Londonのお宝ドゥーラ

日本で助産師をされていたYさん(右端)のお産に付き添った三浦━マイナリさん(真ん中)。 Yさん宅を訪問させて頂いた折、‘自分が助産師だからこそ、ドゥーラを雇うことの素晴らしさが よく実感できました!’と産後2週間なのにとても元気そうな様子で迎えて下さいました。
日本で助産師をされていたYさん(右端)のお産に付き添った三浦━マイナリさん(真ん中)。
Yさん宅を訪問させて頂いた折、‘自分が助産師だからこそ、ドゥーラを雇うことの素晴らしさが
よく実感できました!’と産後2週間なのにとても元気そうな様子で迎えて下さいました。

‘人の出会いは身の丈’と思い、私がつくづく感謝してやまないのは、国から国をまたいでの引っ越しの度に、必ず、その時の自分にとって必要な出会いに導かれ、恵まれてきたということです。

2014年のヒューストン(米国)からロンドン(英国)への引っ越しでは、私と同じくドゥーラとしてロンドンで活躍する三浦━マイナリさん(http://www.matriyoga.com/homejap.html)との出会いが待っていました。

うちの娘と同い年のお嬢さんを同じ日本語補習校に通わせるママ友として、毎週末のようにお顔を見かけることができるのは、巨大都市ロンドンに住む今の私にとって嬉しいことです。

メディアのお仕事で世界中をまたにかけて活躍されていた時期に、ヨーギの御主人と出会い、ヨーガの世界へと導かれていったという三浦━マイナリさん。ヨーガを極める過程でご自身が体験した2度のナチュラルバースを通しての経験や知恵をより多くの女性たちとシェアしたいという想いから、マタニティーヨーガの指導を始め、さらには、出産ドゥーラとして、お産の実際のケアに身を捧げ、気づいたらロンドン在住27年を迎えたそうです。

妊娠―出産―産後と三浦━マイナリさんのような経験豊かな出産ドゥーラに伴走してもらえることは、ロンドンに暮らす日本人女性たちが味わえる大きな安心感のひとつです。

私も単発で彼女のヨーガクラスを受講していますが、生徒さんたちを毎回楽しく気持ちよく導いてくれます。長年の経験がものを言うのでしょう。からだのトラブルを抱えた方の問題のポイントが目に見えているかのように、あっという間にその方が身も心もほぐされていく様子を見ると、見事だなぁと思います。そして、とっても声がいい!のです。クラスに響き渡る三浦━マイナリさんのどこまでも透き通った美声にいつも惚れ惚れしながらアーサナをしています。

ドゥーラであり、ヨーガの先生であって、通訳もできる。そんな経験のあるお産のプロはなかなかいるものではありません。もしロンドンでの出産を考えているなら、ぜひ三浦━マイナリさんを探してみてください。Doula.UKのオフィシャルサイト上でもすぐに見つかります。ちなみに、私と彼女の2名が日本人ドゥーラとして現在登録されていますので、言語(language)で‘Japanese’を選択すれば、そちらからもすぐにヒットします(https://doula.org.uk/find-a-doula/)。

ロンドンでのお産が初めてだったり、上のお子さんがいたり、頼りになる家族が近くにいなくて不安感のある方は、出産ドゥーラという存在について、リソースのひとつとして是非知っておいて頂きたいなと思います。

最後にひとつご案内です。2016年3月1日に、ロンドンのKingston Hospitalで、耳の不自由な妊婦さんのための特別カンファレンスがあります。私も仲間とブースを出してお手伝いに入ります。イギリスにお住まいの方で聴覚障害で悩まれている方があれば、無料ですのでお誘い下さいませ。

私がまだ日本にいた頃、お産体験の聞き取りをしていた時に快くインタビューに答えて下さった方のなかに、生まれつき耳の不自由な方がいらっしゃいました。彼女はそのせいで(背後から忍びよられても気づけなかったために)、小学生の頃からずっと性的虐待を受け続けていました。成人し結婚してからも、自分を受け容れたり、自分を信じることがまわりの人たちよりもうまく出来ず、生きづらさを抱えていたそうです。

そんな彼女にとっての人生の転機は、納得のいく出産体験であったといいます。ホームバースを選択し、信頼する助産師と共に、心から安心して、自分の身体がありのままに花開く様子を見守った体験が、長年にわたる数々の心身の傷を癒した、と話して下さいました。

そして、そう感じられる‘いいお産’があったからこそ、『今はまるでご褒美を頂いているような毎日なんです』としみじみとおっしゃったのです。それを聴いた私も心から嬉しく、いいお産体験がいかに大切かということを、あらためて思い知らされたのです。夕陽に満たされたリビングで、子どもたちに囲まれて、彼女の全身から光が放たれているような気がしました。

聴覚障害の方の‘いいお産’を考えるカンファレンス

(2016年3月1日 場所:キングストン大学病院、ロンドン、イギリス): http://www.deafnest.com/#!conference-2016/c17qa

ドゥーラ体験をした医師が感じたこと

オックスフォード大学自然史博物館にて
オックスフォード大学自然史博物館にて

今回は日本で呼吸器系の内科医として患者を診てこられたA先生の興味深いエピソードを紹介させてください。A先生はこの夏までご主人の研究に付き添い、イギリスのオックスフォード大学で研究生活を送られてきました。現在はご夫婦ともに日本に帰国され、A先生は東京郊外で在宅診療をされています。

*以下のお話は、日本へご帰国される数か月前にお伺いしたものです。

イギリスへ転居するまでは日本の大きな病院で激務をこなしていたというA先生ですが、オックスフォードでの研究生活も落ち着いてきたころ、思いもかけず息子さんと同じ学校に通う男の子のお母さんのお産に付き添うことになったといいます。

アフリカのザンビアからやってきた彼女に、「一緒にいて欲しい、と頼まれて、気づいたらドゥーラをしていました」というA先生。医療者としてではなく、友人としてお産に寄り添ったその時の体験は、医師として働き続けていくうえでちょっとした気づきをA先生に与えてくれたそうです。異国でのドゥーラ体験を今後に役立てていけるとすれば、それは、「いつも患者の立場に立って想像力を発揮しながら、気持ちを添わせる努力を医師として怠らないこと」だと言います。

「仲のよい友人というほどではなかったのですが、子ども同士が同じ現地校に通っていたので、息子のクラスメートのお母さんのために、この私に何か出来るのなら。。。という気持ちで引き受けました」。そう振り返るA先生は、お産で、具体的にどんなことをしたのでしょうか?

「付き添っていてくれるだけでいい、という希望だったので引き受けられました。彼女の自宅から病院までのドライバーとなったり、怖がる彼女を励ましたり、陣痛中は背中をさすったり、頼まれたものを取ってあげたり、本当にそばにいてあげるだけしかできなかったと思いますが、実際にお産に立ち会ってみて実感したのは、せわしない中で、産婦さんはなかなか安心できないもんなんだなぁ、ということですね。そんな時に、もしあらかじめ、大まかな流れを丁寧に説明してもらえたら、こちらも安心して任せていられるのですが、スタッフも大忙しで説明が少なかったり、産婦さんに継続して寄り添ってくれる人員が足りなかったり。。。とは言っても、それってイギリスに限らず日本でもどこの病院でも当たり前にあることなので仕方がないんですよね。。。」

「友人のお産となると、感じ方がやっぱり違いますよね。医師としての自分ではなく、友人として赤ちゃんに真っ先に会えたことを光栄に感じていました」

ご自身の中のドゥーラ的な資質を発揮し、友人に寄り添ったA先生は、産後、友人と彼女の家族に深く感謝されたといいます。その後に、ドゥーラという職業があることを偶然知ったA先生は、なるほどなと思ったのだそうです。

「ドゥーラは大切な役割だと思います。初めての場所で、知っている人もいない環境で、自分のことを妊娠中から見知っている誰かがずっとそばにいて励ましてくれる。それだけで本当に大きな助けになると思うからです」

私(木村)は以前より、ドゥーラとは、そもそも職業ではなくて‘心の在りよう’とか、‘人としての資質’ということを書いたり話したりしてきたのですが、まさにA先生の体験されたことと重なります。放ってはおけない!と思って、気づいたらドゥーラをしていた、そんな人は年齢も国籍も職種も越えて、すでにドゥーラですし、そういう方は世界中にたくさんいるんですよね。

日本に帰国される直前のA先生が最後に残してくれた言葉が私には印象的です。

「目の前のお相手には様々な事情があって、しかも外国人だったりもする。そんな自分には想像もできない背景をもっている患者さんのことを、短い診察時間のなかで、どれだけ丁寧に扱うことができるか。。。元々、日本でも、患者さんひとりひとりとなるべく丁寧に付き合うことに喜びを感じていましたが、医師として今までは本当に激務だったので、これからどうやって働いていくか考えさせられますね。医師も学び続けないと、ですね。」

私と同じような年頃の子どもたちを抱えたA先生。日々のお仕事と家庭との両立は本当に大変なこととお察ししますが、彼女のようなこころある医療者には今後もバーンアウトせずに診療し続けて頂きたいと願ってやみません。

同時に、私自身、ケアの受け手として、一方でドゥーラとして、医療への信頼を大前提としながらも、これまでのような医療に依存しきった姿勢はそろそろ見直してもいい時期に来ていると感じています。
あらためて確認するまでもないことかもしれませんが、健康な妊娠は、病理ではなく生理として捉えられているために、本来、妊産婦さんを患者さんとは呼びません。でも、それは呼び方の違いであって、現代医療のなかでは、両者ともに同じような立場に位置づけられがちです。ですから、患者の在り方と妊産婦の在り方との共通点を見つけだし、そこから何かを学ぶことができます。

もちろん、事件、事故など一刻を争う救命の現場では、患者に対するほとんどの決定は医療者に委ねられるでしょう。でも、その高度な医療技術の恩恵を謙虚に享受しつつも、一方で、私たち現代人を悩ます多くのケースが日々の生活スタイルや食生活によってある程度予防できるものだとしたら、私たちは、日ごろの生活の中で予防できていなかったことを見つめて、以後はできるだけ身体からの声を感じ取り、それを医療者に対しても相手が分かるように表現していかなくてはなりません。特に、長い時間をかけて産むための準備を整えていくプロセスにある妊娠さんや、長い時間をかけて向き合っていく慢性疾患の患者さんには、さまざまなケアの選択肢があるわけです。医療者と協働で、よりよい治療法を選択していく自律性は、産前産後のお母さんにも、患者と同様に必要とされていると感じます。最終的な方向は、他人が決めることではなく、本人が自己決定していく。すなわち、医療に丸投げではなく、責任を持つことを置き忘れたくないものだと思います。

ただ、その選択のプロセスにおいて、まさに陣痛の真っ只中にある産婦さんや、産後直後のお母さん、痛みに苦しむ患者さんにとっては、とても個人では乗り越えられないと思う時があります。選択など今は到底できない!と感じるような瞬間に、「どんな時にも自分らしくあれるように」などナンセンスに響くかもしれません。

そのような場合に、あらかじめ事前ミーティングを重ねてきたドゥーラのような他者の存在が意味をもつのでしょう。ドゥーラは、他のすべての非医療者のケアギバーと同様に、病室に横たわるその人物が、一体、どのような価値観(言葉を替えると、スピリチュアルニーズ)を抱き、いかなる半生を送ってきて、今はどんな人生観をもっているのか。数字やデータには表されない個人のライフジャーニーを前もって聴き取る可能性が高いです。話からだけではなく、事前の自宅訪問などで知り得るのは、過去の生い立ち、家庭内の様子や、同居の家族や、一緒に住んでいない家族とのこと、家族の人間関係、本人の中の希望や不安、将来への見通しなど、本当にさまざまな事柄についてです。そして、必要と判断すれば、本人に了承を得たうえで医療者にも伝え、サポートの在り方や実際の処置に役立てていってもらうこともあるかもしれません。

そのような意味で、医療者と医療の受け手との間にあって、黒子のように存在し、橋渡し役を担おうとしているのが、ドゥーラのような非医療者のケアギバーなのです。

家探しと産み場探し

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引越しから2週間がたちます。まだ10箱ほど開梱しなければならない段ボールが山積みになっていますが、新しい街、新しい空間にゆっくり馴染んできています。

9月に入り一層肌寒くなってきました。
ヒューストンからロンドンへ移り住み、新しい家、新しい生活、新しい人間関係にようやく馴染んできました。
この短い間にも、私の住む街Twickenhamで、子どもたちの学校や古い友人関係を通じて、病院勤務の助産師さん、開業助産師さん、看護学生、小児科医、そしてドゥーラとの出会いに恵まれてきました。
集めたい情報やつながりたいネットワークがハッキリしているせいか、出会うべき人にピンポイントで廻りあわせて頂いているという感覚です。

一方で、引っ越しの作業中に左手を負傷してしまい、
しばらくの間パソコンひとつ打てなかったり、
UKでの久しぶりの運転にまごついたりと不便さも味わっています。
今までは子どもたちの登校にスクールバスを利用していたのですが、
今のシュタイナースクールでは私たちのエリアにはそのサービスがありません。
送り迎えの運転が毎日大変で、あぁ今まで自分はずいぶん楽な生活を送らせてもらっていたんだなぁと、失ってみてはじめて、その恩恵に気づいてハッとすることもあります。

でも、そんな中でも幼い子どもの順応力は高く、我が子らも新しい学校にすっかり慣れて、
「家に帰りたくない!」ほど楽しそうにしているのを見ると、
とりあえずは万事OKかなぁと思えます。

私たちの家は駅の近くのオンボロ家。
ヒースローが近いので飛行機はぶんぶん飛んでいるし、列車の音もかなりします。
学校やロンドン中心地へのアクセス、夫の会社との距離を考えるとベストではあるけれど、ちょっと不安な気持ちで最初に見学に来て、「住めるかなぁ」とイメージしたとき、パーッと生活している様子が浮かんできました。
他の家では感じられなかった感覚でした。
その時、「あ、ここに住むことになるのかも」と思いました。

でも一番の決め手となったのは、
宿に滞在しながら10件ほど候補地を見学した後のことでした。
「どうしようかなー」と思いながらデータを見返していたのですが、この家のデータを開けた途端、パソコンのキーボードの上に小さな小さな白い羽が一枚だけ舞い降りたのです。
「一体どこから?」と思わず上を見上げ、
「この部屋の寝具は羽毛布団だったかなー?」と思ったりしつつも、
同時にどこか直観のようなものが働き「ここなんだ」と思ったのです。

そのあとはトントン拍子でした。
国を越えての引っ越し、ドゥーラ活動、出産子育て、頭だけでは片付かないことばかりで、今までも直観に頼ることの多かった私ですが、そこには不思議と深い納得感もあるんです。
自分の直観を大切にするということは、そこで起きることや結果を引き受けて生きていけるということのような気がします。

私が女性に「直観(直感)を大切に」というメッセージをくりかえし伝えているのは、ストレッチ体操なしでいきなり筋肉を伸ばしても思ったようにからだを使いこなせないように、いきなり今日から直観をキャッチしてそこからの情報を活かせるわけではないと思うからです。
毎日少しずつでも確実に、自分の内側の声や感覚をひろう努力をしていくことはとても大事なことです。
特に妊婦さんやこれから産むかもしれないという方々には、ありとあらゆる方面から自分を大切にして、あたためて、自分が本当は知っていること、実は欲していること、言葉にはならない想いに気づいてあげられるようになってほしいなぁと思います。

今回の触媒となった1㎝にも満たない小さな白い鳥の羽、
きれいに洗って飾り箱の中に大切にしまいました。
「与えられた選択肢や、限られた条件のなかで、自分にとって妥協できるもの、できるだけ心地のよいものを求める家探しは、ある意味、産み場探しとよく似ている」、
そんなことを言っていたカナダ人の友人の言葉が今あらためて胸に響きます。