第4回 仰天続きのご挨拶めぐり

ピンポーンと鳴ると犬が激しく鳴いて私は身構えた。

動物は大好きだがハウスダストやアニマルアレルギーなど、過敏症である。

程なくして開いた扉からニュッと出た顔は、キャプテンクックのように、片目が眼帯で覆われていた。赤いズボンに紺色のポロシャツ、ステッキを持っている初老の男性。

人を見かけで判断してはいけないと思ったが、私は自分が少し緊張しているのを感じた。

驚くほど大きな声で、その男性は『ハロー!!!』と言った。

その声で娘が起きた。

私はそのわずか数秒で、この男性には父親になった経験がないことを悟った。

奥から、エプロンで手を吹きながら、メガネをかけた女性が顔を覗かせたので私はホッとした。彼女は内縁の妻、エリザベスさんだった。

石鹸を手渡すと、『では失礼』と階段を降りようとする私を彼女が引き留め、『よかったら眺めを見て行って』、と言う。

なんということ!

3軒目のご招待だよっ!

この国では家を見せるのが礼儀なのだろうか?

それとも、私、警戒されているのかな?

それとも、人受けしすぎの性格なのかな?

とにかく、私にはよく分からない。

断るのが失礼なのか、

断らないのが失礼なのか、

インターネットがあれば、挨拶まわりの前にいろいろググっただろうけど、入居から2週間もたつというのに、いまだ電話もインターネットへの接続も、ない。

自分のカンで出たとこ勝負で振る舞うしかないのだ。

私は、ここで断って後悔するよりも、お誘いに乗らないで後悔する方が悲しいと思い、潔くお邪魔することにした。

先ほどの犬はポリーいう名の黒いラブラドール。

眼帯の男性はアリスター氏。内縁の妻エリザベスさんと二人暮らしでお子さんはいない。

なんでも、エリザベスさんはアンティーク時計の修理工房を営んでいるらしく、『グランパクロック(おじいさんの古時計)』とか、『グランマクロック(おばあちゃんの古時計)』と呼ばれる振り子のついた時計が部屋にもあった。

アリスター氏はアンティーク収集家で、部屋中に絵画や彫刻が並んでいる。

重厚な家具の数々に、由緒正しそうなパイプのコレクション、部屋中まさに足の踏み場もないのに、ラブラドールのポリーはスルスルとその間をうまくすり抜けながらお気に入りのラグの敷いてあるあたりへ移動する。

これでもかーと骨董品が押し込められた部屋の真ん中には、大きなガラスに入った戦艦の模型があった。

それも木で出来たもので、かなりの年代物だ。

アリスター氏は、テストの時間と言わんばかりに私を泳がせる。

自由に泳がせているようで、監視されているような。。。

どう振る舞い、何を言うか、試されているような気がして仕方がない。

壁に鎮座した版画の連作を指差して、これは。。。で、とても有名な。。。などと、

一つ一つをしごく丁寧にウンチクを述べていくのだ。

それが、痺れを切らすほど長い。

私の方に知識がないから、話をそらそうにも上手く誘導できない。

と突然、私の内側から、

『私は、母だ!』

という小さな声が聞こえてきた。

瞬間のことで、小さな声は書き消えてしまいそうだった。

でも、声は大きく次に聞こえた。

『この人に嫌われても構わない。あきこ!自分を出して!』

私が育児街道まっしぐらの母親で、版画の収集なんて今の私には関心がない。

そんな版画のことよりも、起き出してぐずっている娘をなんとかしたい。

同時に、

『よくもさっきは娘をデカい声で起こしてくれたわね〜』

そして、よくもまあ長々と骨董品の説明を。。。というアリスター氏への想いが湧いてきてしまったのだ。

次の瞬間だった。

『I am not interested in art (アートには興味がありません)』

と彼の瞳をじっと見つめて私は言っていた。

気まずい空気だった。

エリザベスさんも驚いたようだった。

でも、なんとなく私の中の何かが警告していた。

この人のペースにハマったら、この先暮らしにくくなるよ〜ん、と。

ピロロロ〜という直感らしきものが伝えるものが、私をいつも助けてきてくれた。

今日もそれが発動したのだ。

はっきりと言い放った後、慌てて私は『でも、素敵なお二人に興味があります。今後とも良き隣人としてどうぞよろしくお願いします!では!』と伝えて、にこやかに退室した。

なんという不遜な態度!と自分でも呆れるが、このおかげで、後日談だが、アリスター氏とエリザベスさんとは仲良くなってしまった。

さてさて、まさにごったがえしの毎日だ。こまごまとした手続きのために市役所や日本領事館、不動産屋、郵便局などにでかけるため、午後中はほとんど家にいない。

最も困っているのは、日本のスタンダードとこちらのスタンダードがずいぶん異なること。

リフォームを終えたばかりで住み始めたというのに、インターフォンや給湯器が動かなかったり、窓枠が壊れているせいで、毎朝のように誰かしら訪ねてきて、トンカントンカンやっていくことが多いのだ。

そのせいで、荷ほどきが思いのほか遅れている。

日本からの荷物でひとつ残念なことは、ダンボールを開けてみたら、CDコンポと畳マットの縁が破損していた。

畳は保障対象外、CDコンポについては保険が100ポンドおりるということなので、新しいものをここで買うしかないか。

そんなとある夕方、スリングのなかで眠ってしまった娘と、パン屋の紙包みを小脇に抱えた私は、重たい鍵を開け、足を引きずるように帰宅した。

果たして、空のダンボール箱は巨大な山となって部屋を占領し、無造作に積み重ねられた本の脇には、梅ぼしの瓶がゴロリと転がっている。

ああ頭痛!

愚痴っていても仕方がない、それは分かっている。

でも急に情けなさがこみ上げてきた。

外国なのだから、生活が落ち着くまでにはハードルがたくさんあって当たり前なんて今日は思えない。

家のつくりのせいで、リビングの開口部は基本的に開けられないとか、娘だけが階段にいる状況をつくらないようにするとか、いろいろな制約がある。

ああ、日本の家が恋しい。

梅干しをひとつ口に放り込んで、私はしばらく泣いた。

なんで悲しいのか、理由はよく分からない。

ただ疲れていて、

ただ気が張っていて、

ただ誰かに甘えたい。

今はただアーンアーンと泣きじゃくるからね。

ごめんね。

そんな気持ち。

それにしても、泣くって凄い!

涙が本当に出てしまうと、あとは本当にすっきりする。

泣きながらも、一体何百人の人たちが過去220年間にこの部屋で私みたいに泣いたんだろう?と思っている自分がいる。

このタイムマシンに乗っているような感覚はなんなのだろう。

人生とは、泣き笑い、である。

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お読み下さりありがとうございました。

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第3回 窓枠でバーベル上げ

古い家には危険がいっぱいだ。

でも、エジンバラの美しい街並みがこうして昔のままに残されているのは、古いものへの審美眼が人々のなかに歴然とあるから。

家が、過去につながることのできるタイムトンネルだから・・・

驚くほど低い手すり、バーベルのように重たすぎる窓枠にも文句は言えない。

私たちは、4階建ての2階に住んでいる。

ひとフロアーに一世帯のつくりなので、この建物には、私たち以外に3家族しか住んでいない。

入居した日の夕方は、週末のせいか3家族とも留守だったので、翌朝、さっそく挨拶に行った。

この国には隣三軒両隣にご挨拶にいく習慣はないかもしれない。

でも、でもね。。。

自分がもしも外国人ファミリーを迎える立場になったら。。。

と何度も想像してみた。

そこでさんざん悩んだ挙句、1軒につき7ポンドくらいを目安に、粗品を考えた。

これくらいならば受け取る側も負担にならないかな〜と思い、日本人なのだから日本らしいもの、ならばタオル!!!とも考えた。

だが、この国では誰もが日常生活のなかでハーブの香りと親しんでいるので、ラベンダーや、カモミール、カレンデュラなどの石けんの詰め合わせ箱を‘入居のごあいさつ’として持参したところ。。。。

こちらがひくくらい大喜びをして頂けた。

『日本には、ご挨拶の習慣があって。。。』と私が伝えると、

そーかそーか(ニコニコ)、よく来たね、この番地に!

と3家族とも本当に笑顔で迎えてくださった。

それにしても、ただのご挨拶のつもりが、さあさお茶でもどうぞ!となって、お邪魔させて頂き初対面だというのになんという長時間のご挨拶なのだろう〜と私は感激。

みんな、とっても良さそうな方々!

そして、全員がリタイアメントの世代だった。

半地下階(メゾネットタイプ)には四人の子持ちのトニーさんご夫妻。

お子さんは全員が既に家を離れていたが、世界ナンバーワンランキングのイギリスの大学院に4人のうち3人が通っていたり、実際に教鞭をとって教えていたりで、アカデミックなご家庭の様子。

使っていないピアノがあるから、練習したかったらいつでも弾きに来てねと娘に話しかけてくださった。

2階➕半地下みたいなメゾネットの巨大な空間で、キッチンなどは明るい庭(まるでターシャテューターの様に嫌味のない、それでいてお手入れの行き届いたイングリッシュガーデン)に大きく開口部が開かれていて、なんともモダンにリフォームされている。

しょっぱなから私はとんでもないお洒落な空間に度肝を抜かれた。

一階には、文部省で退職まで働きあげたジョンさん&アンさんご夫妻がいて、やはり4人のお子さんがいるが、こちらも全員巣立っていた。

エジンバラ市内やポルトガルにいくつもの家があるらしくて、たまにしか住んでいない様なことを話していた。

アンさんが『どうぞ早く入って!』と言うと、ジョンさんは一瞬いかめしい顔つきをしたが、私と娘がヴィクトリア調のソファーでぎこちなくしていると、奥からお孫さんのおもちゃを持ってきてくださった。

トニーさん宅よりも、あれこれと質問責めにあった。

アンさんが一番喜んだのが意外にも、私の母乳育児だった。

『私も四人をお乳で育てたものよ〜懐かしいわ〜。ああ本当に懐かしい』

とあんまりにも言ってくださるものだから、思わず長居して授乳をしてしまった。

初めての家で!!!!!

しかも外国で!!!!!

じゅにゅ〜〜〜〜〜〜〜うっ!!!!!

ありえない図、どう見ても。

でも、話が盛り上がっている最中で自然な成り行きで展開されてしまったし、これから長くお付き合いする隣人なので、母乳育児事情(待った無しのせわしなさ)を空気感で伝えられたかもしれない。

アンさん宅で眠りに落ちた娘をベビースリングに入れて、最後の隣人、階段を4階まで登る。

そう、エレベーターはもちろん、ない。

最上階(4階)から見下ろすと、お腹がキュンと痛くなるほど高くて(そりゃそうだ、ワンフロアなのに床から天井までが5メートルくらいあるのだ!)、それなのに手すりは低い(70センチほど、日本では通常90センチ)ことが、下見に来た時よりもリアリティーを持って気になってくる。

ああ、娘が今この瞬間、スリングの中で眠ってくれていて本当によかった!

今は娘の身長も1メートル程度なので、なんとか手すりの役割を果たしていても、遅かれ早かれ、おてんばな彼女が身を乗り出すたびにこの階段で私はヒヤリとさせられることになりそうだ。

築200年ともなると、子連れ一家にとっては、住んでみてあらためて気づかされることが意外とある。

たとえば、窓である。

リビングルームには大きな開口部が3つあり、それぞれの窓は床から4メートル近くある。空気を入れ替える時は、まるでバーベルを持ち上げるように、巨大な窓枠を床から上に向かって引き上げる仕組みになっている。

これが、大変な力仕事なのだ。

落下防止用の窓枠ストッパーがついているものの、相当な重さだ。

誤って子どもが床と窓枠の間に手を挟まないだろうか。

ここでもまた心配になってしまう。

子供を持つ前の私なら、『不安を引き寄せるから不安感は持たない』と天真爛漫に生きてきたスピ系が、今はこんな些細なことでなぜこんなに心配になるのだろうか。

わ〜キレイな漆喰飾り!と即決したアパートだったが、急にいろいろと不安感が押し寄せてきた。

今、バシャールに聞きたい気分だ(笑)。

『なぜ私たちはここに住むことになったのですか』と。

それは、あなたの中の神につながるためだ、なんて言われそうだ。

いつものように白昼夢に一瞬スペースアウトして、白い天使の飛び交うクーポラの天窓を見上げながらしばし佇んでいた私は、4階に住む最後の住人のドアベルをようやく鳴らした。

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お読み下さりありがとうございました。

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