第6回 光と影☯️なぜ炎に惹かれるの 

あらためて、日本を離れてから今日までの数カ月間を振り返る。

子どもを介して人々と交わす一期一会のやり取りから、ちょっとしたこと、

でも、同時に、

今の自分にとってはとても大切なことに気づかされることの連続だ。

エジンバラでの日常生活では、電車やバスに乗り込んだり、川沿いや土手を散策していると、話しかけられることがある。

例えば、電車の中でこちらがハラハラするほど娘が騒いでいるのに

『Oh!ゴージャスな娘さん、今いくつになるの?』

と大学生の娘さんに尋ねられ、日本での学生時代の思い出話をすることになったこともある。

芝生の上を娘が子犬のように走り回っていれば、鳩の餌づけをしていたおじいさんに
『今日は寒いけど君たちは暖かそうだから大丈夫だね』と目を細められた。

そのまま一緒に、しばらくの間、言葉の要らない静かな時間をおじいさんと共有したこともある。

存在を認知される安心感

子どもという存在を介して生まれる、世代も性別も言葉すらも超えたやりとりは、子育てする者をふんわり支える力だなあと思う。

私が、引越しやその後の片づけで髪を振り乱しているとはいえ、日本語の通じない外地にあって、育児ストレスをそれほど感ぜずに済んでいるのも、ここスコットランドでの日常生活に散りばめられたさりげない他者との交流のおかげかもしれない。

意味があるのか、ないのか分からないような言葉でも、ほんの一言かけられるだけで、ただそれだけで、‘あなたたち親子がそこにいるのを私は知っていますよ’と、存在を認知された安心感で満たされる。

迷惑なのでは。。。と周囲の大人たちの顔色を伺っていた日本での子育てとはずいぶん違う。

‘子どもは天使—’少しおおげさかもしれないけれど日本を離れて以来、そんなことを折に触れて、何とはなしに肌で感じている今日このごろ、スコットランドの空はどこまでも高い。

そして、昨晩は、この国で迎える初めての夏至だった。

ドルイトの時代からメンヒルを囲んで祈り、未来を占っていたsummer solstice。

ケルトの影響もあって、エジンバラでは裸祭のような物凄いお祭りがカールトンヒルという丘の上で一晩中開催される。

私も娘をスリングに入れて冷やかしに行ったが、夜中の12時からスタートで、

全員が裸かトップレス。体には塗料や泥を塗り込んで非常にエロティックだった。

松明の明かりだけで、炙り出された皮膚に艶かしく髪の毛がかかり、白い腕や丸いお尻がぶるぶると揺れ、雄叫びや、ドラムの音色に激しく高揚しながら男女が聖なる空間をつくり、浄化していく。

観ているだけで、こちらまでカラダがくねり出したくなるような、性欲を掻き立てるとんでもないお祭りであった。

娘がぐっすり眠っているのに、母の私ときたらDNAが騒ぎ出し、結局数時間身動ぎもせず立ち見をした。

日本でも男根祭りは各地にあるが、性をあからさまにして尊ぶ儀式は真理をはらみ、共通点も多い。

結局、この宇宙は陰と陽。

男と女

光と影

今はアセンションの時代なのだなあ。。。

私はなぜかカラダに抜けていったエネルギーを感じながら、このお祭りに自分が呼ばれた訳が分かった気がする。

娘がいなかったら、自分も裸になって仲間入りしたいくらいだった!

深夜の12時過ぎにようやく空が暗くなって、午前2時ごろには早々と白み始めるスコットランドでの生活に、今の私ほど救われている人間はいないと思う。

夜9時でもこんな明るさ(写真)だから、1日が長く、思いっきり満喫できるのだ。

つい先日も、長い時間と労力をかけてあたためてきた仕事が見事ポシャってしまったというのに、この空のおかげで、気持ちはこんなにも穏やかなままなのが自分でも不思議なくらいだ。

失敗があるということは、成功を見極められる。

何度でも転んで、何度でも、そこから学べる。

この人生は、素敵なゲーム。

泣く自分も、激しく怒る自分も、笑顔の自分も、エロい自分も、わがままな自分も、観音のような自分も、みんなみんな自分であって、良い。

女神イナンナだって、その影の姿を持っていた。

イザナミだって、アルテミスだって。。。

女はそういう得体の知れないもの。

未知の顔を持つ生き物。

白夜のおかげで、私は白蛇のようにぬらぬらと目覚め続け、娘を寝かしつけた後も、たっぷりと時間がある(ように感じられる)ことから、ずっと読みたかった本を読んだり、長いこと聞いていなかったCDを最初から最後まで聴きなおせたり、いろんなことを徒然にまとめたり、考えられる余裕がある。

日本で活動していた時のこと。。。

待っていてくれる家族や大切なともだちのこと。。。

これからのこと。。。

明るい太陽のしたでは思い耽ることのないような人生の事ごとが、窓越しに差し込む薄明かりのもとでは、綿菓子のようにふんわかと、心に浮かんでは溶けていく。

そうやって、居心地のよい時がしばし流れてから、そっと娘の寝顔を見下ろすと、たまたま生かされていることの不思議をしみじみと想う。

『どんな存在にも、生まれてきた目的がある』

雲は、真夜中でも太陽の光がないだけで、刻一刻と動きを止めず流れていると肌で分かったり。

暗闇があるからこそ星が瞬いていたことにあらためて気づいてハッとしたり。

そんな当たり前過ぎることに驚いてしまう自分に、また驚いたりする(馬鹿か)。

自宅前の公園に夜10時くらいに出没したリス(写真)を目で追いながら、白々とした白夜の光は、現実を万華鏡さながら、くるくると円を描くように変容させながら映し出してくれるものなのだ。

こうして、静かに過ぎていく『今』にも、

また、

結果的には報われなくても、

自分なりに向きあった『過去』にも、

どれにも大切な意味があると、こころから思える今宵。

いつまでも私を包んでくれるやわらかい光以外に、

私はいったい何に感謝すればいいのだろう。

『どんな人にも、生まれてきた目的がある。人生で起きるすべてのことは偶然にみえるけど、すべては必要があって起きている。そして誰もが、自分自身の人生のストーリーをあらかじめ書き終えてからこの世に生まれてきている』

今の時期に地球のこの位置に自分が在るのも、目的あってのことなのだ。

このブログを読んでいる貴方にも、とんでもない目的があって、今のここに生かされている。パラレルに体験している人生では全員が主軸。

主役である。

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お読み下さりありがとうございました。エジンバラに住んでいた10年以上昔のブログを復刻させたものですが、ひょっとして子育て中の方の参考になるかもしれない?と思いました♪

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第4回 仰天続きのご挨拶めぐり

ピンポーンと鳴ると犬が激しく鳴いて私は身構えた。

動物は大好きだがハウスダストやアニマルアレルギーなど、過敏症である。

程なくして開いた扉からニュッと出た顔は、キャプテンクックのように、片目が眼帯で覆われていた。赤いズボンに紺色のポロシャツ、ステッキを持っている初老の男性。

人を見かけで判断してはいけないと思ったが、私は自分が少し緊張しているのを感じた。

驚くほど大きな声で、その男性は『ハロー!!!』と言った。

その声で娘が起きた。

私はそのわずか数秒で、この男性には父親になった経験がないことを悟った。

奥から、エプロンで手を吹きながら、メガネをかけた女性が顔を覗かせたので私はホッとした。彼女は内縁の妻、エリザベスさんだった。

石鹸を手渡すと、『では失礼』と階段を降りようとする私を彼女が引き留め、『よかったら眺めを見て行って』、と言う。

なんということ!

3軒目のご招待だよっ!

この国では家を見せるのが礼儀なのだろうか?

それとも、私、警戒されているのかな?

それとも、人受けしすぎの性格なのかな?

とにかく、私にはよく分からない。

断るのが失礼なのか、

断らないのが失礼なのか、

インターネットがあれば、挨拶まわりの前にいろいろググっただろうけど、入居から2週間もたつというのに、いまだ電話もインターネットへの接続も、ない。

自分のカンで出たとこ勝負で振る舞うしかないのだ。

私は、ここで断って後悔するよりも、お誘いに乗らないで後悔する方が悲しいと思い、潔くお邪魔することにした。

先ほどの犬はポリーいう名の黒いラブラドール。

眼帯の男性はアリスター氏。内縁の妻エリザベスさんと二人暮らしでお子さんはいない。

なんでも、エリザベスさんはアンティーク時計の修理工房を営んでいるらしく、『グランパクロック(おじいさんの古時計)』とか、『グランマクロック(おばあちゃんの古時計)』と呼ばれる振り子のついた時計が部屋にもあった。

アリスター氏はアンティーク収集家で、部屋中に絵画や彫刻が並んでいる。

重厚な家具の数々に、由緒正しそうなパイプのコレクション、部屋中まさに足の踏み場もないのに、ラブラドールのポリーはスルスルとその間をうまくすり抜けながらお気に入りのラグの敷いてあるあたりへ移動する。

これでもかーと骨董品が押し込められた部屋の真ん中には、大きなガラスに入った戦艦の模型があった。

それも木で出来たもので、かなりの年代物だ。

アリスター氏は、テストの時間と言わんばかりに私を泳がせる。

自由に泳がせているようで、監視されているような。。。

どう振る舞い、何を言うか、試されているような気がして仕方がない。

壁に鎮座した版画の連作を指差して、これは。。。で、とても有名な。。。などと、

一つ一つをしごく丁寧にウンチクを述べていくのだ。

それが、痺れを切らすほど長い。

私の方に知識がないから、話をそらそうにも上手く誘導できない。

と突然、私の内側から、

『私は、母だ!』

という小さな声が聞こえてきた。

瞬間のことで、小さな声は書き消えてしまいそうだった。

でも、声は大きく次に聞こえた。

『この人に嫌われても構わない。あきこ!自分を出して!』

私が育児街道まっしぐらの母親で、版画の収集なんて今の私には関心がない。

そんな版画のことよりも、起き出してぐずっている娘をなんとかしたい。

同時に、

『よくもさっきは娘をデカい声で起こしてくれたわね〜』

そして、よくもまあ長々と骨董品の説明を。。。というアリスター氏への想いが湧いてきてしまったのだ。

次の瞬間だった。

『I am not interested in art (アートには興味がありません)』

と彼の瞳をじっと見つめて私は言っていた。

気まずい空気だった。

エリザベスさんも驚いたようだった。

でも、なんとなく私の中の何かが警告していた。

この人のペースにハマったら、この先暮らしにくくなるよ〜ん、と。

ピロロロ〜という直感らしきものが伝えるものが、私をいつも助けてきてくれた。

今日もそれが発動したのだ。

はっきりと言い放った後、慌てて私は『でも、素敵なお二人に興味があります。今後とも良き隣人としてどうぞよろしくお願いします!では!』と伝えて、にこやかに退室した。

なんという不遜な態度!と自分でも呆れるが、このおかげで、後日談だが、アリスター氏とエリザベスさんとは仲良くなってしまった。

さてさて、まさにごったがえしの毎日だ。こまごまとした手続きのために市役所や日本領事館、不動産屋、郵便局などにでかけるため、午後中はほとんど家にいない。

最も困っているのは、日本のスタンダードとこちらのスタンダードがずいぶん異なること。

リフォームを終えたばかりで住み始めたというのに、インターフォンや給湯器が動かなかったり、窓枠が壊れているせいで、毎朝のように誰かしら訪ねてきて、トンカントンカンやっていくことが多いのだ。

そのせいで、荷ほどきが思いのほか遅れている。

日本からの荷物でひとつ残念なことは、ダンボールを開けてみたら、CDコンポと畳マットの縁が破損していた。

畳は保障対象外、CDコンポについては保険が100ポンドおりるということなので、新しいものをここで買うしかないか。

そんなとある夕方、スリングのなかで眠ってしまった娘と、パン屋の紙包みを小脇に抱えた私は、重たい鍵を開け、足を引きずるように帰宅した。

果たして、空のダンボール箱は巨大な山となって部屋を占領し、無造作に積み重ねられた本の脇には、梅ぼしの瓶がゴロリと転がっている。

ああ頭痛!

愚痴っていても仕方がない、それは分かっている。

でも急に情けなさがこみ上げてきた。

外国なのだから、生活が落ち着くまでにはハードルがたくさんあって当たり前なんて今日は思えない。

家のつくりのせいで、リビングの開口部は基本的に開けられないとか、娘だけが階段にいる状況をつくらないようにするとか、いろいろな制約がある。

ああ、日本の家が恋しい。

梅干しをひとつ口に放り込んで、私はしばらく泣いた。

なんで悲しいのか、理由はよく分からない。

ただ疲れていて、

ただ気が張っていて、

ただ誰かに甘えたい。

今はただアーンアーンと泣きじゃくるからね。

ごめんね。

そんな気持ち。

それにしても、泣くって凄い!

涙が本当に出てしまうと、あとは本当にすっきりする。

泣きながらも、一体何百人の人たちが過去220年間にこの部屋で私みたいに泣いたんだろう?と思っている自分がいる。

このタイムマシンに乗っているような感覚はなんなのだろう。

人生とは、泣き笑い、である。

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お読み下さりありがとうございました。

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女性性の原風景

この写真、双眼鏡で撮りました。パリの煙突がいい感じに映り込んでる♪

私だけかしら?
5月に入り日照時間が長くなり、カラダが心地よく疼き始めていませんか?

初めまして!の方もたくさんいらっしゃるかもしれませんので久しぶりに自己紹介です。

個人セッションやワークショップを通じて女性にあらかじめ備わる女性性を大切に、妊活、妊娠、出産、産後、そして更年期の全ステージでハートで寄り添うLOVEドゥーラのAkikoです。

昨年からは膣ケアもお伝えしており、本当の意味で、妊活〜更年期までを
マインドフルに寄り添えるように私自身も成長してきています。

瞑想を大切にしながらも、様々なアプローチでケアしますが、特に英国在住中にイギリス人の先生から実践的なクリスタルの使い方を学び、メロディー式クリスタルのコースを受けました。

ですので、クリストロジーの知識をいかして産前セッションや実際のお産の立ち合い、産後のコーチングにも密かに(大胆に!)クリスタルパワーを使っているドゥーラです♪

これまではノマドゥーラ と名乗っていたのですが、どうしてもLOVEを入れたくて、Nomad(遊牧民)から、Love(愛)に呼び名をシフトさせました。

なぜなら。。。

絶えずオアシスを求め移動している「ノマド」的な在り方から(カラダは
これからも移動し続けながらも)、

ハートは「自分を愛する」という究極のランドスケープに自分をピン留めし、

「喜」と「快」の状態に定住し続ける今の自分の在り方をそのまま表したい
と感じたからです。

みなさまは、『オーガズミックランドスケープ』って、目にしたら、どんなイメージが湧きますか?

↑自分にとって分かりやすくイメージをコラージュしてみたら、上記の一枚が出来上がりましたので写真つけます。

何というか、
うまく言葉にできないけれど。。。
女性性の原風景みたいな要素をそれぞれの写真からもしも感じて頂けたら幸いです。

オーガズミックは「快」の境地。

そして、ランドスケープ(英語: landscape)は、日本語で言うところの「風景」だったり、景観を構成する諸要素」だったりするそうです。

ある土地における社会的シンボルや空間とか、また、そのシンボル群や空間が作る場所や地域環境ともWikiには載っていました。

私の中では、建築家がランドスケープを考える時に、細部ももちろん大事だけれど、いろいろガチガチに頭を使うより最終的には全体のバランスを俯瞰して視るのと似た感覚なんですね。

きっとオーガズミック ランドスケープでなら、この小さな頭の中からポーンと飛び出してもっと広い体験ができる!

そんなワクワク感が絶えず潤っている
「地平」。。。

このコラージュに使った写真を説明すると、まずは左上の磐座(いわくら)。女性性の岩戸開きって、私の中ではこんな感じに岩の割れ目からすぅ〜と差し込む光が筋となって大地に染み込んでいく感じ。

すべての女性はきっと誰しも光を通す水の筒になっていける…というイメージ。

左下の写真みたく母なる巨木。これは、垂(しで)で身を清めた大樹の中に流れる見えない水に想いを込めて。。。

ぽくんぽくんと鼓動のように神木たちの中に流れる液体が地球の水として、永続的に廻り続けるイメージが、快い。

これって、別の言葉で表現すると慈悲の心かな。。。と感じる。

慈悲の心は、快(こころよ)い。

施(ほどこ)し、
癒し、
分かち合い、

そうやって自分のカタチを七変化させながら生かされていく愛の循環。

愛の旅。

その気の遠くなるような果てしない旅路で、命がそれぞれに影響しあって循環しながら、下の真ん中の写真みたく、自分という岩(磐座)さえも小さくまあるくなって、すべすべに磨かれていく…

そのプロセスですべてを
許して、
赦(ゆる)して、
聴(ゆる)して、

。。。そうやって、
語られたすべての言葉のその一切が語り尽くされた静寂の中でも飄飄(ひょうひょう)と水面に浮かぶ木の葉のように、

軽やかに波間に浮かび上がる、

何か。

それは何だろう?

命が過去も現在も未来もなく、ゆるゆると漂泊していく…

その先に在る、何か。

それを一緒に探していくのが、私にとっての生き甲斐とか、人生そのものなんだと思うのです。

こちらのブログ←も併せてお読みください。
実際のケアになります。

私が女性たちに日々捧げているセラピー(右下の写真)は、膣の感覚を呼び戻し、子宮の声を聴くことだけれど、きっと根源的には、その『何か母性の原風景みたいな地平』にご自身で至っていただくセレモニー。

ご自分の感覚と向き合う時間を提供させていただいているんだなぁと感じています。

いつも拙いブログをお読み下さり有り難うございます。

LOVEドゥーラAkiko
木村章鼓