第8回 フランス人と授乳について

この数ヶ月、夫の出張が続いていてエジンバラにいないことが多い。

なので、彼がパリに出張になった機会に今回は同行し、フランス滞在だ。

パリの街を娘を連れて日中ぶらついていたら、日本にいる知人から私の携帯に国際電話がかかってきた。

『来週から観光ツアーでエジンバラなんです。会えるかなと思って。。。』

『えーっ、すごく残念! 来週いっぱいはフランスなんです~』

こんなふうに、久しぶりの再会かと思いきや、逢えずじまいなんてことが起こってしまう。ごめんなさいMさん。

さて、3年ぶりに訪れたパリで驚いたのが、出産関係の記事や、雑誌の赤ちゃん特集の多さだ。

地下鉄の中刷りや、キオスクの店頭でいくつか広告を眺めてから大きめの本屋に立ち寄ってみると、ぷりぷりの赤ちゃんが表紙になっている刊行物が予想外にたくさん並んでいるではないか。

フランス語はほとんど読めないにもかかわらず、思わずまとめ買いをしてしまった。

フランスは言わずと知れた合法中絶とピルの国。

偉人シモーヌ・ヴェイユなどのおかげで人々の意識は高く、自分の性についても堂々と語り、自分で主体的に性を愛おしみ、同時に、管理することの恩恵を実感している女性が多い。

ピルは私が生まれるよりもずっと前から解禁されている先進国だ。

高出生率の影に

雑誌をパラパラめくっていると、昨年フランス国内で産声をあげた赤ちゃんは、80万7400人で、出生率は1.94とあった。

アイルランドに次ぐ、EU第2位の高数値である。日本の1.25に比べても相当高い。

が!!!!

が、である。

実にお産の約9割は、硬膜外麻酔による無痛分娩なのだそうだ。

『えーっ?9割はないんじゃない』、フランスが‘無痛分娩天国’とは聞いていたけれど、実際に数字を目にするとぎょっとしてしまう。

なぜなら、帝王切開は救急救命の医療であり、近代医学の恩恵としながらも、一方で、WHO(世界保健機構)は、もしも25%以上の帝王切開率になったら、その時には正常ではない何かが起きている可能性があるから、是正されるべきであると提言している。

つまり、必要に応じた帝王切開(医学的適応)なら良いが、別の理由で帝王切開が増えていくと、女性と赤ちゃんとが、経膣で生まれていたら得られるであろうものを受け取れない恐れがあるから見直すようにと勧告しているのだ。

フランスは、自然、授乳率も低いという。

なぜなら、母乳育児の鍵は最初のボンディングが鍵だからだ。

母子が肌を接触させて居続け、乳首を吸わせ続ける方が成功しやすい。

その覚醒期(ゴールデンタイム)と呼ばれる初期の短い時期に帝王切開では母子分離になりやすい。

それから、子持ち女性の就労率(25歳~49歳の平均就労率)が82%と高いので、母乳育児が続けにくいこともあるだろう。

あとは、賛否両論あるだろうが、フランスで女性が授乳しない理由のひとつに、乳房は女性のシンボルなので、それが乳臭くてはかなわないという、フランス人ならでは(特に男性パートナーからのプレッシャー?)の価値観もあるらしい。

本当はぜ〜んぜん違うのにね。

おっぱいあげていた方が、カラダのラインは断然美しさを保てる。

母乳って、脂肪を溶かしながらできていくものだから、面白くらいにお腹周りはぺったんこになる。

私自身、産後スルスル〜っと体重がわずか2ヶ月ほどで戻り、とってもキレイなラインをずっと保てている。

自慢ではないが、これは本当に、事実だ。

お友達にも真面目に、よく言われる。

もしヌード写真をアップできるならここにあげて証拠写真を見ていただきたいくらい、授乳期間中は女は体が生まれ変わる。

しっかりと栄養素をバランスよく摂りながら、エクササイズもしながら進めていくと、びっくりするくらいカラダは綺麗になっていくのだ。

余談だが、数年前に読んだ記事では、フランスにおける授乳率の低さと、乳がん罹患率の高さを因果関係づけようとしていた。

育ち盛りの頃から頻繁に『生クリームばかり食べてると乳がんになるよ』、『牛乳のがぶ飲みはダメ。ヨーグルトは少しだけ』と母に言われ続けてきた私のなかには、乳製品の取り過ぎが乳がんを招くという感覚が当たり前のようにある。

母乳生成という身体のメカニズムを使いこなせばこなすほど、体内に不必要なものをためこまない体質はつくられていき、乳がんなどにもなりにくいかもしれないなぁ。

でも、でも。。。

わかるんだよね、授乳したくないという女性たちの気持ちは。

『女』の魅力が、おっぱい臭いと目減りしちゃう気がするもんね。

私だって、いつ吐き戻される分からないから、きれいなドレスは着られないもの授乳中は。

フランスは、『男』と『女』しかこの世に究極的には存在しないという空気が漂っているんだよね確かに、それは。

言葉では表現しきれない、その濃厚な空気にこうして触れていると、『母親ばかりもやってられないわ』と、子どもを産んだこの国の女性たちが感じてしまうのも無理はないという気もしないでもない。

いや、実際そう思う。

あの女性らしさに満ちていて魅力的だった自分は一体どこに?と思うことあるもの。

カラダは生まれ変われたし、しかも、内側にたたえている自分の本当の美しさは、知ってはいるけど。。。

それを分かっているのは私だけ。

しかも、そのインナービューティーを出す余裕が今の私にはないんだよ正直。

自然育児かーちゃんしてます!というスタンスで生活しているから、ロマンスも起こりようもない。

本当はロマンスが大好きなのにっ!

産後は夫婦の営みもまともにできていない。

ひるがえって、フランスでは、

絶対によくないと日本では言われている不倫が、なんと、セックスレスになるくらいなら、婚外交渉してきなさい、とさとされるほど、セクシャリティにはあけっぴろげだ。

というか、そもそも「不倫」という言葉すらフランスにはない。言葉がないから、それが離婚の正式な原因としても取り沙汰されない。

婚外子も本当に多い!

大袈裟でなく、本当〜に多い。

フランス企業に勤める夫なので、自然と私も結構なフランス通だが、多分フランスで生まれた3−4割の子供が婚外子ではないかと思っている。

で?

だって、別に私はそれをなんとも思っていない。

いいじゃない、社会でみんなで育てれば?

と思う。

日本はガチガチに硬すぎて、既存の価値観から少しでも逸脱すると血祭りに挙げられるが、コミニティーチルドレンという概念がきっと日本にも今後根付いていくのではないかな。

こんなことを書いておきながら、付け足すのだが、保守的に家庭の価値観を守りたい自分もどこかにいて、今の私はどっちも否定はしないが肯定もしない。

というか、産むとか、育てるとか、こういう話って、とかく、派閥をうみやすい。

あの人は母乳育児しているってカテゴライズされたり、

あの人は無痛分娩したってなんかカテゴライズしてしまっていたり。

これって一体なんだろう。

みんな小学校の時には同じクラスメートで仲良しだったのに。。。

私はよく悲しい気持ちになる。

なんでそんな些細な産み方とか、育て方の選択や、望むと望まざるにかかわらず陥ってしまった結果によって私たち女性たちが内部派閥というか、カテゴライズされていかなければならないのだろう。

みんな違ってみんな良い、それで良か〜っていつも思うのだ。

私なんて、開業助産師に見守られたホームウォーターバースだったので、それだけでヒッピーにカテゴライズされてしまうのがたまに辛い。

話が大きく脱線したが、フランスはということで、私にとっては相変わらず男と女の国であって、膣ケアもフェミケア(陰毛のケア)も骨盤底筋エクササイズもしっかりとした淑女のたしなみとして社会に浸透している憧れの国なのだ。

6月にして蒸し暑く、すでに真夏の日差しだったせいもあるのだろう。

だが、パリジェンヌたち(最初は観光客かと思ったが、観光客であればほとんどが歩きやすい靴にジーンズといったいでたちなので、雰囲気からしてもほぼ間違いなく地元民であると判断した)は、涼しげなトップスに、透けるような薄地のスカートを翻しながら往来をカツコツ行き来している。

かっこいい〜

中年マダムでも、抱き寄せたくなるような魅力的なカラダ!

夏でも肌寒いヨーロッパの果てから飛んできた私の目に、彼女たちは完全にビーチリゾートの人々に映った。

メトロなどに乗っていても、日本なら“おばさん”と呼ばれてしまうような人たちが、オーガンジーの白いブラウスにライムイエローのブラを透かして、同系色のサマーサンダルがあたかも両の脚と一体化し脚線美の映えるよう計算し尽くされた角度で足を組んでいたりする。

彼女たちから、

『私はオンナよぉ~』という声が地響きのように響いてくるようだ。

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昔のブログの復刻版をお読み下さりありがとうございました。
この時に2歳だった娘が高校性で、YouTube動画を撮ってくれています。
時に経つのは早いものです。。。

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第7回 ココロの耳:北国で、予感

今回のエジンバラ生活には、私の人生にとって、とても重要な何かが控えている『予感』がする。

それは、かすかに響く耳鳴りのように、この国に住むことが決まって以来、どこかでずっと感じていた懐かしい感覚。

言いようのない感謝の気持ちに満たされて夏至も越えた今、それは自分の中の天が伝えている予言という言葉にしてしまっても大丈夫なくらい、自分のなかで確かなものとなりつつある。

人生は、自分のこころの声にシンプルに従っていればいいのかもしれない。

そうやって、ココロの耳を澄まして、その内なる声だけを濾して、自分が、こころの底からほんとうにしたいと思うことだけをしていくだけで、ほんとうは、いいのだ。


私は今までヘンに片意地を張ってがんばり過ぎていたところがあったかもしれない。

自分の本当にしたいことって、なんなんだろう。


日本を発って、まだ雪のちらつくエジンバラ入りし、ホテル滞在をへて、住む家を見つけ、生活も少しずつ落ち着いてきた今、ようやくそれを探すこころの旅に出るころなのかもしれない。

どうしても行きたい場所

白夜(ホワイトナイツ)は本当に一晩中明るい。

それでも、一番暗い時間帯はAM1時半くらい。

その時間帯には月が見える。

美しい。。。

あまりにも神々しい。。。

せっかくスコットランドに住んでいるのだから、ピンと感じるものがあれば、もっと迷わずにこれからはどんどん試してみようかなと月に話す。

私の中にあらかじめ備わっている感じる力を高めるためにも、自然との一番身近な架け橋である木々や草花とたっぷりふれあいたい。

娘を先生にして、無心に遊んでいるうちに、なにか見えてくるかもしれない。

そんな自分との対話が月を愛でていると浮かんでは消えていく。

そのうちに時間をつくって、いくつかの場所に行ってみようとも思いたつ。


自分がどうしても行きたかった場所がこの国にはいくつかあるのだ。

そのひとつ、北極に限りなく近いオークニー諸島には、思い立ったが吉日とばかりにさっそくこの週末に行くことにした。

2歳の娘を連れてどこまでまわれるか分らないが、オークニー諸島の島々にある、紀元前2500年から2000年の間に建てられたと考えられているストーンサークルや、新石器時代の集落跡、墳墓などを気ままに訪れてみたい。

子連れで、最果ての島めぐり。

どうなることか。

オークニー諸島へ行く飛行機は小型で、機内で病人が出たりで、乗り継ぎも大変で、近いようで結構大変だった。

以前、イースター島やガラパゴス諸島を訪れたが、その時の感覚に似ている。

地図で見ると一見近いようで、やっかいな処。

到着してドッと疲れがでた。ホテルは海沿いで、海に面した公園には娘が遊ぶのにちょうど良い滑り台があった。

それにしても、寒い!

風が信じがたい強さだ!

イギリスの南極探検隊を率いたアーネスト・シャクルトンの映画(ナショナル ジオグラフィック)で氷壁を乗り越えて生き延びる隊員たちの実話に感動して嗚咽するほど泣いたが、あの映画で私が擬似体験したシェットランド地方の氷のような風を感じる。

あ、ちょっと大袈裟だった。

だってシェットランドはさらにもっとずっとずっと北だから。

でも超さむがりの私は、本当に風に弱いのだ。

どうやってこのオークニー諸島の人々は生きているのだろう?

「ゲド戦記」のクライマックスに出てくるような、アーシュラ・K・ル=グウィンの描きたかった最果ての地がここではないか、そう思えるような断崖絶壁。

恐ろしい海風。

漠々と広がる空。

ここまで書いておきながら、

私は、この風の中で、

血が騒ぐ。

そして、翌日訪れた先史時代の遺跡(世界遺産)、スカラブラエにて、私は幻視を体験する。

娘をスリングに入れて遺跡群を歩き回っていたら、急に視界がさあ〜っと開けて、すっかり温かい小春日和のようになって、そこに大昔の家族が住んでいる様子がありありと視えたのだ。

男たちが採れた魚を囲んで何か話している。その後、それらを村の女たちの一人(私)が受け取って、一緒にキレイな白い貝も、ある男性から受け取る。

少し歩いて穴蔵のような半地下の居住空間に戻り、子どもにそれを与えている。

満ち足りてとっても幸せな私。

それが鮮明に感じられた。

幸福感。

先史時代からの、幸せな気持ち。

私たち女が頼りにしてきた産みつなぐ喜び。

なんだか言葉にできない充足感を感じた。

なーんだ。

やっぱりそうだったか。

先史時代の女たちも幸せだったよ。

今よりずっと幸せだったかも知れない。

その女の子宮と私の子宮がダイレクトに繋がる。

古い場所に行くと、意識の磁場がプラグインされて、いきなり時間旅行に飛ぶ。

彼女は、私。

今は過去。

過去は未来。

パラレルに時々刻々と成っていくこの世界。

私は、とんでもない時間と時間の合間に来てしまった。

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お読み下さりありがとうございました。

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第6回 光と影☯️なぜ炎に惹かれるの 

あらためて、日本を離れてから今日までの数カ月間を振り返る。

子どもを介して人々と交わす一期一会のやり取りから、ちょっとしたこと、

でも、同時に、

今の自分にとってはとても大切なことに気づかされることの連続だ。

エジンバラでの日常生活では、電車やバスに乗り込んだり、川沿いや土手を散策していると、話しかけられることがある。

例えば、電車の中でこちらがハラハラするほど娘が騒いでいるのに

『Oh!ゴージャスな娘さん、今いくつになるの?』

と大学生の娘さんに尋ねられ、日本での学生時代の思い出話をすることになったこともある。

芝生の上を娘が子犬のように走り回っていれば、鳩の餌づけをしていたおじいさんに
『今日は寒いけど君たちは暖かそうだから大丈夫だね』と目を細められた。

そのまま一緒に、しばらくの間、言葉の要らない静かな時間をおじいさんと共有したこともある。

存在を認知される安心感

子どもという存在を介して生まれる、世代も性別も言葉すらも超えたやりとりは、子育てする者をふんわり支える力だなあと思う。

私が、引越しやその後の片づけで髪を振り乱しているとはいえ、日本語の通じない外地にあって、育児ストレスをそれほど感ぜずに済んでいるのも、ここスコットランドでの日常生活に散りばめられたさりげない他者との交流のおかげかもしれない。

意味があるのか、ないのか分からないような言葉でも、ほんの一言かけられるだけで、ただそれだけで、‘あなたたち親子がそこにいるのを私は知っていますよ’と、存在を認知された安心感で満たされる。

迷惑なのでは。。。と周囲の大人たちの顔色を伺っていた日本での子育てとはずいぶん違う。

‘子どもは天使—’少しおおげさかもしれないけれど日本を離れて以来、そんなことを折に触れて、何とはなしに肌で感じている今日このごろ、スコットランドの空はどこまでも高い。

そして、昨晩は、この国で迎える初めての夏至だった。

ドルイトの時代からメンヒルを囲んで祈り、未来を占っていたsummer solstice。

ケルトの影響もあって、エジンバラでは裸祭のような物凄いお祭りがカールトンヒルという丘の上で一晩中開催される。

私も娘をスリングに入れて冷やかしに行ったが、夜中の12時からスタートで、

全員が裸かトップレス。体には塗料や泥を塗り込んで非常にエロティックだった。

松明の明かりだけで、炙り出された皮膚に艶かしく髪の毛がかかり、白い腕や丸いお尻がぶるぶると揺れ、雄叫びや、ドラムの音色に激しく高揚しながら男女が聖なる空間をつくり、浄化していく。

観ているだけで、こちらまでカラダがくねり出したくなるような、性欲を掻き立てるとんでもないお祭りであった。

娘がぐっすり眠っているのに、母の私ときたらDNAが騒ぎ出し、結局数時間身動ぎもせず立ち見をした。

日本でも男根祭りは各地にあるが、性をあからさまにして尊ぶ儀式は真理をはらみ、共通点も多い。

結局、この宇宙は陰と陽。

男と女

光と影

今はアセンションの時代なのだなあ。。。

私はなぜかカラダに抜けていったエネルギーを感じながら、このお祭りに自分が呼ばれた訳が分かった気がする。

娘がいなかったら、自分も裸になって仲間入りしたいくらいだった!

深夜の12時過ぎにようやく空が暗くなって、午前2時ごろには早々と白み始めるスコットランドでの生活に、今の私ほど救われている人間はいないと思う。

夜9時でもこんな明るさ(写真)だから、1日が長く、思いっきり満喫できるのだ。

つい先日も、長い時間と労力をかけてあたためてきた仕事が見事ポシャってしまったというのに、この空のおかげで、気持ちはこんなにも穏やかなままなのが自分でも不思議なくらいだ。

失敗があるということは、成功を見極められる。

何度でも転んで、何度でも、そこから学べる。

この人生は、素敵なゲーム。

泣く自分も、激しく怒る自分も、笑顔の自分も、エロい自分も、わがままな自分も、観音のような自分も、みんなみんな自分であって、良い。

女神イナンナだって、その影の姿を持っていた。

イザナミだって、アルテミスだって。。。

女はそういう得体の知れないもの。

未知の顔を持つ生き物。

白夜のおかげで、私は白蛇のようにぬらぬらと目覚め続け、娘を寝かしつけた後も、たっぷりと時間がある(ように感じられる)ことから、ずっと読みたかった本を読んだり、長いこと聞いていなかったCDを最初から最後まで聴きなおせたり、いろんなことを徒然にまとめたり、考えられる余裕がある。

日本で活動していた時のこと。。。

待っていてくれる家族や大切なともだちのこと。。。

これからのこと。。。

明るい太陽のしたでは思い耽ることのないような人生の事ごとが、窓越しに差し込む薄明かりのもとでは、綿菓子のようにふんわかと、心に浮かんでは溶けていく。

そうやって、居心地のよい時がしばし流れてから、そっと娘の寝顔を見下ろすと、たまたま生かされていることの不思議をしみじみと想う。

『どんな存在にも、生まれてきた目的がある』

雲は、真夜中でも太陽の光がないだけで、刻一刻と動きを止めず流れていると肌で分かったり。

暗闇があるからこそ星が瞬いていたことにあらためて気づいてハッとしたり。

そんな当たり前過ぎることに驚いてしまう自分に、また驚いたりする(馬鹿か)。

自宅前の公園に夜10時くらいに出没したリス(写真)を目で追いながら、白々とした白夜の光は、現実を万華鏡さながら、くるくると円を描くように変容させながら映し出してくれるものなのだ。

こうして、静かに過ぎていく『今』にも、

また、

結果的には報われなくても、

自分なりに向きあった『過去』にも、

どれにも大切な意味があると、こころから思える今宵。

いつまでも私を包んでくれるやわらかい光以外に、

私はいったい何に感謝すればいいのだろう。

『どんな人にも、生まれてきた目的がある。人生で起きるすべてのことは偶然にみえるけど、すべては必要があって起きている。そして誰もが、自分自身の人生のストーリーをあらかじめ書き終えてからこの世に生まれてきている』

今の時期に地球のこの位置に自分が在るのも、目的あってのことなのだ。

このブログを読んでいる貴方にも、とんでもない目的があって、今のここに生かされている。パラレルに体験している人生では全員が主軸。

主役である。

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お読み下さりありがとうございました。エジンバラに住んでいた10年以上昔のブログを復刻させたものですが、ひょっとして子育て中の方の参考になるかもしれない?と思いました♪

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