑こんな素敵なフラットが見つかった。

このアパートは壁の漆喰飾りがとんでもなく由緒正しくて、およそ220年前にこの漆喰飾りを手掛けた二人のイタリア人職人たちの名前が記録に残っている。



愚図る娘を一日中ベビースリングに入れて不動産めぐりをした甲斐があった。

ドゥーラ活動でも子育てサロンとして自宅を毎月解放できそうなとても広いリビングのフラットが見つかったのだから本当に嬉しい。

白い天井にはぐるりと漆喰の飾りがしつらわれ世界遺産に制定された別名「ミリオネアストリート」と呼ばれる道。

ミリオネアって。。。一体。。。

我が家はふつ〜のサラリーマン家庭。

たまたま住む場所についているニックネームがミリオネアストリートだからといって誤解しないで!

と声を高くして言いたいっ。

もちろん、かつては本当に大金持ちや貴族たちが住んでいたらしい。

当時は一つの番地をひと家族が所有していたようだ。

今はそれがフロアごとに区切られ4等分されている。

ミリオネアと言われる理由は、目の前には広大なプライベートガーデンがあり、この周辺の住人だけ鍵を渡され、いつでも自由に使えるようになっているのだ。

子連れには、本当にありがたい。

だが、

このプライベートガーデンの鍵は、

特権階級が力を持っていた時代(今も実際そうだけど)の名残だと揶揄して、人々の反感を買うこともあるらしい。

いまだにエジンバラのど真ん中の一等地を鍵で囲って!と。

もっとエジンバラ市民全体のために開放してほしい!

そんな声が上がっていると不動産屋が話していた。

住んでみて分かったことは、公園の高い管理料は全て家賃の一部でまかなわれているということ。

私たちが住んでいる4年近くもの間、毎日のように庭師が手入れをしていたし、

何より、大樹が見事で、生き生きとしていて、静かに過ごしたい住人たちは喜んでこの庭を大切に利用していたということだ。

もし、このプライベートガーデンが一般公開されていたら…

犬のフンやゴミが転がり、もっとせわしない空間であったろう。

私個人は忙しい子連れママで、詩作活動などする余裕もなく、小説家でもなく、静かに何かを公園ですることもないから市民に開放したって全然いいと思う。

でも、同じ道には「宝島」のロバート・ルイス・スティーブンソンや、マクスウェル方程式のマクスウェル(アインシュタインの相対性理論を生み出す時にアインシュタインが一番参考にしたと言われている)も住んでいた。

なので、このHeriot rowという道が通ってきた過去を振り返るとき、コミュニティーでのアート制作、詩作活動、情報交換において、やはりそこにはプライベートガーデンの存在意義はあったのだろうと想像する。

そして、今も、創作活動にふける人々がこのプライベートガーデンを使っているかもしれないのだ。

脱線したが、我が家はミリオネアではない!

今でこそ、ワンフロアに1世帯で合計4世態が住んでいるが、この道のフラットは昔は、先ほども書いた通り、地下から4階までをひと家族が所有していて屋根裏にはメイドさんが住んでいた。

この家の場合、空間の真ん中に階段があり、最上階(4階)に美しい天窓が備えてあった。

どれだけたくさんの人々が220年間もの間、この手すりに手を添えながら上り下りしたことだろう。。。

過去を想像すると、頭がクラクラしてきて一人デイドリームに浸ってしまう。

古〜い家に、

モダ〜ンに住めるって、

本当に一番の贅沢に思える。

私のようにバリバリのスピ系だと、瞑想したり、インナービジョンで直感が冴えまくりの生活が待っていそう。

息をしているだけで毎日がタイムスリップの連続になりそうでワクワクしている。

ただ一点だけ、

オールドスタイルの手すりの高さが低いことは、子連れにとっては少しだけ気がかりだ。

まぁ私たちは2階だし、よくよく言い聞かせて住めば問題ないだろう。

それにしても、この2週間ほどであまりにたくさんの物件を見たので、首から肩にかけてがまるで鉛のようにカチカチだ。

毎晩、借り住まいのホテルであたたかいお風呂にしっかりと浸かり、寝る前にはテルミー灸(温灸)を使って娘の全身と自分の首まわりだけはほぐすようにしている。

とるものもとりあえずやってきたスコットランドでの仮住まい。

ようやく見つけたこのHeriot rowの物件はモダン仕様にリフォームをしていたのだが、バスルームやカーペットなど最終的な工事が終わるのを待って、ようやく仮住まいのホテルから抜け出す時がきた。

思えば、小さな子供を抱えてひと月近くもホテル住まいだったことになる。

毎朝のブレックファーストタイムにお世話になっていたスタッフも多く、ホテルの方々との別れは本当に名残惜しかった。。。

私は毎朝のようにオーツポリッジ(麦の粥)の上にハドック(真鱈)の燻製と半熟卵が乗ったものをオーダーしていた。

そこには必ず醤油を垂らしていた。

だって、醤油との相性が良すぎる!

日本を離れる前にいろいろあったが、

まかれた種は、まかれた場所で花を咲かせよう!

と肚をくくって、

様々なものを後に残してやってきたスコットランドだったが、この麦粥があれば何とかここでも生きていける!と思った。

しつこいくらい毎朝同じものをオーダーしていたので2週間もすると何も言わなくても笑顔のスタッフはオーツポリッジを運んできてくれた。

かわいいかわいいと娘を可愛がってくださる。

街でもみんなが娘を『ゴージャス!』と愛でてくれる。

スコティッシュの皆さん超優しいなあ。。。

想像以上にみんながオープンで、私はしみじみ…

曇り空で寒くても、ハートはホッコホコになっているよ〜と

天に感謝した。


ふ〜ふ〜とスプーンの先で冷ましながら娘と二人で口に運んだ鱈の燻製と半熟卵のオーツポリッジの味を、必ずいつか心から懐かしく思い出すんだろうね。

優しいスタッフに見送られるようにチェックアウトした朝、振り返った。

みんながよく知っているチェーン店のホテルだが、正面玄関ではお世話になったホテルマンと娘がよく懐いてた女性スタッフが娘にいつまでも手を振ってくれていた。

みんなありがとう、本当にありがとう、ありがとう!

まだ仮住まいなのに、すでにこの国に来て良かった〜と感動。。。

大好きスコットランド!!!!!

さあ、次は引越しだ〜

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2006年の復刻ブログです。お読み下さりありがとうございました。

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ドゥーラと助産師さんとの微妙な関係

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イギリス在住30年の助産師Mさん。看護師としての経験も長く、助産師になってからも15年以上臨床で活躍されてきた働くお母さん。そのMさんが現在お勤めしているのは、ロンドン北部にあるNHS(イギリスの国民保健)病院です。

つい先日ランチをご一緒した彼女から、普段はなかなか耳にすることのない貴重なお話を伺いました。なかでも、私にとって新鮮だったのは、助産師の中には「ドゥーラ」に対して疑問を抱いている方々もいる、という事実です。

Mさんご自身は、ドゥーラが産婦さんに付き添うことによるメリット(ドゥーラ効果)について深く理解されていますし、医学的エビデンスなどもきちんと学ばれていらっしゃる方です。周産期医療の現実を知るお一人として、助産師をはじめとする現場の医療スタッフの人手不足から、ドゥーラがお産に付き添う件数の増えてきている事態を、今のイギリスの周産期医療の大状況として静観されています。

そんなMさんですが、ある仲間の助産師が、「ドゥーラの付き添うお産なら、私はケアしたくない」と発言するのを目撃したといいます。理由は、ドゥーラの付き添うお産では、産婦さんはよりわがままになって、それがお産の進行にそれほど効果的と感じられないということ。

スタッフにとっては明るくないとケアしにくいにも拘わらず、病室のライトを薄暗くしてほしいとリクエストしてきたり、自分と相性のよくないケアギバーの交代を申し入れてきたり、不意にエッセンシャルアロマオイルを嗅ぎたいと言ったり、ベットから降りて床で産みたいと言い張ったり。。。その助産師に言わせれば、きっと言いたいことは山ほどあることでしょう。

Mさんも言います。急いで別の産婦さんのケアを終えて、煌々と明るい廊下から駆け込んでくる助産師にとっては、薄暗い部屋はいきなり真っ暗闇に突き落とされたように感じられて、眼が慣れるまでの最初の数分は、恐る恐る歩かないと、間違って産婦さんの手足を踏んでしまうのではないか、と冷や冷やすることがある、と。

これまでの私はドゥーラとして単にラッキーだったのでしょうか。今までは、看護師さんからも、助産師さんからも、小児科医からも、お母さんご本人からも、つまり、出会うほとんどすべての方々に、ドゥーラの付き添うお産は、付き添わないお産よりも良いものというベースを基にした感謝のメッセージやねぎらいの言葉を頂くばかりで、反ドゥーラ的なマイナス意見を見聞きすることがありませんでした。

ロンドンで活躍する別の助産師さんの話によると、「医師の3割はドゥーラの存在意義に対して懐疑的な意見を持っているかもしれないけど、残りの7割はちゃんと理解を示している、という感じ」とのことでしたので、そうか、お医者さんの中には数割のアンチドゥーラ派がいるのだなと認識していました。

ですが‘助産師’であれば、ドゥーラの存在意義に共感している方がほとんどであると今までは理解していたのです。勝手な思い込みだったかもしれません。でもそれは、助産師の方々との良好な関係を通して肌で実感していたものでした。また、‘産婦さんが望むこと(ドゥーラの付き添いも含めて)は出来る限り尊重して受け入れていきたい’という助産師の方々の基本姿勢を10年以上身近に感じてきた私にとって、ドゥーラとミッドワイフの協働とはお産において自然なこと、いや、それが実際に存在し得ることを体験的に知っていたのです。

そのうえで、これまでひとりのドゥーラとして、産む女性たちと出会い、お産について勉強して頂き、助産師と産むことについて学んで頂き、お手持ちの選択肢を知ってもらい、助産の大きな懐へと最終的に導いてきたつもりです。

ですが、今回のようなお話を個人的に伺ってみて、別の視点からみると、ドゥーラは、施設内勤務の助産師の現場の働き方にどのような影響を与えてきたのだろうか。。。と思わずにはいられません。今回のMさんのお話は、大病院で苛烈に働く助産師の立場になって今一度ドゥーラを眺める大切なきっかけとなりました。

余談ですが、Mさんの働く病院に現在ケアを求めてやってくる妊産褥婦の中では、ルーマニア国籍の方が確実に増えてきているそうです。この一年間は、彼女の勤務する病院では、実に33%、つまり三人に一人がルーマニア人の妊婦さんだったとのこと。ルーマニア人の妊婦さんたち全員とは言わないけれど、多くのお母さん方は、産褥パッド、赤ちゃんの産着やオムツ、毛布すら持たずに(すべてNHSが支給してくれると期待して)入院してくるのだそうです。

また、お産の数は増えているのに、それらをケアするために十分な人数が足りていないNHS側の現実も大きな問題であるとMさんは指摘します。このような事態が今後も続くと、NHSの持てる人的、物質的資源が枯渇してしまうのでは、、、という危惧を抱く声は日々、病院内外であがっているそうです。

UKへの移民の流入が止まらない中、『まるで時限爆弾を抱えながら周産期医療に従事している』と嘆く現場の危機感を訴える声に触れると、個々の施設の抱える内情を知らずに、私たちが医療消費者として、一方的に不平不満を言うことはできなくなります。

ちなみに、ONS(イギリス政府の統計)によると、UKに流入した移民は、2015年の一年間で82000人増えたそうですが、実際に、ルーマニアとブルガリアの移民だけで、50000人なのだそうです。これは、2014年より19000人増えている数だということで、いかにルーマニア・ブルガリアからの移民が爆発的に増えているかが数字からも伺えます。

以上、今号もまとまりのない文章になってしまいましたが、ドゥーラを受け入れられないケアギバーがいるという見識を得たので、ご報告でした。「アンチドゥーラ・ミッドワイフ」がイギリスにほんのわずかであれ存在することを知り、なぜこのようなミッドワイフ━ドゥーラの関係が存在するのかについて、さらにいろいろと学んでみたくなったので、また別の機会に書いてみたいと思います。