ミクロとマクロの視点

~見えないものが見えるものになるまで~

今年の初め、ハワイでキラウェア火山を拝んできました。
この火山の化身は、ペレという名の美しい女神だと言われています。

夜、溶出するマグマをじーっと眺めていたら、
真っ赤な長髪を優雅に揺さぶるペレの姿が立ち上がってきました。
そして、自分もじーっと彼女に見返されている、
そんなお互いに見つめ合っているイメージが湧いてきました。

と言っても、マグマを見る前に訪れた展望台に併設されている資料館で、
ペレのそんな姿がモティーフとなった絵が展示されていたので、
私の想像力もきっと高まっていたのでしょう。

もうひとつ、生まれて初めて、流出しつつあるマグマを目撃して、
その視覚的な刺激によって私の中に喚起されたのは、
実際に地表にマグマとして表出するまでの途方もないプロセスへの畏怖の念でした。

なるほど。。。こうやって目に見えるものになるまでには、
マントルから、地殻にあがってくるだけのエネルギーの波動があったんだなぁ。

私たちの目には見えない、感じることもできない膨大なエネルギーが、
長い長い年月を経て、変化し、発熱し、振動して、互いに影響を与え合ってきた結果、
今この瞬間、私たちにマグマという形の天体レベルの現象として知覚されている。

そんな、言葉にしてしまうと当たり前のことが、
うごめくマグマを生まれて初めて見た瞬間、自分を貫きました。

地球の流血さながらの火山。ペレをペレとして躍動させている背後には、
地球奥深くに宿る彼女の先祖たち、つまりエネルギーの蓄積と、
その累々とした営みがあったという事実にただ圧倒されました。

大げさかもしれませんが、地殻を目指し、
突き破るまでのプロセスを想うと、気が遠くなります。
目の前に見えていることの根っこには、
見えないことが層のように積み重なっているということへの畏敬の念が同時に湧いてきました。

映画でも、インターネットでも、本でも、
欲しい情報を余すことなく手に入れられる時代ですが、
やはり、命が震えるような何かを直接体感するということは、とても大事なことです。
そこで手に入れるものは自分らしさや価値観を創る養分となります。

お産でも、同じことが言えるかもしれません。
個人レベルでは、赤ちゃんという命を新たに地表に出現させる行為によって、
母となった女性は自分が何者であるか、気づくのでしょう。

また、今の自分の眼には見えないだけで、
綿々と自分の内側に流れてきた命の系譜の余波に
‘タダ乗り’をさせて頂いている自分に気づくかもしれません。

ありのままに産ませてもらうことは、純粋に恩寵なのだといった、
感謝でいっぱいの境地にもなるかもしれません。

夜、眠たい眼をこする子どもたちをおんぶに抱っこして行ったハワイの展望台で、
私は女神ペレから、たくさんの想いを打ち明けてもらったような気がしています。